優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年12月

□◆□…優嵐歳時記(2776)…□◆□

  行く年を追いし如くに雲流れ   優嵐

大晦日です。毎年、年末年始はどこかへ出かけて過ごすことにしています。今年は奈良で新しい年を迎えます。日常の中ではなかなか新春気分というのも味わえなくなってきていますので、こういうのはいいものです。そんなわけで、元日はブログの更新をお休みします。『優嵐スケッチブック』の方は、千枚描画継続中なので、もう大晦日と元日の分は予約してあります。見に来てくださいね。

Windows7にまだ十分なじんでおらず、特にデジカメで撮影した画像の処理に戸惑い気味です。XPまでは手元で管理するという感じでしたが、Windows Liveが入ってネット上で管理し、画像の処理もサイトへのアップもそこから行うというシステムにまだ慣れません。ウェブとシームレスにつながるようになっているんだなと感心しています。こうして道具が進化することによって、触発されることもいろいろあるものです。

IMG_2553<絵描き元年>
一年の終わりに
過ぎ去った一年を振り返る

この一年といえば
生まれてこのかた
これほど絵を描いた年はなかった

子どものときだって
これほど絵を描いたことはない

絵描き元年



□◆□…優嵐歳時記(2775)…□◆□

  年の瀬や霞みて遠き淡路島   優嵐

今日は小晦日(こつごもり)です。年の瀬という感じになってきました。クリスマス寒波がおさまって、近畿圏では年末年始は穏やかなお天気になりそうです。もう年末の帰省ラッシュは始まっているのでしょう。一昨日も昨日もガソリンスタンドが賑わっていました。

クレパスで絵を描くのにひとつ助けになりそうな道具を見つけました。チョークホルダーです。一番よく使われるのは学校の先生でしょう。会社などではホワイトボードが主流になっていますが、学校ではまだまだチョークです。チョークは落とすと折れますし、短くなると書きにくい、そこでこのホルダーというわけです。チョークによる手荒れも防げるとのことです。

チョークは建築の現場でも使われているらしく、これを見つけたのはホームセンターでした。はさまれている丸いチョークを見ているうちに、クレパスがぴったりはまるのではないかとひらめきました。案の定、これにはさむとクレパスをまるで中字のマーカーのように持って描くことができます。指先に持って書くよりは腕への負担は少なくなるでしょう。クレパス同士が触れ合って色がつくのも防げます。

IMG_2509<おおつごもり>
明日はおおつごもり
大晦日と書いて「おおみそか」とも
「おおつごもり」とも読む
大晦日には「大歳」「除日」との呼び名もある

多くの言葉があるということは
それだけその日が特別の日だということ
新しい年を迎える
そのことが日本人にとっては
とても特別なことであり続けてきた

終わろうとする年を「行く年」といい
新しい年を「来る年」と呼ぶ
まるで一年が親しい客人のようではないか


□◆□…優嵐歳時記(2774)…□◆□

   新しきパソコン届く年の内   優嵐

「年の内」とは、今年ももう残り少ないという意味です。それでもそれほど押し迫ったという感じではありません。新しいレッツノートが届きました。この文章は新しいパソコンで入力しています。今まで12.1型のノートを使っていたものが、15.6型のフルHD画面になりました。まあなんといってもその画面の美しさに驚きました。今までのXPの画面がくすんで見えます。

画面があまりに広々としていて、このブログを出してみたら横長の間延びした画面になり、びっくりしました。自分のパソコンのディスプレイでしかブログを見ていませんが、いろいろなサイズで見れば見え方が随分違い、印象が変わるものだろうと思います。

また、キーボードもこれまでのサイズより横に長くなり、デスクトップのような雰囲気です。広々としすぎて、キーの打ち間違いが多く、慣れるのにしばらく時間がかかりそうです。ほんのちょっとした違いなのですが、人間の感覚は微妙なものだ、と思います。すぐに慣れるでしょうけれど。今までのものは、本当に「ノート」という感じでしたが、今度のものは1880gあり、「百科事典」という感じです。

IMG_2547<肩凝り>
腱鞘炎の腕をかばっているうちに
肩が凝ってきた

これまで自覚症状が出るような
肩凝りに見舞われたことはない
カタコリナンテシラナイヨ

ところがどうにも
肩甲骨のあたりが重苦しい
これが人々のいうカタコリなのか

指と腕はつながっており
腕と肩はつながっている
人間の身体はばらばらの部品ではない
そんな当たり前のことを
いまさらながらに思い知る



□◆□…優嵐歳時記(2773)…□◆□

  雪嶺となりて輝く遠き山   優嵐

寒波は少しゆるんできたようです。増位山の頂に立って北を見ると、笠形山まで雪化粧をしていました。播磨では中部あたりの山で、姫路城の心柱が昭和の大修理のときにここから切り出されました。普段は雪などほとんど降らないところに位置する山ですが、きっと大雪でしょう。

腕の調子は薄紙をはぐように少しずつ良くなっています。絵も描けますしキーボードも打鍵できます。しかし、まだちょっとした動作で違和感を覚えることがあります。これは多分、腱鞘炎なのだと思います。筋肉痛というのではありません。テニス肘も腱鞘炎の一種です。どの部分とはいえないまでも、ウェブで腱鞘炎について調べると、そうらしい、と納得しました。

くり返しの動作がよくないらしく、キーボードやマウスといった、それほど大きな力を必要としないように思われる動作でも発症します。油性ボールペンで筆圧を強くして大量に書くと、指や手首の腱鞘炎になります。それで昔の作家は、ほとんど筆圧のいらない太字の万年筆を愛用していたのでしょう。筆で文字を書けばいいのかもしれません。

こじらせると後々ややこしく再発しやすく、手術しても完治しない人があるといいますから、無理は禁物です。関節や筋肉が硬かったり凝っていたりすると腱鞘炎になりやすく、予防のためにストレッチが大事です。指や手首をよく使う楽器奏者も腱鞘炎になりやすいとか。腕や指のストレッチを軽視していましたが、これからは心がけて指、手首、腕、肩のストレッチを欠かさないようにしようと思います。

IMG_2545<左手>
マウスを左手仕様に変えた
考えてみれば
もう一本手があり
同じような構造をしている

すべてを右手ですることはない
もっと左手に活躍してもらおう
そうすれば左手はうれしいし
右手の負担は軽くなる

世の中だってそういうことは
いっぱいあるんじゃないだろうか

□◆□…優嵐歳時記(2772)…□◆□ 

  本堂に門松立ちぬ随願寺   優嵐

クリスマスの夜は激しい風が一晩中吹き続けていました。日本海側は荒れた天気になったことでしょう。家から見える、但馬との境になる山々は、一日中雪の雲の下に隠れていました。気温は真昼でも5℃までしかあがらず、昨日より寒い日でした。

こんな日でも、いえ、こんな日こそ増位山の山頂は暖かです。頂の木々が北西方面だけ切り払われていないために風がさえぎられ、南からの日差しがよくあたって、まさに陽だまりです。梅林までおりてくると、周囲の落葉樹はすべて葉を落として空が広々と見えます。この中へあと一ヶ月もすれば梅が咲き始めます。

境内の日陰の部分にはお昼も霜柱が残っており、さくさくと踏んでその感触を楽しみました。霜柱は地表近くの水分が凍ってできたもので、霜とは由来が違います。ふと本堂に目をやると門松が立っていました。クリスマスが過ぎると街は一気に迎春モードになります。風はお昼前にはやんで、夕方には西の空に二日月が出ていました。

IMG_2539<門松>
門松は一里塚である
今年も一年
振り返ればいろいろあった

いいことも
それなりのことも
みんなそのときに必要だった

ご苦労さん

次の門松が見られるかどうか
それは誰にもわからない

でも
それにむかって
また歩き出そう

□◆□…優嵐歳時記(2771)…□◆□

  クリスマス風強けれど明るき陽   優嵐

クリスマスの日も冷えました。イブとは違い終日風が強く、これで残っていた葉も全部落葉でしょう。落葉樹が葉を落としてしまうと、森はすかんと空が透いた感じになります。後は春を待つばかりという風情の明るい森が私は好きです。一日いいお天気で日差しがあり、夕暮れがはっきりと遅くなっているのがわかりました。寒さはこれからピークに入って行きますが、太陽はもう陰の極を脱しています。

インターネットでパソコンを注文しました。年内に届けば、ありがたいですね。今回もレッツノートですが、今使っているものよりは大きなものにしました。

Letsnote CF-B10Eシリーズ CF-B10EWADR
B005J80Q7A


以前と違いあまり外へ持ち出すことがなくなったので、重さもバッテリーの持ちもそれほど気にせず、今回は画面の大きさで選びました。Windows7を使うのが楽しみです。

IMG_2534<果報>
ヒントは意外なところに転がっている
探そうと思わずに
ぼんやりぶらぶら
そうしているとふっとひっかかるものがある
果報は寝て待て


□◆□…優嵐歳時記(2770)…□◆□

  枯葎騒がせ鳥の羽ばたきぬ   優嵐

クリスマスイブの朝は、布団の中にいても外が非常に冷えていることがわかりました。窓を明けると真っ白に霜が降りています。一瞬、雪かと思うほどのこの冬一番の強霜でした。霜は、物体の表面が冷やされることで、空気中の水蒸気が氷の結晶として堆積したものです。風が弱く晴れて放射冷却が発生し、気温が5℃以下まで下がると、地面付近の温度は気温よりも数℃低い0℃以下となり、霜が降ります。

日中も風はありませんでしたが、気温はあまり上がらず、お昼の外気温は7℃でした。増位山に行って山頂に立つと、どこからか雪の雲が来て眼下の街や田園、山河に雪を降らせながらするすると移動して行きました。雪のしぐれとでもいえばいいでしょうか。播磨灘には陽が差しており、光と影の変化が美しく、見ていて飽きません。

IMG_2394<交代>
そろそろ交代の時期
パソコンがそう知らせてくる
新しいパソコンに替えるとき

日本人は道具にもすべて
魂が宿っていると感じている
それは理屈じゃなく
私たちの魂が感じること

車にもパソコンにも魂が宿っている
だから
新しいものと交代させるときは
感謝して引退してもらう

□◆□…優嵐歳時記(2769)…□◆□

  寒波急沖金色に輝やける   優嵐

冬至の日から寒くなった気がします。週末はいちだんと気温が下がるらしく、クリスマス寒波といえそうです。寒波がくると瀬戸内は確かに冷えますが雪はほとんど降りません。空気が澄んで空の色が深みを増します。時おり寒波の雲が低く頭上に流れてきますが、そういうときは播磨灘の沖がきらきら
光ってとてもきれいです。

腕の調子は徐々に軽快してきているように思えます。通常の生活にほとんど支障はなく、時々ほんのちょっとした動作に違和感がある程度です。オイルパステルの描写が腕に負担をかけた理由のひとつに気温があります。暖かい時期はオイルが柔らかく簡単に塗り伸ばすことができました。それと同じ調子で描いたのが腕の過労になったのでしょう。

IMG_2463<流れに沿う>
お昼前に散歩に出ようと思ったら
時雨れた
お昼ごはんを食べてから
散歩に行こうとしたら
また時雨れた

これは行くなというサイン
押し通すことはない
世界が告げることに従うというのは
そういうこと

自分の意志というものを
振りかざして立ち向かわない方がいい
意志というものだって
どこから生まれたものかわからない
流れに沿ってみる

一時間後
いや三分後の未来だって
誰も予測できないのだから

□◆□…優嵐歳時記(2768)…□◆□

  冬の陽を湛え播州平野かな   優嵐

昨日は冬至でした。曇り勝ちの一日で、いっそう日中の時間が短く感じられました。晴れていても曇っていても山へ散歩に出かけます。落葉が散り敷いている道をとりとめのないことを考えながら歩くのは楽しいひとときです。頂からは市川流域の平野部が一望できます。ほぼ毎日来ていても必ずどこか違っていてだから飽きることがありません。

先日皆既月食がありました。天体の特異な現象も興味深いものですが、毎日同じように見える身近な自然が、少しずつ季節の巡りをはらんで確実に姿を変えていることを見つけるのは面白いものです。今日からもう日中の時間が少しずつ長くなっていきます。もし日照が年中全く同じ状態だったら随分つまらないだろう、と思います。

IMG_2524<変化と流れ>
人は安定と静止を求めがちだ
どこかに到達して
確実な何かを手にして
ほっとそこに安らぐ

それは幻想である
生命に安定と静止はない
生命は過程であり動的だ

常に変化し流れ動く
それが真に生きているということ


□◆□…優嵐歳時記(2767)…□◆□

  傾ぎつつ水仙咲いて香を放つ   優嵐

随願寺の境内では半月ほど前からスイセンが咲いています。今は、スイセン、サザンカ、ヤブツバキが境内の花です。真冬でも花が絶えてしまうということはありません。サザンカに虻が来てしべの間に潜りこみ、蜜を吸っていました。出てくると、満足そうに口のまわりを何度もぬぐっていました。

森の落葉は終り近くなっています。黄色いタカノツメやコシアブラの葉も地面に落ちて褐色になりつつあります。年内には葉を落としきってしまうでしょう。山上の公園で枇杷の花が咲いています。うすぼんやりとした冬の日差しがよく似合います。梅林の梅は落葉のあと、一ヵ月後の開花にむけて花芽を充実させています。かたわらのヤブツバキはもういくつも花を咲かせては落ちています。

IMG_2519<わらしべ>
「転んでもただでは起きない」という言葉がある
実際のところ
「転ぶからただでは起きない」のではないだろうか

転んでただで起きる人はいない
誰もが転べば手にわらしべをつかむ
そういうことになっている

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