優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年09月

□◆□…優嵐歳時記(2678)…□◆□ 

  ゆるやかに陽を返しおり秋の海   優嵐

台風15号が西日本に接近しています。今日は秋の彼岸の入りですが、荒れたお天気になりそうです。昨日は、母の家の片付けの続きに行っていました。とても一日や二日で片付きません。単に捨ててしまうというなら仕事は速いのですが、いちいちどうするかの判断を仰がなくてはいけません。

片付けながら、今更ながらに驚くことも多く、親子とはいえ自分以外の人間のことは実際にはわからないものだ、と思いました。片付けの合間に、ついつい母が口にするのは亡くなった祖母や父に対する愚痴です。子どものころからさんざん聞かされて、「もう二度と聞きたくない」と何度も言っている
のにやっぱりその話なのです。

うんざりする一方、自分はこの人との関係において何を見せられているのだろう、と考えてみました。母は祖母や父の愚痴をくり返しくり返し言い続けるのですが、彼女自身はそこから何も学ばなかったのだろう、と思います。自分は被害者、自分は犠牲者、それだけです。

そして、今回の片付けをおこなっていて、母は自分で考え自分で決断するということから逃げてきたのではないか、と思いました。父は祖母の過保護の中で育ち、あからさまにそういう人でした。母はそれを非難していたのですが、そういう父や祖母の「被害者」という役割に自分を固定し、誰かを非難することによって、自分の存在を確認していたような節があります。

片づけられずに押し入れに大量に残っているものの中には、祖母が作ったり用意したりしたものもいくつかありました。祖母が亡くなってすでに四半世紀です。その間それに手をつけることもなく、何があるかすら知らず、自分が住んでいる家の二階の押入れの中をろくに見ることもなく過ごしてきた…。ちょっと考えられません。祖母、父、母それぞれが何か依存するものを求め、お互いがお互いに依存しあっていたのだと思います。

もし母が精神的に自立できている人であったならば、経済力はあったのですから、破綻している結婚生活にしがみつくことはなかったでしょう。依存するために破綻した結婚生活が必要だったのかもしれないとさえ思います。さらに、その破綻して終わってしまった結婚生活の残像に依存しているからこそ、今もその愚痴を飽きることなくくり返し続けるのです。母自身はそのようなことは露ほども自覚してはいませんが。

愚痴というのは「愚(おろか)痴(おろか)」とオロカが二つ並んでいます。愚痴をいえばストレスが解消されると思い込んでいる人がいるかもしれませんが、それは大きな誤りです。愚痴はオロカさにオロカさを加えることでしかなく、自己憐憫の堂々巡りを続けるだけです。自分がそこで見ているもの、体験していることから何を学ぶのか、生きることの意味はそれだけだ、と思います。

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□◆□…優嵐歳時記(2677)…□◆□ 

  稲架しっとり昨日の雨に濡れ並ぶ   優嵐

アートワークのために大阪へ行っていました。姫路から大阪までのJRの車窓はそれなりに変化があっておもしろいものです。姫路駅を出るとすぐに東播磨の田園地帯に入ります。加古川を越えるあたりまではそういう風景が続き、やがて明石駅を出ると、直後に明石海峡大橋の主塔が見えてきます。

JRは大橋の直下をくぐって須磨までは海沿いを走ります。季節と天候によって海峡と淡路島、大橋の姿は毎回異なっており、それを眺めるのが楽しみです。須磨から先になると、阪神間の中心部を走ることになります。この辺りでJRの進行方向が少し変わります。太陽が車両内に差し込んでくるのでそのことがわかるのです。特にこれからの秋冬のシーズンになると、太陽の高度が低いためにまぶしく、ブラインドを下まで降ろさざるをえなくなります。

アートワークでは毎回、前回の振り返りをおこないます。前回はアートワークをおこなうにあたっての心構え的なことについてあらためて聞きました。アートワークというのはアートを行うわけですが、そのことそのものが目的ではありません。ワークをやりながら、自分にとってその場がどういう意味があるのか、自分がそこにいることの意味を常に考えることが大事です。こういうことを前回講師の方から聞き、一ヶ月たって、これはアートワークだけではなく、生きている瞬間瞬間すべてがそうだな、と気がつきました。

自分がそこで何かを見ている、その場に立ち会っている、何かを経験しているというのは学びとしてそれを与えられていると考えることができます。それを学ぶ必要がなければ、そういうことに出会うことはない。常に「ここの意味は何か、ここから何が学べるか」とその場に問いかければいいのです。自分自身で自分に問うことになりますが、答えは自分の内にあり、そこでやってくるものを信じればいいのだと思います。

午後からは前回に続き水彩を行いました。一枚の水彩紙の上に午後3時ごろの空から描き始め、次に夕方、日没、星空、闇、夜明け直前、夜明けと描いて行きます。最初は雲を描いたり空を描いたりしていたものが、星空、さらに闇でほぼ真っ黒な画面になります。

興味深いのはこの先で、水彩であるため、水を加えればいったん定着していた絵具を拭い去ることができます。真っ暗だった画面が白々と明けていく空に実際に変わるのを見るのは新鮮な経験でした。二次元の絵がこのように変わるということを見ていると、そこからすべてのものが変転して移り変わっていくこと、一日の日暮れと夜明けというだけでなく、それが季節の巡りや人の生と死、死と再生というものにも通じていることが実感されます。

アートワークはやっていくうちに理屈とか論理ではつかみきれない部分が多いということがわかってきます。自分の内面で生まれたことを文字や言葉にするのは大事なのですが、文字や言葉にできるのは全体のある一部分で、その場で起こっていることはもっと深く大きくて言葉にしきれないものがあります。

今回の闇から夜明けに変わる部分は、死や失敗といった一般的に「よくない」とされていることもそれはプロセスの一部であり、恐れる必要はないということをなんとなく理解させてくれました。つい先日叔母を見送ったということ、また、このところ夜明けの空を毎日のように見ているということとも一種のシンクロニシティを感じました。今、自分がこの場にいることの意味、というのは、そういうことも含んでいるのじゃないか、と思います。

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□◆□…優嵐歳時記(2676)…□◆□ 

  秋半ば古き手紙を焼きにけり   優嵐

土曜日は母の住んでいる家の片付けに行っていました。以前から片づける必要があると思っていましたが、叔母が亡くなったのがひとつのきっかけになりました。母もよくある「捨てられない人」です。昔々に使っていたもので壊れてはいないがもう古臭くて使えないもの、いただいたまま仕舞いこんで古びてしまっているものなどを大量にストックしています。それらを整理しました。

大半が捨てるものに分類されますが、それでも新品には「これは誰かにあげる」とか「バザーに出す」とか言って捨てようとしないものがいくつかあります。自分の断捨離のときも実感しましたが、タオルだのシーツだのというのは冠婚葬祭関連の贈答品としてなぜあのようにたくさん用いられるのでしょう。

日本全国の家庭で死蔵されているシーツやバスタオルなどの類をかきあつめたら、どれほどの量になるか、と思います。ああいう業界はそれで半分以上が食べているのかもしれません。いるときに買えばいいのだし、シーツや毛布などそうそう買い替えるものではありません。一生の間に毛布なんて何枚使い潰せるでしょうか。

IMG_1890<ベルト・モリゾの肖像>
ベルト・モリゾは印象派の画家
同時に幾人かのモデルになっている
自画像も残している

描かれている人物は同じなのに
随分印象が違っているのに驚く
肖像画は描かれた人以上に
描いた人をあらわにする

そして
十九世紀末の写真が古びて見えるのに
描かれた絵がそうでないことの不思議
画家たちの何かが絵に「永遠」を与えている

□◆□…優嵐歳時記(2675)…□◆□

  稲刈りの終りし田へと静かな雨   優嵐

木曜日、金曜日とあちこちで稲刈りの姿を見かけました。昨日は午前中から雲が広がり、お天気が下り坂でした。雨の前に稲を刈ってしまおうという人が多かったのでしょう。お昼過ぎに細かな雨が降り始め、夕方にはかなり雨足が強くなっていました。稲刈りは無事終えられたでしょうか?

稲刈りが終わった田には鷺類やカラスがやってきて何かを盛んについばんでいます。落穂なのか、それとも稲の中にいた虫が残っているのでしょうか。しばらくはあちこちで彼らもご馳走にありつくことでしょう。

IMG_1909<俳句>
あなたの俳句の最大の敵は
あなたの「言いたいこと」だという
確かにそうだろう

誰もがジャーナリズムが好きだ
ブログもツイッターも「主張」が氾濫している
大事件が起こると
「俳句に何ができるのか」と
俳句を詠んでいる人たちまで言い出す

俳句は何もしなくていい
メインディッシュが「言いたいこと」
だとしたら
俳句は美味しいお茶であるべきだ

一服のやすらぎ
一服の清涼剤
戦争が起きようが天災が起きようが
常に変わらぬものがある
俳句とはそういうものではないか

□◆□…優嵐歳時記(2674)…□◆□ 

  吹く風に翅光らせて赤とんぼ   優嵐

バッテリーフリーワイヤレスマウスを購入しました。私はPanasonicのLet's noteを使っています。小さくて軽くて頑丈で好きです。以前、室内ではロジクールのトラックボールを使っていました。ロジクールのトラックボールの場合、ソフトをPCにインストールしなければならず、それがPCの何かと干渉しあって、立ち上げるたびにバッテンマークが出て嫌な感じでした(支障なく使えましたが)。

しかし、トラックボールは壊れてしまい、断捨離もあってここ一年ほどは本体のタッチパッドを使っていました。タッチパッドだと、キーボードに手をおいたままマウス操作に近いことができるため便利でした。しかし、これが暑いシーズンになると滑りが悪いうえに指先がぴりぴりします。タッチパネルの液晶保護シートを貼ったりもしてみましたが、効果がありません。そこで、再度マウスに戻ることにしたのです。

コードレスのものが欲しいと思っていました。ただ、コードレスのものは電池を入れる必要があります。ところが、この製品はUSBにつないだマウスパッドから電力を供給するため、コードレスでありながら電池がいらないのです。

使ってみたら、快適です。スクロール操作というのはやはりマウスに勝るものはないと思いました。タッチパッドのまどろっこしさが無い。指先のぴりぴりからも解放されました。しばらくマスキングテープを指先に張ってしのいでいたくらいなのです。ちょっとしたことですが、使う時間が長い道具というのは、使い勝手がいいとこれほど快適なものか、と驚いています。

IMG_1968<call my name>
夕食の後のお茶を入れていたら
東の山から居待月が昇ってきた
陰暦八月十八日の月

名前を知らなければ
「ああ月だ」とそれでおしまい
わざわざ眺めることもないかもしれない

名前を知ったなら
それは特別な存在になる
call my name
月もそう言うだろう

□◆□…優嵐歳時記(2673)…□◆□ 

  洗い髪そのまま仰ぐ立待月   優嵐

立待月とは、陰暦八月十七日の月の異名です。名月を過ぎると月の出が少しずつ遅くなります。このあと、一夜過ぎるごとに「居待月」「臥待月」「更待月」と呼び名が変わって行きます。このようにして昔の人々は月の出を待った、それほどに名月は特別なものだった、ということがわかります。

朝方、日の出前に西の空に十六夜の月が残っていました。日の出が近づくとともにしだいに輝きを失い、薄い大根の切れ端のような姿になって西の峰に沈んで行きました。あらためて気づいたのですが、昇って来る月は兎の耳に当たる部分が上になっています。それが、沈むころは耳が下になり、逆立ちしたような姿になっています。季節によって変わるのでしょうか?

IMG_1960<奇跡>
月がもし無かったとしたら
人類は生まれなかったという
地球の潮汐を司り
あらゆる生き物に大きな力を持つ

月だけではない
地球が太陽系に占める位置
太陽系の惑星の配置
太陽系そのものが銀河系内に占める位置
それらがほんの少しでも違っていたら
人類は生まれていない

奇跡の星地球


□◆□…優嵐歳時記(2672)…□◆□ 

  十六夜の雲なく晴れし暑さかな   優嵐

昨夜の十六夜はテニスコートで眺めました。夜に入っても暑くほとんど風もなかったため、テニスをすると真夏と同じくらい汗をかきました。月は美しく、台風の後、夜は連日晴れていましたから、満ちていく月を存分に楽しむことができました。

最近、印象派に関する本を読み、印象派とひとくくりにされる画家の、それぞれ独自性について新しく知りました。これらの画家たちの作品を見て、ルノワールとモリゾが好きだな、と思いました。双方とも明るく輝くような色彩を用いているのが特徴です。

モリゾは女性で、もし彼女が男性であったなら、間違いなく印象派の代表画家になったと思える素晴らしい絵を描いています。女性に生まれたために正規の美術教育を受ける機会もなく、描ける題材も限定されていました。性の枠組みを越えて女性が自分の才能に忠実に従えるようになって、まだそれほど日はたっていません。そのことを知らされました。

IMG_1644<秋暑>
九月の暑さはこたえる
暑さそのものは真夏の方が厳しいのに
秋の暑さが身にこたえるのは
心理的なものが大きい

すでに日差しはすっかり秋
もう涼しくなっていいころだと
心は秋に飛んでいる
それなのに涼しさが来ない

人は「よし」とハラを括っているときは
意外なほど忍耐力も抵抗力もあるものだ
それが
いったんその緊張が緩むと
もう一度引き締めるのが難しい
秋の暑さはそれを思い出させてくれる


□◆□…優嵐歳時記(2671)…□◆□

  名月を有明の峰で仰ぎけり   優嵐

十五夜の月は、再度増位山の頂で見ました。ここは「有明の峰」と呼ばれ、在原業平や西行が訪れて歌を詠んだ場所です。頂には二人の歌碑があり、それをしのびつつ、市川をはさんだ東の山の上に昇る満月を鑑賞しました。

月の出に間に合うように行こうと思っていたのですが、森を歩いているうちに山の端から月が顔を出すのが見えました。ほとんど雲はなく、夕映えの残る空にゆるゆると昇る見事な満月です。山の端から名月が離れようとしていたときに頂に着きました。

播州平野から市川流域の街の灯りがしだいに強さを増し、同じように名月も明るさを増していきます。最高のお月見スポットかもしれない、と思います。市街地、さらに播磨灘を行き交う船の灯りも見え、夜景を楽しむにもいいです。ただし、途中は灯りのない自然歩道です。

電灯の類は持って行きませんでした。人間の目は暗さに慣れれば見えるものですし、満月の夜は月の光の明るさもかなりのものです。自然歩道を歩きながら木の間ごしに見える満月がまたいいものでした。

IMG_1955<月見>
電気がなかったころの月の明るさが
その時代の人々にとって
どれほど神秘的なものだったか
私たちはもう想像できない

人工的な灯りがもたらしたものは
はかりしれないほど大きい
けれど
その便利さの中で失ったものも確かにある

月を仰ぐのは
失ったものに思いを馳せる時間


□◆□…優嵐歳時記(2670)…□◆□

  青空の眩しさひとしお秋暑し   優嵐

日中の気温がまたまた35℃に達するような暑さになっています。太陽の南中高度が低くなっているせいか、日差しが真夏よりも眩しく感じられます。午後の陽が南の部屋に差し込むようになりました。冬になると、午後は部屋の奥まで入ってきますから、カーテンを引いて過ごすことになります。

叔母が亡くなって一週間になり、その間親族間で連絡をとる機会が何度かありました。子どものころから知っている親族を見送るというのは、その人との間にあった幼いころからの関係が、この世においては完結することを意味するのだなと感じています。親族特有の寂しさというのはここにあるのかもしれないと思います。

関係がそれで終わってしまうわけではありません。この世にいるこちら側が心の中で関係をこの先も反芻し、新たな意味を見出すこともあります。こちら側がどういう気づきを得てどのような角度からその関係を見るかによって意味はいくらでも生まれるのです。

IMG_1920<赦す>
赦せないと思うのは
赦したくないと思っている自分がいるから
誰かを赦せないのではなく
赦してしまう自分が赦せない

赦せないという鎖によって
自分を縛り続ける
赦すのは相手のためではない
相手は根源的な意味では
自分自身だから

赦すことによって手放し
自分自身を鎖から解放する

□◆□…優嵐歳時記(2669)…□◆□

  夕月夜山の向こうに街灯り   優嵐

12日の月曜日が陰暦八月十五日にあたり、名月です。今夜はその前の夜であり、「待宵」と呼ばれます。それ以前の上弦の月が山の端に昇っている夜のことを「夕月夜」といいます。夕暮れの残照の中で、月がしだいに明るさを増してゆく様子が詩情をかき立てます。

名月は古来日本の詩歌を詠む人にとって一大イベントでした。歳時記にも名月をめぐる前後の季語が数多く載っています。俳句を詠むものとしては、やはりこれを大事にしたい。そこで、昨夜は夕暮れ時に増位山の頂まで行ってきました。

西の空にまだ夕焼けが展開するころ、月はすでに東の山の上に昇っていました。薄桃色の山の端から離れ水色の夕空へとさしかかるあたりでした。しだいに夕闇が迫り始めると、街の灯りが輝きを増してきます。昼間はあまり気づかなかった東の山の向こう、神戸市の西部あたりでしょうか、その灯りも見えます。真昼とは違う風情に、これもなかなかいいものだと思いました。

IMG_1933<見知らぬ世界>
自分が住んでいる街の
春夏秋冬
朝昼夜
それらすべての姿を知っている人が
どれだけいるだろう

何十年も暮らしていて
見慣れたありふれた景色だと思い込んでいる
実は別の顔を知らないだけ

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