□◆□…優嵐歳時記(2719)…□◆□
抹茶碗手にしみじみと暮の秋 優嵐
十月が今日で終り、暦のうえでの秋はあと一週間です。体感気温としての「秋」はもう少し続く感じがあるでしょう。しかし、日差しはもう確実に秋の終りです。夕方が最も早く暮れるのは冬至の一週間ほど前ですから、あと一ヶ月半は夕暮れの時刻が早くなって行きます。
土曜日に従兄の家で抹茶をいただきました。先日亡くなった叔母とは別の、早くに亡くなった伯母の次男です。ふと思いついていとこが何人あるか数えてみました。父方に十人、母方に七人です。いとこというのは面白いと思いました。親の兄弟姉妹の子ども同士ですから、父方は父方同士しか知らず、母方は母方同士しか知りません。それぞれの片親を通じてしか相手を知らないわけです。
親兄弟などにしても一番血縁的に近くてよく知っている人々と思っていますが、実際には個人的な場面での姿しか知りません。彼らが公的な職業生活などの中でどのようにふるまっているかを、近しい血縁関係者は意外に知らないのではないか、と思います。
<本当の自分>
「本当の自分」というものが
あると思っているのは
人間の最大の錯覚ではないだろうか
人にあるのは場面での役割で
不動の存在である「本当の自分」というものは無い
人は変わる
変えようとしても変わらないが
変わりたくないと思っていても変わる
思い通りに変えることは難しいが
それは
変わりたくないと思っても変わってしまう
ことの裏返しだ
抹茶碗手にしみじみと暮の秋 優嵐
十月が今日で終り、暦のうえでの秋はあと一週間です。体感気温としての「秋」はもう少し続く感じがあるでしょう。しかし、日差しはもう確実に秋の終りです。夕方が最も早く暮れるのは冬至の一週間ほど前ですから、あと一ヶ月半は夕暮れの時刻が早くなって行きます。
土曜日に従兄の家で抹茶をいただきました。先日亡くなった叔母とは別の、早くに亡くなった伯母の次男です。ふと思いついていとこが何人あるか数えてみました。父方に十人、母方に七人です。いとこというのは面白いと思いました。親の兄弟姉妹の子ども同士ですから、父方は父方同士しか知らず、母方は母方同士しか知りません。それぞれの片親を通じてしか相手を知らないわけです。
親兄弟などにしても一番血縁的に近くてよく知っている人々と思っていますが、実際には個人的な場面での姿しか知りません。彼らが公的な職業生活などの中でどのようにふるまっているかを、近しい血縁関係者は意外に知らないのではないか、と思います。

「本当の自分」というものが
あると思っているのは
人間の最大の錯覚ではないだろうか
人にあるのは場面での役割で
不動の存在である「本当の自分」というものは無い
人は変わる
変えようとしても変わらないが
変わりたくないと思っていても変わる
思い通りに変えることは難しいが
それは
変わりたくないと思っても変わってしまう
ことの裏返しだ