優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年11月

□◆□…優嵐歳時記(2725)…□◆□

  冬に入る卵ひんやり手の中に  優嵐

暑いと感じるほど気温の高い日が続いていましたが、立冬の夕方から少し気温が冬らしいものになってきました。アートワークの合宿研修での気づきについてもう少し書きます。書くことによって自分が気づいたことをさらに確認することができます。また時には書きながら初めて気づくということもあります。言葉の持つ力にはいつも驚きます。

しかし、それと同時に言葉はしょせん言葉だということも今回の合宿で気づいたことでした。言葉は有効なツールですが、すべてを説明することはできません。リアルな世界を説明する地図のようなものです。その点では、科学も数字もありとあらゆる人間のツールは一種の地図です。それで世界のすべてを説明することはできません。

言葉を追いかけるあまり、地図と現実世界を取り違えることのないようにしなければと思いました。リアルな世界は地図のように一面的でわかりやすいものではありません。もっと多面的で不可思議で、人間はその一部を見ているにすぎません。だからこそ「すべてはOK」なのであり、偶然は無いのです。

今回の合宿では、いくつかシンクロニシティのような体験をしました。こういうことに気づき始めたのは2009年の春からです。誰もがこういうことにずっと出会いながら生きているはずですが、こちらに受け取る準備ができていなければ流れていってしまうものだろうと思います。

岡山へ車で向かう時、山陽自動車道の降り口を通り越してしまいました。どうもまずいことになったと思いつつ吉備SAに入りました。道路情報サービスで確認しようと思ったからです。車を停めて建物に入ろうとしたとき、近くのスピーカーから『六本木心中』が流れてきました。それを聞いて「よし、大丈夫」と思いました。

『六本木心中』は坂井泉水さんがデビュー前にビーイングのオーディションで歌った曲です。2009年春の大きな心理的転換のきっかけにZARDの音楽がありました。なぜなのか、それは今でもわかりません。人に説明しようにもこんな変な話があるだろうかと自分でも思うほどですから、うまく説明できません。しかし、それ以後彼女は私にとっては「導き手」なのです。

実際、その後無事研修会場に遅刻することもなく到着できました。そして、わざわざ降り口を間違って吉備SAに入ったことが、結果的に帰路で全く別のことに対して助けになりました。ここでも偶然は無い、と思いました。

また、研修に持っていったバッグのポケットからオリエンテーリング用のコンパスが出てきました。以前、アウトドアの遊びに出かけるときに使っていたバッグのひとつで、コンパスを入れ忘れていたのでしょう。しかし、ここで「コンパス」か、と思いました。コンパスが象徴するものを考えると、何か感慨深いものがあります。

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□◆□…優嵐歳時記(2724)…□◆□

  播磨灘沖のみ光る冬隣   優嵐

今日は立冬です。アートワークの研修で気づいたことをさらに書いていきます。アートワークでは毎回その場で何かの「アート」を作ります。今回は数日に渡るグループでのワークだったために、プログラムは初日の自己紹介的なものに続いて、一種のくじでグループ分けを行いました。このグループによってその後の共同制作をします。岡山と大阪(東京の方もいらっしゃいました)のメンバーが半々に入っているというのがグループ分けの条件でした。

二日目からは近所の公園に行き、自分が気にとめたものをスケッチしました。次に何をするか、は指示されないままにスケッチして戻ると、「このスケッチをもとにストーリー性のある物語を作って発表してください」という課題をもらいました。制作は夜も含めて丸一日の時間があります。

スケッチはスケッチで済むのかと思っていたら、「それを元にその要素を入れて物語を作る」という思いがけない展開になりました。これは、予測できない状況の進展を象徴しています。また、共同作業に関して言えば、岡山のメンバーは研修場所まで毎日通ってきますから、帰らなくてはいけません。お子さんを迎えに行ったり、仕事の都合で抜けたりする人もあります。宿泊している人たちも入浴やその他いろいろな事情でずっと制作場所にいるわけではありません。

このプログラムの進展は人生状況そのままだ、と感じました。今自分が属しているいろいろなグループ、家族、隣人、仕事仲間、その他何でもいいですが、そのすべてがいわば偶然のくじ引きで当たったようなものです。時代、国、性別、社会階層…そういうものが、もう気がついたらそこにあった、という状況で私たちは人生を始めます。そして人生が進展していくに従って状況は思いもかけない展開を見せることがほとんどです。

「こうなったら、こうしよう」とか「これがこうだったらよかったのに」と私たちは未来や過去を見ていろいろ考えます。しかし、状況は刻々と今の中で変化します。その変化に沿っていくのが「いまを生きる」ということです。そして、実際に「今しか生きられない」のです。

IMG_2236<いまを生きる>
「いまを生きる」
「悔いないように精いっぱいやる」
「二度とないこのときに集中する」
そういう言葉をよく聞く

ではそれは具体的にどのように生きることなのか

やってくるものを
その都度判断せず
柔軟に受け止めてそれに沿っていく
それが「いまを生きる」ことなのではないか

そのとき精いっぱいにできない状況にあったなら
「今は精いっぱいにできない状況なんだなあ」と認める
できない状況を何かのせいにしたり
できればよいのにと苛立ったりしない

今のありのままを見つめて認める
それが「いまを生きる」ということ

□◆□…優嵐歳時記(2723)…□◆□

  行く秋の旅の荷物は軽くして   優嵐

秋も終りというのにとても暖かい日が続いています。上着すら不要で、雨がちであったにもかかわらず、動くと汗が出るような週末でした。岡山でのアートワークの研修から日曜の午後に帰って来ました。高速道路を使えば二時間とかからずに戻ることができます。車の旅の手軽さは、乗り換えや待ち合わせで時間をとられずに済むことでしょう。

アートワークでは、自分で何かに気づいていくことが一番のポイントになります。同じ場所で同じようなことをやったとしても、そこで何に気づくかは個人によって大きく異なり、同じ経験というのはありえません。人の内面的経験というのはその人独自のものです。それと同時にすべてはつながっているということもそこにあります。内面と外面は切り離されておらず、単なる偶然というのもありません。

研修での気づきはいろいろありましたが、今回の私にとっては「来たものに沿っていく」ということでした。何かを準備して完璧にやろうとするのは大事なこととされます。それは確かにそうなのですが、それと同時に、今ここにある状況、突如として起こるハプニング、事情、思いがけない出来事、そういうものも受け止めて、それを両輪にして「今」の中に乗っていくということが大事ではないかと思いました。

ハプニングや不測の出来事というのは、歓迎されざること、できれば避けたいことと考えがちです。しかし、実際に生きている場面ではそれが連続するのであり、その中で思いもかけないものが生まれてきます。状況を柔軟に受け止めるある種のアドリブ性、そういうものが導きの糸をつかんでいくのにいいのではないでしょうか。「すべてがOK」という言葉の意味はそこではないか、と思います。

IMG_2217<トリックスター>
目標を持ち計画を立て準備万端整えて
かっちり推し進めていくことは
すばらしいことと思われがちだ

いきあたりばったりではならない
手間隙かけて
じっくり妥協せず

確かにある面ではそういうことが正しい
しかし
状況にはいつも「トリックスター」が登場する

厳密な五カ年計画がたいてい頓挫するのは
リアルな状況はそれではとらえきれないから

状況は動き変化し変幻自在に移り変わる
それに沿うには
自由に何ごとも受け入れる姿勢がいる

□◆□…優嵐歳時記(2722)…□◆□

  秋の陽の静かに一葉散るときも  優嵐

秋は間もなく終りですが、ここ数日暖かい日が続いています。随願寺の梅林が少しずつ紅葉し、ちらほら散るものも出てきています。梅林のあずまやに座って見るともなくぼんやり梅を見ている静かな時間が好きです。

今日から週末まで岡山へ行きます。アートワークの岡山クラスの人たちとの合同研修に参加します。そのため、月曜までブログの更新をお休みします。これまでは外で使えるモバイル用の通信カードを持っていたために旅先からも更新していました。しかし、あまり外出しなくなり、モバイルカードの契約をやめました。

次にパソコンを買い替えればWiMAX搭載タイプのものになりますので、もう通信カードは不要です。たまにインターネットから離れるというのも気分一新でいいものと思います。『優嵐スケッチブック』の絵はすでに日曜の分まで描きあげて予約登録済みです。ですから、絵は更新されますので見に来てくださいね。

このブログのサイドパーツの「フォト蔵」には、『優嵐スケッチブック』にアップしている最新百作が表示される仕組みになっています。これを見ると、わずか百日前であっても自分の絵が確実に変わっているのがわかります。絵が変わるというのは、自分が変化していることの目に見える証拠です。

考えてみれば、自分が変化しているということがはっきりわかったことなど、幼い子どもの時以来なかった現象です。変わろうとして変わっているわけではありません。毎日描く絵だから、自然にその変化が見えるのです。

□◆□…優嵐歳時記(2721)…□◆□

  境内に背丈揃えて菊並ぶ   優嵐

随願寺の境内ではいろいろな菊が咲きそろっています。花壇に咲き乱れている小菊には、黄、薄紫、赤、ピンクなどがあり、鉢植えの大輪の菊は黄、白、紫が整然と並んでいます。

園芸種の菊は春になるたびに植え替えて新しい土で育てるなど手間をかけないと見事な花を咲かせることはできません。「菊作り汝は菊の奴かな」という句があるほどです。しかし、手がかかる子ほど可愛いというのは、菊にもあてはまるのでしょう。

IMG_2239<ひらめきと努力>
天才は1%のインスピレーションと99%の汗
といったのはエジソン

「人間は努力が大事」という意味だとする
解釈が長く信じられてきた
しかし最近
努力などより最初のひらめきが肝心
という意味だとの解釈を聞いた

実際にはどちらも欠かせない
二つは車の両輪

ひらめきは一瞬だが
努力は長期間の継続を要する
だから時間的には1%と99%

ひらめきが導くところを信じて
倦まず弛まず平凡な努力を続ける
そういうことだろう

□◆□…優嵐歳時記(2720)…□◆□

  コーヒーにチョコレート添え秋惜しむ   優嵐

「秋惜しむ」と同様の季語に「春惜しむ」があります。日本人は昔から春と秋を愛してきました。秋が過ぎ行くことには春と異なり、寂寥感、わびしさといった感覚が伴います。

DVD-RAMにデジカメのSDカードの中身を記録しようとしたら、できなくなっていました。記録の読み出しはできますが、書き込みができないのです。サービスセンターに電話して丁寧に教えていただきましたが、結局、パソコンの書き込みを司る部分に何か問題があるのだろう、ということが判明しました。そろそろ買い替え時かもしれません。

DVD-RAMもパソコンもPanasonicのもので、書き込みのソフトはB's Recorder GOLD8です。このソフトを作っていた会社はすでに無く、今ではソースネクストがこのソフトを引き継いでいます。こういう業界の流れの速さを痛感しました。ただ、今回のサポートセンターの応対の素晴らしさから、パソコンもDVD-RAMもこの次もPanasonicの製品を使おうと思いました。

IMG_2207<機転>
コンピュータが近い将来人間を超える
そう予言していた科学書がある

コンピュータの誕生から今までの進化を見よ
人間の進化とは桁違いというのだ
そのときはそうだろうと納得していた
今はそうは思わない

コンピュータの演算能力が幾何級数的に進歩し
量子コンピュータが現れたとしても
コンピュータが人間を超える日はこない

人間の知能の基盤は暗黙知である
言葉で説明できないものに支えられている
計算によって生まれる人工知能とは違う

機転がきいたり感動するコンピュータは無い
どれほど早く計算できても
計算方法というレールを誰かが敷いてやらないと
コンピュータは動けない

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