□◆□…優嵐歳時記(2796)…□◆□
蟷螂の卵いくつも寒の枝 優嵐
今日は大寒です。昨日は比較的暖かく、中綿入りのジャケットを着て山道を歩いていると汗ばんできました。梅林の梅の蕾はどんどん膨らんでいます。その枝を見ていたら、あちこちにカマキリが産みつけている卵が目につきました。葉があるときは気づきませんでした。蕾も卵も春を待っています。
昨日、Apple社が教科書用のツールを発表したという記事を読みました。去年の春、電車の中で雑誌や新聞、書籍を読んでいる人がほとんどいないのに気がついたことを思い出します。紙の出版物は近い将来消えると実感しました。この記事を読み、想像以上に早くその時代はやってくるかもしれない、と思いました。こういう分野は動き出すとあっという間です。
今は生まれたときからネットがある環境に育った人とそうでない人が共存している時代です。子どものときからネットとともに育った人にとっては、ウェブをはじめとするデジタル関連サービスは母国語のようなものです。スマートフォンが進化して、いつでもどこでもネットに接続できる世の中が実現しようとしています。ネットはもう電気や水道と同じ生活のインフラといえます。
学校環境の中でこうしたツールが身近になることは、単に紙が消えるだけでなく、現在のようなハードウェアとしての学校が消える可能性もありえる、ということです。今の学校という仕組みは、人々を一箇所に集めて一斉に働かせる近代工業社会の要請にあわせて誕生しました。ベルとともに大勢の人間が一斉に同じ活動をします。それ以前の社会では、人々はそんなことをする必要はありませんでした。
今、働き方はどんどん変わっています。iPadで動くこの教育ツールを見たら、黒板も教壇もいらなくなるんじゃないか、と思いました。大勢が教室に詰め込まれる必要もありません。通学する必要もなくなります。そうすると、登校拒否という問題も消えますね。教師がいらなくなるという意味ではありません。どんなにネット関連の技術が進んでも、道具はあくまで道具です。しかし、教師が今までとはかなり異なる方法でアプローチしなければならなくなるのは確かでしょう。
もし、ハードウェアとしての学校がなくなったら、子どもはどこで社会性を身につけるのか、ということになるかもしれません。しかし、学校がない時代から人々はずっと社会性を身に着けてきたのだから、方法や手段が変化するだけでしょう。それに現在の社会性というのは、ネットが無かった時代とは変わってきています。今、子ども(大人も)が覚えるべきルールのひとつがネット環境でどうふるまうかということです。個人情報を守るにはどうすればいいのか、SNSでの発言をどうすべきか、オンライントラッキングにどう対処するのか、そういうネット以前には考えられなかったような課題が新たに生まれています。

蟷螂の卵いくつも寒の枝 優嵐
今日は大寒です。昨日は比較的暖かく、中綿入りのジャケットを着て山道を歩いていると汗ばんできました。梅林の梅の蕾はどんどん膨らんでいます。その枝を見ていたら、あちこちにカマキリが産みつけている卵が目につきました。葉があるときは気づきませんでした。蕾も卵も春を待っています。
昨日、Apple社が教科書用のツールを発表したという記事を読みました。去年の春、電車の中で雑誌や新聞、書籍を読んでいる人がほとんどいないのに気がついたことを思い出します。紙の出版物は近い将来消えると実感しました。この記事を読み、想像以上に早くその時代はやってくるかもしれない、と思いました。こういう分野は動き出すとあっという間です。
今は生まれたときからネットがある環境に育った人とそうでない人が共存している時代です。子どものときからネットとともに育った人にとっては、ウェブをはじめとするデジタル関連サービスは母国語のようなものです。スマートフォンが進化して、いつでもどこでもネットに接続できる世の中が実現しようとしています。ネットはもう電気や水道と同じ生活のインフラといえます。
学校環境の中でこうしたツールが身近になることは、単に紙が消えるだけでなく、現在のようなハードウェアとしての学校が消える可能性もありえる、ということです。今の学校という仕組みは、人々を一箇所に集めて一斉に働かせる近代工業社会の要請にあわせて誕生しました。ベルとともに大勢の人間が一斉に同じ活動をします。それ以前の社会では、人々はそんなことをする必要はありませんでした。
今、働き方はどんどん変わっています。iPadで動くこの教育ツールを見たら、黒板も教壇もいらなくなるんじゃないか、と思いました。大勢が教室に詰め込まれる必要もありません。通学する必要もなくなります。そうすると、登校拒否という問題も消えますね。教師がいらなくなるという意味ではありません。どんなにネット関連の技術が進んでも、道具はあくまで道具です。しかし、教師が今までとはかなり異なる方法でアプローチしなければならなくなるのは確かでしょう。
もし、ハードウェアとしての学校がなくなったら、子どもはどこで社会性を身につけるのか、ということになるかもしれません。しかし、学校がない時代から人々はずっと社会性を身に着けてきたのだから、方法や手段が変化するだけでしょう。それに現在の社会性というのは、ネットが無かった時代とは変わってきています。今、子ども(大人も)が覚えるべきルールのひとつがネット環境でどうふるまうかということです。個人情報を守るにはどうすればいいのか、SNSでの発言をどうすべきか、オンライントラッキングにどう対処するのか、そういうネット以前には考えられなかったような課題が新たに生まれています。
