優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年10月

□◆□…優嵐歳時記(2719)…□◆□

  抹茶碗手にしみじみと暮の秋  優嵐

十月が今日で終り、暦のうえでの秋はあと一週間です。体感気温としての「秋」はもう少し続く感じがあるでしょう。しかし、日差しはもう確実に秋の終りです。夕方が最も早く暮れるのは冬至の一週間ほど前ですから、あと一ヶ月半は夕暮れの時刻が早くなって行きます。

土曜日に従兄の家で抹茶をいただきました。先日亡くなった叔母とは別の、早くに亡くなった伯母の次男です。ふと思いついていとこが何人あるか数えてみました。父方に十人、母方に七人です。いとこというのは面白いと思いました。親の兄弟姉妹の子ども同士ですから、父方は父方同士しか知らず、母方は母方同士しか知りません。それぞれの片親を通じてしか相手を知らないわけです。

親兄弟などにしても一番血縁的に近くてよく知っている人々と思っていますが、実際には個人的な場面での姿しか知りません。彼らが公的な職業生活などの中でどのようにふるまっているかを、近しい血縁関係者は意外に知らないのではないか、と思います。

IMG_2192<本当の自分>
「本当の自分」というものが
あると思っているのは
人間の最大の錯覚ではないだろうか

人にあるのは場面での役割で
不動の存在である「本当の自分」というものは無い

人は変わる
変えようとしても変わらないが
変わりたくないと思っていても変わる

思い通りに変えることは難しいが
それは
変わりたくないと思っても変わってしまう
ことの裏返しだ

□◆□…優嵐歳時記(2718)…□◆□

  香りたつ笹に包まれ栗赤飯   優嵐

先日、栗赤飯を笹に包んだものをいただきました。ころころとした栗はもちろん、笹の香りが新鮮でした。週末ごとの母の家の片付けは、とりあえず一段落しました。そして整理のために大事なことをひとつ思いつきました。

不用物品の一次滞留場所をどこかに決めておくということです。不要なものが必要なものといっしょに収納されていると、いつまでたってもそれは同じところに留まり続けます。捨てることの前段階に必要かそうでないかを分けるステップがいるのです。パソコンの「ごみ箱」的な場所です。

不要なものはいったんそこにまとめて格納して、定期的にそこから捨てるなり誰かにあげるなりすればいいのです。捨てられないのではなく、分けられないんですね。収納場所そのものはそれなりにありますから、「捨てるモノ」というカテゴリーを収納場所に作っておくのがよさそうです。

IMG_2219<不変>
前の仕事をしているころ
毎日のように通っていた道を
久しぶりに通ったら
家や店や道そのものまで
随分変わっていて驚いた

変えようと思って変えているばかりではない
否応無く
いつの間にか
知らず知らず
何もかもが変わっていく

変わっていくということだけが
唯一の変わらないことだ

□◆□…優嵐歳時記(2717)…□◆□

  秋天に伸びゆくものの数多あり  優嵐

久しぶりに増位山へ散歩に行ってきました。蛇ヶ池の蓮は葉がほとんど枯れて敗荷(やれはす)の姿となっていました。放生池では、夏の間びっしりと水面を覆っていたヒシがすっかり姿を消し、さすがにすごいものだ、と思いました。カルガモのつがいが来ていて、二羽がおこす水の輪が池の面いっぱいに広がっていきます。緋鯉ものんびり泳いでいました。

晴天が続きます。真昼はまだ暑ささえ感じますが、それでも日差しは晩秋です。空気の透明感、日差しの角度、そういうものから冬の近さを感じるのです。梅林や竹林のあちこちに蜘蛛が大きな巣を張っています。虫の声は昼間でももうほとんど聞こえなくなりました。

IMG_2216<新世界にて>
クレパスやクレヨンの技法書が
ほとんど無いことを不満に思っていた
しかし
これは逆にいいことかもしれない

確たる技法が無いということは
自由に自分の方法を試せるということ

油絵や水彩画がヨーロッパ大陸だとしたら
クレパスやクレヨンは新大陸
広大な大地はまだ開発されずに目の前にある

□◆□…優嵐歳時記(2716)…□◆□ 

  スライスのりんごを熱きトーストに   優嵐

秋冬はりんごのシーズンです。昨日、今シーズン初めてジョナゴールドを食べました。ART-Meterに出品していた作品が売れました、とのメールがあり、発送して戻ったら、フクヤンさんが買ってくださったとのコメントが入っていて驚きました。

それと同時に、作品を創って誰かに買っていただくというのは、オークションで不用品を売るのとは全く違うことなんだ、と思いました。責任とでも言えばいいですか…。もちろん不用品を売るときも汚れたり傷んだりしていないこと、迅速に発送することは心がけていました。しかし、そういうこととは根本的に違う責任です。

自分の作品を誰かに見ていただくというのは、それだけでまずうれしいです。そして、それを購入してくださったというのはさらなるうれしい驚きです。そして、その先ですが、気に入っていただけるかどうか。気に入っていただけるとうれしいのですが。

今回それとは別にうれしいことがあります。これで作家レベルが「3」にあがり、ほぼ毎週一作品ずつ応募できるようになりました。少しずつ作品も変わってきていますので、その進歩を確認しながら応募できるのは励みになります。

さて、昨日は坂井泉水さんの月命日でした。彼女の肖像画も最初のころに比べるとかなり描き方が変わってきました。今回の作品では、背景を一度クレパスで塗ったあと、ペトロールを筆につけてなぞっています。これからも少しずついろいろなことを試し、作品の幅を広げていきたいと思っています。

<プロフィール>
IMG_2214
MDFボード(300×300mm)、アサヒペン水性アクリル(つや消し白)、サクラクレパス、ぺんてるくれよん、フエキ建築用ソフトカラー鉛筆(黒)



□◆□…優嵐歳時記(2715)…□◆□

  紅葉する街路を自転車で走る   優嵐

久しぶりにマウンテンバイクで姫路駅前まで走ってきました。昨夜からやや気温が低くなっており、走ってもほとんど汗をかかず快適でした。大修理中のお城のまわりをぐるっと巡り、やっぱり自転車はいいなあと感じました。歩くのもオートバイも車も好きですが、自転車もいいです。

自転車で出かけたついでに図書館へも寄ってきました。車で行くと駐車時間が気になりますが自転車は問題ありません。逆にそのためについ長居をしてしまうという危険性があります。このところ絵の技法書をよく借ります。すでに版元では絶版になっているものもあったりして、これは図書館のいいところです。

私が絵を描くのに使っているのは主にオイルパステル(クレパスやクレヨン)です。ところがこれに関する技法書は皆無といっていい状態です。パステルのものはありますが、この二つは全く別物です。別物ついでに今回は透明水彩の技法書を借りてきました。画材は別であってもいい技法書からは、絵を描くときの目のつけどころについて学べることがたくさんあります。

IMG_2180<大きく>
大きくとらえろ
細部にとらわれず
見えるものを単純化して大づかみにしろ

分野の違う
アメリカの画家と
イギリスの画家が
同じことを書いていた

初心者が陥りやすいのは
見えるものの細部にとらわれ
それを全部描こうとして
収拾がつかなくなってしまうこと

画面全体を見て
大きな流れや雰囲気を見失うな

これは絵だけではなく
すべてにあてはまること

□◆□…優嵐歳時記(2714)…□◆□

  包まれて秋刀魚は東寺揚げとなる  優嵐

「東寺揚げ」とは、湯葉を使った揚げ物のことです。先日、叔母の法要のあとに昼食をとった料亭の献立にこれがありました。東寺は教王護国寺の通称です。その昔、東寺で湯葉が作られたことから、湯葉を「東寺」ということがあり、そこから東寺揚げと呼ぶようです。

同じく献立の中に「丸十」というものがあり、これは薩摩芋の天ぷらでした。なぜ丸十なんだろう、としばし考えてふと思いつきました。薩摩藩主は島津家、島津の紋所は丸に十文字です。そこから「丸十」なんですね。

IMG_2196<内へ>
スキマ時間をくまなく活用して
生産性をあげようという記事を見た
生産性って何だろう

ひとつ多くメールを打つこと?
ToDoリストをチェックすること?
惰りなく名刺を整理すること?

そんな時間はむしろ何もしない
自分の内側の声に耳を澄ます

道具は何もいらない
外界に対して配っていた気を
ほんの一瞬自分の内側に向ける

本当に大事なことは多分
ToDoリストにはあがってこない

□◆□…優嵐歳時記(2713)…□◆□

  玄米のままと新米いただきぬ   優嵐

土曜日の叔母の四十九日のときに叔父の家に立ち寄って、新米をもらいました。叔父は亡くなった叔母のさらに下、四人姉弟の末っ子です。一番上の姉は早くに亡くなり、今回真ん中の叔母も亡くなって、姉弟二人が残っています。幼いときからいっしょに育った存在を亡くすというのは、また独得の寂しさがあるものと思います。

子どものころからの時間をずっと共有しているのは、同胞だけでしょう。たとえ自分の子どもでも、親になった後の時間は共有していますが、それ以前は知りませんから、幼いときの思い出話はできません。親族を見ていて、血縁と同時に世代ということもあらためて感じました。

日曜日に母の家の片付けをしていて、母の若いころ、母、亡くなった叔母、叔父の三人でいっしょに写っている写真を偶然見つけました。叔父が息子である従弟の少年時代にあまりにもそっくりなので、(実際は従弟が似ているのですが)驚いてしまいました。

IMG_2200<三大欲求>
人の欲求は大きく分けて三つある

元気で長生きをしたい
お金を儲けたい
誰かと繋がりたい

このいずれもが罠になりえる
いずれかが可能といわれれば
人は案外もろい

□◆□…優嵐歳時記(2712)…□◆□

  日当たりのよき庭先や貴船菊   優嵐

貴船菊とはシュウメイギクのことです。菊の季節に咲き、菊の名を持っていますがキク科ではなく、キンポウゲ科のアネモネの仲間です。中国原産で古い時代に日本に渡来し、京都洛北の貴船にちなんで貴船菊との別名があります。音の関係からか、俳句ではほとんど「貴船菊」として詠まれます。

母の家の断捨離は続いています。大量の不用品を処分した後の押入れには、新たに現在の機能的な収納道具を入れ、より効率的に空間を利用できるように工夫しました。そのうえで、定期的に物品を処分することをいっしょにやるべきだと思いました。そうしないと、あっという間に再び空間はモノに占領されてしまうでしょう。

IMG_2204<今ここで>
誰かのために何かをすると
その誰かのためだけではなく
自分も何かをもらっていることに気がつく

「情けは人のためならず」ということわざは
将来何かいいことが返ってくるという意味ではない
今ここで
何かを間違いなく得ている

□◆□…優嵐歳時記(2711)…□◆□

  忌中明け告げて激しき秋の雷   優嵐

叔母の四十九日の法要に行ってきました。金曜日の夜は激しい雨でしたが、朝にはいったんあがって、法要の間は薄日がさしていました。そのあと近所の日本料理店で会食をし、店を出たら雨になっていました。叔母の家に行って遺品を見せてもらったりしていると、稲妻が走り雷雨になりました。何もかも終わって家に戻ったところで激しい雨が降り、その後、雨があがって虫の声の聞こえてくる静かな夜になっています。

近しい親族が亡くなると、それを機会にいろいろなことを教えられます。自分自身で考えているような気になっていますが、それはこちらの思い違いで、何かからのお導きなのです。神か仏か、それに何と名前をつけてもいいですが、それは何かはかりしれない大きなものなのだ、と思います。

IMG_2186<流れ>
何かと出会ったり
何かと別れたり
究極のところ人生はそのくり返し
それを司るのは人の意志ではなく
大きな流れのようなもの

□◆□…優嵐歳時記(2710)…□◆□

  整備終え自転車軽し秋日向   優嵐

山を散歩することが多くなって、ここ半年以上マウンテンバイクに乗っていませんでした。道具類というのは、人間が頻繁に使ってやらないと傷んでしまいます。サイクルショップでオーバーホールしてもらいました。ハンドルグリップ、タイヤ、チューブ、ブレーキ、ワイヤー類を交換して、しゃきっとした姿が戻ってきました。

これから気温が下がってくる秋冬が、私にはマウンテンバイクで走るにいい時期です。車に積んでどこかに行ってもいいなと思ったりもしています。海へ行くのもいいし、山里を走るのもいい、姫路市はどちらもすぐそこにありますし、秋冬は晴天の日が多いので、それも自転車には好都合です。雪国だとこうはいかないでしょう。

IMG_2184<ノッテイル日>
ものごとが予想以上に
すらすらと進むときがある
そんなときは勢いに乗ってどんどん進むといい
追い風を受け流れに乗る

そのかわり
それが逆転して
ものごとが遅々として
進まない日がやがて来ることも
視野にいれていよう

陽の極は陰をはらみ
陰の極は陽をはらむ
変わらないのは「常に変わる」ということ


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