優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年08月

□◆□…優嵐歳時記(2648)…□◆□ 

  蜩や山城跡に佇めば   優嵐

姫路市夢前町にある置塩城跡に登ってきました。金曜から急に秋めいてきて、夜の間に雨が降り、土曜の朝は車のエアコンをつけず、窓を開けて運転しました。置塩城は中世の播磨の守護であった赤松政則が1469年に築いた城です。

麓からジグザグの道を40分ほど登れば城跡に着きます。標高380mとの表示がある城山の頂を中心に大規模な城跡が残っています。茶室跡や庭園の跡と思われるものもあり、この山の上にそういうものまで作っていたとは、と驚きます。山城の例に漏れず展望は素晴らしく、南に播磨灘を望みながら昼ごはんにしました。

お天気が下り坂で食べ終わる頃から雨がぱらつき始め、急いで下山しました。少々濡れましたが、山へ行った後は近所の立ち寄り温泉に向かいます。香寺町の「香寺荘」へ行きました。ここの特徴は露天風呂が37℃の微炭酸のお湯になっていることです。20分ばかりのんびり入っていました。

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□◆□…優嵐歳時記(2647)…□◆□

  曇り空残る暑さの和らぎぬ   優嵐

金曜日は一日中どんよりとした空模様でした。気がつけば八月はあと10日ばかりで終りです。夜になると昼間の蝉の声に変わって静かな虫の音が聞こえてきます。

ART-Meterに次の作品をアップする準備をしています。応募すると、事務局でのデータチェック後、サイトにアップされます。私がここに参加するようになったのはこの五月からです。作品をデジカメで撮影し、フォトショップで明るさを調整してデジタルデータとして送るという手順は、自分のブログでやっていることとほぼ同じですから、最初からそれほど手間取らずできました。

今年の初めまで、こういう形式とは異なり、実際に作品を送って参加するという形だったようです。そのため、作品の保管に費用がかさみ、開始以来6年間ずっと赤字だったとか。応募方式が変わったことによる在庫調整のために、今ここでは半額セールをされています。

参加する立場としては、デジタルデータを自分でアップする方がずっと気軽にできます。作品を梱包して送るというのは、慣れないとなかなか大変ですし、費用もかかります。こういう方式にされれば門戸が広がっていろいろな人が応募しやすくなるだろう、と思いました。

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□◆□…優嵐歳時記(2646)…□◆□

  里山に夏水仙をたずねゆく  優嵐

TAK.ECHOさんに教えていただいたナツズイセンを見に行ってきました。「夏水仙」は季語としては晩夏のものになります。増位山から尾根伝いに弥高山の三等三角点を超えて歩きました。こちらの山路はまだまだ蝉がわんさといて、歩いていると次々にぶつかってくるほどでした。クモの巣も多く、あちこちで顔にぺたりと来ました。

広嶺山の廃屋の手前(このルートだと通りすぎたたところ)ということでしたが、最初に目に付いたのは散ったムクゲの花びらでした。ムクゲを見上げてふとその根元を見ると、ナツズイセンが淡いピンクの花をつけていました。ナツズイセンはヒガンバナ科です。葉は春に地下から線形のものが数本出ますが、花が咲く前に枯れてしまいます。花だけが咲いているというところがヒガンバナと似ています。

IMG_1673<たずねる>
動物や植物は
向こうから積極的に名前をアピールしたりはしない
こちらが興味を持って調べて近づいていくしかない
マーケティングもPRも販促もCMもない

だからその名前を知るのがおもしろく
姿を見るのが楽しい

□◆□…優嵐歳時記(2645)…□◆□

  盆過ぎの草木の色のやや変わる   優嵐

お盆休みが終り、少しずつ秋が朝夕から顔をのぞかせてきます。季節が変わるのを感じるのはいつも新鮮な思いがしていいものですが、その中でも冬から春に夏から秋に変わっていくときは、特にいいと感じます。厳しいものをくぐりぬけ気候が和らぐからでしょう。それを待つ心がその兆しに敏感になります。

ファーブルの昆虫記 』(岩波少年文庫)を読了しました。大変おもしろかったです。百年以上前に書かれた本ですが、そういう古めかしさはありません。ファーブルの探究心、科学する心が伝わってくると同時に、彼の文章の素晴らしさが読者を飽きさせません。さらに、昆虫の生態の驚くほどの精密さ、それが本能によって司られているのですが、そうだとしたら、その「本能」とは実は何なのかと畏敬の念を覚えます。

IMG_1628<茄子の馬>
亡くなった人の魂は
茄子の馬に乗って帰っていくとされている
これは多分間違っている

茄子の馬に乗っているのは私たち
天涯を流れる川の中を
あちらにぶつかりこちらにぶつかり
時にはどんぶり返りながら流されていく
なすすべもなく

なすすべがないならば
無駄な力をぬいて
大河の流れに身を任せよう
川は故郷までの道のりを知っている


□◆□…優嵐歳時記(2644)…□◆□

  鶏頭の燃え立つ色を仏前に   優嵐

三日ぶりに増位山へ行きました。蛇ヶ池の白蓮はまだたおやかに咲いています。山路ではホウシゼミの声がたくさん聞かれるようになっていました。桜の他にも名前はわかりませんが、葉が黄色くかわりつつある低木があり、確実に秋は進んでいると感じました。

散歩に行くとほぼ毎日どこかで蝶を見かけます。この写真のキアゲハは頂に来ていたものです。昨日はそれ以外にカラスアゲハ、モンキアゲハ、ヒョウモンチョウなどにも会いました。カラスアゲハ(ミヤマカラスアゲハかもしれません)が二匹、吸水に来ていたのをしばらく立ち止まって見ていました。

この蝶は完全に止まってしまうということがなく、どこかに止まりつつも微妙に翅を動かしていて常に飛翔状態を続けています。背中は緑とブルーが混合して、見る角度によって色が変わります。これをゆらめかせながら真昼の日差しの下を飛んでいるのは本当に美しく、目の保養になります。

IMG_1659<描く>
描こうかと茄子を手にとって
そうかもうすぐ一年になると思った
何気なく始めた日々のスケッチ

最初のころに描いた野菜の中に
かぼちゃや茄子があった
描きながらいろいろなものを見て
描きながらいろいろなことに気づいた

描くことは出会うこと


□◆□…優嵐歳時記(2643)…□◆□

  稲穂垂れ初めにし道を墓参り   優嵐

俳句を始めるまでは、お盆が初秋という意識は全くありませんでした。しかし、俳句の目を持って周囲を眺めるようになると、確かにこのころになると稲は頭を垂れ始め、風にも空にも秋の気配が感じられるようになります。

15日は母方の実家へ行っていました。このところ毎年この日はそこへ集まるのが常になっています。お盆が亡くなった人のものではなく、生きている人間のためのものだというのは、ここでも実感しました。

現代では、こういう機会がなければ成人してそれぞれの生活を持った親族が集まる機会などそうありません。クリスマスが緯度の高いヨーロッパで冬至の太陽の復活を祝うお祭りと融合したように、あらゆる宗教行事は、それ相応の生活の必要性と結びついていないとやがて廃れていくでしょう。

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<伝承>
祖父母の仏壇に手をあわせたあとは
一年ぶりに顔をあわせる親族と
なつかしい話に花が咲く
最近の出来事である場合もあれば
ひいおばあさんの思い出話になったりすることもある

きっと昔々の先祖たちは毎日こうやって
焚火を囲み日々の話に混ぜながら
部族の伝説を語りあったに違いない

伝承とはそういうものなのだ
人の肉声を介して伝えられるもの

□◆□…優嵐歳時記(2642)…□◆□ 

  よく晴れて遠くで鳥脅しが光る   優嵐

姫路周辺は早稲の作付け面積がそれほど多くありません。それだけにこの時期すでに稔り初めて、ぴかぴか光るテープが張り巡らされた田はよく目だちます。お盆も残暑が続いています。日中は車の温度計が37℃を示していました。

お墓参りに行きましたが、お墓の周囲の木が少し切り払われて日差しがあたり、照り返しがきつくて汗びっしょりになってしまいました。日曜ということもあって、いつになくお墓は人が多くにぎやかでした。それでも夕方になると部屋に入ってくる風にはっきり秋を感じるようになりました。お盆が終わると初秋の感覚が強くなります。

IMG_1625<お盆>
お盆でお墓参りをしながら
子どものころから不思議に思っていることがある
お盆というのは
亡くなった人の魂が家に戻ってくる時期とされる

「魂迎え」や「魂送り」という言葉があり
迎え火をたいたり茄子の馬を作ったりする
それならば
お墓へは何のために行くのか

もっとも魂はお墓になんかいないのは確か
あんな石の塊の下にはいない
みんなもっと自由になって時間も空間も飛び越えている

お盆は亡くなった人のためのものではなく
生きてこちらにある人間が
気持ちを新たにするための時期

□◆□…優嵐歳時記(2641)…□◆□

  蛾の去りし繭の残され秋はじめ    優嵐

増位山で近頃毎日目にしていた不思議なものは、「ウスタビガの繭」と教えていただきました。昨日もふたつ見かけました。中はもう空だということでしたので、手にとって開いてみました。意外に手ごたえがあり、薄いスルメイカを裂くような感触です。中は枯葉色をしています。

先日部屋に巣を作るべくやってきた蜂から、蝶や蛾というのは成虫になって飛んでいるものは、生まれた卵の1%ほどだという話を思い出しました。さまざまな寄生蜂や蟻などの餌になり、さらに野鳥の繁殖シーズンには、それらの胃袋もすべて満たします。

自然歩道にセミの遺骸が目だつようになりました。三、四日前までは歩いていても頻繁にセミがぶつかってくるほどでしたが、その時期はどうやら過ぎたようです。昨日は山道でアブラゼミの激しい鳴声と羽ばたきを聞きました。しゃがんでよく見ると、ムカデがセミのかたわらにいます。セミはなんとか逃れて飛んで行きましたが、どのみち間もなく命が尽きることは変わりません。

IMG_1623<パソコンの起動時間を早くする方法>
パソコンの起動にかかるのはせいぜい数分
それでもこのトピックを覗く人が飛びぬけて多いのは
この時間をいらだたしく思う人が
それだけ多いということ
なぜだろうか

起動時間の数分が永遠に思える一方
ネットのゲームに手を出したり
だらだらとウェブを徘徊したり
それで数十分が幻のように消えていく

起動の数分が待てないのに
素早く取り掛かることができない
待つべきときに待てず
やるべきときにすぐできない

未来永劫変わらない人間の悲しいサガ
これを自覚しない限り
どんな術を探ってみても無駄

□◆□…優嵐歳時記(2640)…□◆□

  山路はや桜紅葉の始まりぬ    優嵐

増位山の蛇ヶ池で蓮の葉を切って持ち帰っておられる方を見かけました。お盆の切り花にでも使われるのでしょうか。蜂の一件で、図書館から『ファーブルの昆虫記 』(岩波少年文庫)という抄訳版を借りてきて読んでいます。それでも上下二巻で600ページ以上あります。最初がセミについての話で、丁度時期的にぴったりです。それにしても好きだからこそ、これだけ観察できたのだろう、と思います。

IMG_1620このところ、自然歩道を歩いていて不思議なものを見ます。TAK.ECHOさん、これはいったい何でしょう?→ 
鮮やかな黄緑色でよく目だち、小さな袋のように見えます。人工的なものではなさそうなので、きっと植物由来だろう、と想像しているのですが、見当がつきません。




IMG_1587<ウニ>
私たちはそれぞれバラバラだ
そう思いこんでいる

私たちはウニの刺の突端で生きている
刺の先端に立ち隣の刺を眺めてみれば
間には超えようがない深淵がある
鋭く硬い刺の突端で途方にくれる

ところが
刺を内側にどんどん辿っていけば
やがて柔らかく暖かな
ウニの実質にたどりつく

世界はウニだ

□◆□…優嵐歳時記(2639)…□◆□

  夜いまだ残暑の熱の冷めやらず   優嵐

朝七時の部屋の気温がすでに29℃ありました。夜にくもっていたため気温が下がりませんでした。熱帯夜です。風もほとんど無かったためいっそう地表に熱がこもったようです。

昨日の昼は晴天になり、気温があがりました。増位山の駐車場は下界より二度ほど気温が低いのですが、お昼に車の温度計は36℃を示していました。山の向こうにむくむくと入道雲がわきあがり、盛夏以上に盛夏らしい風景でした。

それでも、山の桜は紅葉を始めています。桜はおそらく紅葉するのが最も早い落葉樹ではないか、と思います。秋になるやいなや葉の色を変え始め、涼しくなるころには半分くらい落葉しています。花の咲き方とは対照的な葉のふるまいです。

IMG_1607<訪問者2>
早朝から真っ先にやって来たのは
昨日の蜂だった
また青虫を携えている

蜂を追い払った後
テーブルをひっくり返してみた
いったいどこに?

折りたたみ式テーブルの
天板を脚に連結する板にネジ穴が切ってある
深さ四センチ弱
そのひとつが泥できれいに塞がれていた

巣の痕跡を拭った後
六つのネジ穴をガムテープで塞いだ

しばらくすると蜂が戻ってきた
あのネジ穴の周りをうろうろしている
蜂は巣を作り始めたことを記憶している
この先もやってこられてはかなわない
駆除することにした

蜂が考え方を切り替えて
別の場所に向かってくれたなら
そうせずに済んだのだが
蜂にそんなことを言っても
シカタガナイ



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