優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年09月

□◆□…優嵐歳時記(2688)…□◆□

  朱を得て雲あきらかに秋の朝   優嵐

夜明けのころの空の絵を描くようになってから、なぜか不思議とその時刻に目が覚めます。時計が示す同じ時刻というのではなく、日の出のころです。野鳥のような目覚め具合です。ほぼ毎日部屋から夜明けや日の出を見ていると、確実に太陽が昇る時刻が遅くなり、昇る位置が南へとずれてきているのがわかります。

夕焼けの空は比較的よく見ますが、夜明けの空はそれに比べると見る機会が少ないままでした。朝焼けは天気が崩れる前触れといわれます。確かに台風が来る前は見事な朝焼けでした。東の空に少し雲がある方が変化に富んだ夜明けの空を楽しむことができます。

IMG_2099<自然>
夜明けとともに目覚め
朝の大気の中で仕事を始め
ランチはゆっくりとって
昼寝を楽しみ
夕暮れとともに仕事を終えて
日付の変わらないうちに眠る

そういう生活が最も自然で
人間的な暮らしだ
子どもはそういうリズムで暮らす

大人になるに従って
私たちはそういう生活から遠ざかる
成長して自然から離れ
人工へと自らを追い込む
自分の心身は「自然」そのものだというのに

□◆□…優嵐歳時記(2687)…□◆□

  秋草をいろいろ自転車籠に入れ  優嵐

車で走っていたら、自転車の後ろ籠にススキやハギといったいろいろな秋の草花を入れて走っておられる女性を見かけました。通りすがりのドライバーまで楽しませているとは思っておられないでしょうが、ああいうのはいいですね。

昨日はTAK.ECHOさんに教えていただいてアサギマダラを見に広峰山の吉備神社へ行ってきました。増位山とは尾根続きです。花と違い動物なので、見られないかもしれないな、とあまり期待せずに行きました。秋晴れの気持ちのいいお天気ですから、ちょっと足を伸ばすのもいい、そういう感覚です。

吉備神社は吉備真備を祀っていて、広峯神社の奥にこじんまりとあります。ここに行く手前でヒガンバナで吸蜜していたキアゲハを見ました。ヒガンバナも再度じっくり見ました。オシベとメシベはほとんど姿が同じなので、すぐ近くで見ないと区別できません。

自然歩道から階段を登って境内につくと社殿の上だけがぽっかりと開けています。社殿のすぐそばをモンキアゲハが二匹飛んでいます。アサギマダラは…、まあ会えればよし、会えなくてもよし、と思いつつそこに腰をおろそうとしていたら、ひらひらとアサギマダラが一匹やってきました。あの特徴のある翅は一度見ると忘れません。しばらくふわふわと飛びまわったあと、森の下の方へ消えて行きました。

腰をおろしてしばらく見ている間にもさらにモンキアゲハ、カラスアゲハ、アオスジアゲハなどが次々に姿を見せ、ここは蝶が好む場所なのかもしれないと思いました。見上げるともっと高いところを何匹かの蝶が飛んでいます。そして視線を降ろすと、アサギマダラがまた姿を見せてくれました。

飛び方は滑空するようなやわらかなもので、あれで南西諸島や台湾まで飛ぶのか、と驚きます。さらにすぐ目の前までやってきて優雅に飛び回ります。止まることはありませんでしたが、あの飛ぶ姿を見られただけで満足でした。

IMG_2092


□◆□…優嵐歳時記(2686)…□◆□

  澄む秋の遠山が持つ雲ひとつ   優嵐

「澄む秋」とは、秋の澄んだ大気をさします。大陸からやってきた移動性高気圧が大地を覆い、清浄な空気に満たされます。遠くの景色、すべてのものがはっきりと見え、音もよく聞こえてきます。蝉の声がほとんどしなくなった森では、コゲラが木をつつく音が聞こえました。

昨日は爽やかな秋晴れでした。昼間に山を歩いてももう少し汗をかく程度で、先日までのように汗だくになることはなくなりました。午後からの日差しが南側の部屋に差し込んでくるようになり、絵を描く場合は北東側の部屋で描いています。アトリエは北向きの部屋、というのが納得できます。

坂井泉水さんの肖像画、今回から描き方をがらっと変えました。線で輪郭を描くのをやめ、面中心の描き方にしています。クレパスで雲や山を描いているうちに、もっとしっかりしたものも輪郭線なしで描けるのではないか、と思い、試してみることにしました。今回は背景も描いています。

<頬杖>
IMG_2055_edited-1
シナベニヤ(600×450mm)アサヒペン水性アクリルつや消し白、サクラクレパス、ぺんてるくれよん

これを描いているうちに、風景や静物や他の人物画もこの方法でもっと描けるに違いないという感覚が持てました。まだ試行錯誤することはいろいろ出てくると思いますが…。

□◆□…優嵐歳時記(2685)…□◆□

  彼岸花平らになりぬ昼の雲   優嵐

ヒガンバナが最盛期です。秋の彼岸に咲くからヒガンバナ、単純明快なネーミングです。日本へは有史以前に渡来したと考えられ、人里の近くにのみ咲いています。俳句では別名の曼珠沙華(マンジュシャゲ)がよく用いられます。これは梵語で「天上に咲く赤い花」という意味だそうです。

坂井泉水さんの月命日です。今日はZARDの五枚目のシングル『IN MY ARMS TONIGHT』(92.9.9)を取り上げます。この楽曲の次に発売されるのが『負けないで』であり、このころはテレビにも出演しています。ミュージシャンとしては、92年8月7日に「ミュージックステーション」に出演したのがテレビ初登場であり、93年2月5日の同番組で『負けないで』を歌ったのが最後の出演です。

わずか半年、それでありながらかろうじて代表曲の『負けないで』を歌った映像が残っていたというのは、何か運命的です。このテレビ朝日系列の映像が亡くなった年の紅白でもその後のライブでも使われていました。『負けないで』ではビデオクリップさえ撮影しなかった、ということなのでしょうか。

IN MY ARMS TONIGHT



『IN MY ARMS TONIGHT』は冒頭が「そう知らなかった」という唐突なつぶやきのような言葉で始まっています。後に「でも」や「だけど」という逆接の接続詞を歌の冒頭にもってくる特異な言葉の使い方の気配がすでにここにあります。

歌詞の中に、「秋の気配が近づくわ」とあるので、恐らく八月の終盤から九月初旬あたりに発売されたのだろうと思っていたら、9月9日の発売でした。俳句は暦の上で季節を詠んでいきますので、俳句で「秋の気配が近づく」と感じるのは七月の末から八月の頭ですが、一般の季節感としては、ぴったりのころといえます。暑さ寒さも彼岸まで、夏の恋も彼岸まで、そういう内容の歌詞です。



□◆□…優嵐歳時記(2684)…□◆□ 

  阿波徳島くっきり見えて秋晴るる   優嵐

土曜日はここ数日のうちで最も空気が澄み晴れ渡った日でした。増位山の頂からは淡路島全体、さらに鳴門海峡を経て徳島県まで見えました。北東には丹波の山なみも見えます。赤とんぼが雲に触れんばかりに飛んでいました。

最近、印象派の画家ベルト・モリゾに興味を持ち、評伝を二冊借りてきました。『ベルト・モリゾ』(坂上桂子)と『黒衣の女ベルト・モリゾ』(ドミニク・ボナ)です。『ベルト・モリゾ』を読みおわり、『黒衣の女』に取り掛かって少し戸惑っています。描かれている彼女の印象が随分違うのです。夫のウジェーヌ・マネ(画家のマネの弟)の人間像もかなり違います。人生のエピソードは同じはずなのに、こんなに印象が違うのはなぜだろうと不思議です。

結局、肖像画と同じで評伝も描かれた人よりも描いた人が前面に出てくるのでしょう。あらゆる伝記やノンフィクションと言われるものもそうだろうと思います。人はその時点の自分以外のものは描けないのかもしれません。ではモリゾを知るにはどうすればいいか、といえばやはり作品を見ることしかない、と思います。そこに彼女の魂が残されているからです。

これはあらゆるアーティストにあてはまることでしょう。自分がその作品から受けた印象を大事にすることです。それは自分自身にとってのそのアーティストであり、世界で唯一無二のものです。そして、他人が何を言おうと、実はどうでもいいことなのです。

IMG_2020<写実>
写真を見て絵を描く場合
写真の「よう」に描こうとしてはならない
それが写実的に描くことではない

過剰な細部にとらわれることなく
重要だと感じるところに焦点を絞る
それが自分の絵を描くということ
それがあなた自身の写実性

機械的な正確さと写実性は違う
機械は自分で選択することができない
簡単なようでいて
決して埋められない差



□◆□…優嵐歳時記(2683)…□◆□

  子を連れて猪駆ける秋の森   優嵐

秋晴れの気持ちのいいお天気でした。増位山へ行ったらまた猪の母子に会いました。今度はウリ坊の方がちょっと離れていて駆け回っていました。子犬ほどの大きさでちょこまかと走る姿が可愛らしく、母猪がどすどすとその後を走って行きました。大人の猪は、人間以外には敵無しですが、子どものころはカラスなどに襲われることも多いそうです。

少し自分の部屋の模様替えをしました。もうモノはあまり無いのですが、ちょっと収納の工夫をするだけで、さらに広く使えます。空間を広く持つというのがもしかしたら今の日本では一番の贅沢ではないでしょうか。

IMG_2017<サイン>
階段で足を滑らせた
買ってきたケースの卵のうち
ひとつが割れていた

メニュー変更
お昼ごはんはこれを使って
お好み焼きを作ろう

何かアクシデントがあったら
それはサイン
失敗なんてない
失うものなど本来なにもないから

与えられないのではない
別のものを与えられていることに
あなたが気づいていないだけ


□◆□…優嵐歳時記(2682)…□◆□ 

  秋分の雲は北より生まれ来る   優嵐

秋分の日の夜明けは雲ひとつ無い快晴でした。空気が澄み、晴天でももう日中の最高気温は25℃程度です。いつもこういう気候ならいい、と思いますが、すぐに朝晩から寒さが忍び寄ってくるようになります。今年は震災があり、台風の被害もひどく、長く語り継がれる年なのは間違いないでしょう。

その一方で、日本列島というのはこういう条件の下にある国なんだなとも思います。ユーラシア大陸の東の端、温帯の海の中に南北に長く連なる列島、その地理条件が地震と台風を運命づけています。そして、そういう条件の下だからこそ現在の日本の国がある、とも思います。

秋分の日も母の家の片付けに行っていました。自分が前に使っていた部屋に残っていた本なども全部整理して、そこの押入れをあけ、収納スペースを確保しました。ただ、整理整頓、片付け、断捨離を定期的にできる人でないと、いくら収納場所を増やしてもきりがありません。

母の場合がまさにそうで、収納場所は平均的な家以上にあります。それなのに片づけて整理するということをしないままに何年も過ぎているため、モノがあふれ、押入れに入りきらず、棚やらボックスやらを買い足してそれでも収納しきれない、という状態になっていたのです。まだ断捨離は続きますが、これはいい機会だったと思います。

IMG_1988<流れ>
人生で大事なことのひとつは
「流れ」ではないだろうか
やってきたものを受け止めて
受け止めたら次は手放す
生きていくとはそのくり返し

やってきたものを受け止められないこと
受け止めたものを手放せないこと
どちらも十分に生きていないこと

□◆□…優嵐歳時記(2681)…□◆□

  濁流のしだいに澄みて台風過   優嵐

台風15号が通り過ぎ、昨日は晴天になりました。台風が上陸した東海から関東にかけては風が凄かったようですね。久しぶりに増位山へ行ってきました。森ではまだホウシゼミとミンミンゼミの声を聞くことができましたが、それも途切れ途切れで、夏の名残もそろそろ終りです。今日は秋分の日です。夕暮れが随分早くなっています。

秋分を過ぎると、特に午後の時間の短さを感じるようになります。冬になるとお昼ごはんを食べて片付けたらもう日が傾き始めている、という感じになります。晩秋から初冬にかけてのせわしない感覚は年末が近づくだけでなく、午後の明るい時間の短さにもよるのだろう、と思います。

IMG_2016<ウリ坊>
梅林に降りてきたら
猪が駆けていくところだった
あの骨折していた猪だろう

ふと気がつくと
彼女のすぐ横を小さな影がついていく
子どもだ

子どもには縞がありウリ坊と呼ばれる
足を折り
冬を越せるのだろうかと心配していたが
野生はたくましい


□◆□…優嵐歳時記(2680)…□◆□ 

   嵐去りつくつくぼうし一度鳴く   優嵐

台風15号は東日本に大きな被害をもたらしそうな進路を通っています。姫路は昨日の午前中に台風の影響圏からほぼ脱し、夕方には青空が出ていました。雨がやむとホウシゼミが鳴き、「あれ?」と思いましたが、そのときだけでした。あれがもしかしたら今年の蝉の聞き納めかもしれません。

19日は一日雨が降り続き、気温も低かったのですが、20日は少し気温があがりました。それでももう30℃を超える日々は過ぎたようです。これからの一ヶ月ほどが最も過ごしやすい気候です。

IMG_1966<何度でも>
輪廻転生は仏教では望ましいこととはされない
それは
生死流転に迷う此岸を離れられないことだから

この世は修行の場だと言われる
すでに十分な修行を積み
輪廻を脱して彼岸へ渡れるにもかかわらず
あえてこの世に戻ってくる存在がある
その名を菩薩という

四苦八苦の巷で迷う人々のもとへ
彼らは何度でも戻ってくる
すべての人が彼岸へ渡る準備ができるまで





□◆□…優嵐歳時記(2679)…□◆□

  秋彼岸風雨の中で入りにけり   優嵐

昨日は彼岸の入りでした。季語では「彼岸」というと春の彼岸をさし、秋の彼岸は「秋彼岸」「後の彼岸」といいます。台風15号の接近で一日雨になり、気温があがりませんでした。ほんの数日前まで30℃を超えていたのに、お昼の外気温は20℃という極端な変化です。ロングパンツにはきかえました。

さすがにもう雨がやんでも蝉の声は聞こえず、日中でも虫の音がします。しばらくこの状態が続き、さらに秋が深まれば、虫の音も絶えてやがて冬です。お彼岸を過ぎると秋の夜長が実感されるようになります。

IMG_1989<彼岸へ>
彼岸とは煩悩の流れを超えた悟りの境地
それに対する
此岸とは生死流転に迷っていること

輪廻はいわば堂々巡りであり
単に生き変わり死に変わりすることは
境界線を越えることができずに
此岸の縁をさまよっているに過ぎない

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