◆春分
春分の日の朝は晴れて放射冷却がおこり、冷えていました。窓をあけると一面の霜でした。日中もいいお天気でしたが気温はさほどあがりませんでした。このところ、暑さと寒さが長く続き、春秋の過ごしやすい時間が短くなっている気がします。
アートワークで大阪へ行っていました。今日は参加者が3名で、じっくり振り返りの時間をとりました。一月から三ヶ月かけて参加者が交互にファシリテーターになってきました。通常、こういうことをすると、ファシリテーターになった人は「何かをやる→反省する→次に活かす」というステップをとります。ただ、それとは少し違う方法があります。
「何かをやる→自分の内側を変化させる」というあり方です。アートワークで何をやっているのか、といえばこれに集約されます。アートワークの結果、何かを自分が感じる、それは自分が見えているものであり、その段階で自分が見せられているものです。見せられているものから自分がその意図を汲み取って自分の内面を変化させていく手がかりにします。
内面が変化すれば、何かが次に全く別の姿をとってやってきても、今度は違う形の対処ができます。表面の行動(do)を変えることに注目するのではなく、その基盤にある自分のあり方、ものの見方(be)を変化させれば課題に対し臨機応変の対応ができるようになります。
アートワークという手がかりによって、自分のあり方に気づき、今何を変える必要があるのかに気づいていく。人生は多分、実人生の課題を通してこれを私たちに問いかけているのだと思います。うまくやること(do)が大事なのではなく、何かを前にして自分がどうあるか(be)ということ。そして、自分のあり方が変われば課題は課題自身で姿を変えます。
このことは、とてもシンプルなことなのですが、頭でわかっていても腑に落ちるまでには手間隙がかかります。自分自身、なんとなくおぼろげにそういうことなのではないか、と気づき始めた程度のところにいます。振り返りの中で、アートワークには「到達点」はない、という話がでました。
日本の武道や「道」と呼ばれるあらゆるものには、最終的な到達点はありません。過程そのものが目的であり、過程の中の動きを通して自分が気づく瞬間瞬間こそがひとつひとつの到達点です。修行とはそういうものであって、アートワークもそういうものなのです。こういうことに気づいてきたということだけでもアートワークをはじめてよかった点です。

春分の日の朝は晴れて放射冷却がおこり、冷えていました。窓をあけると一面の霜でした。日中もいいお天気でしたが気温はさほどあがりませんでした。このところ、暑さと寒さが長く続き、春秋の過ごしやすい時間が短くなっている気がします。
アートワークで大阪へ行っていました。今日は参加者が3名で、じっくり振り返りの時間をとりました。一月から三ヶ月かけて参加者が交互にファシリテーターになってきました。通常、こういうことをすると、ファシリテーターになった人は「何かをやる→反省する→次に活かす」というステップをとります。ただ、それとは少し違う方法があります。
「何かをやる→自分の内側を変化させる」というあり方です。アートワークで何をやっているのか、といえばこれに集約されます。アートワークの結果、何かを自分が感じる、それは自分が見えているものであり、その段階で自分が見せられているものです。見せられているものから自分がその意図を汲み取って自分の内面を変化させていく手がかりにします。
内面が変化すれば、何かが次に全く別の姿をとってやってきても、今度は違う形の対処ができます。表面の行動(do)を変えることに注目するのではなく、その基盤にある自分のあり方、ものの見方(be)を変化させれば課題に対し臨機応変の対応ができるようになります。
アートワークという手がかりによって、自分のあり方に気づき、今何を変える必要があるのかに気づいていく。人生は多分、実人生の課題を通してこれを私たちに問いかけているのだと思います。うまくやること(do)が大事なのではなく、何かを前にして自分がどうあるか(be)ということ。そして、自分のあり方が変われば課題は課題自身で姿を変えます。
このことは、とてもシンプルなことなのですが、頭でわかっていても腑に落ちるまでには手間隙がかかります。自分自身、なんとなくおぼろげにそういうことなのではないか、と気づき始めた程度のところにいます。振り返りの中で、アートワークには「到達点」はない、という話がでました。
日本の武道や「道」と呼ばれるあらゆるものには、最終的な到達点はありません。過程そのものが目的であり、過程の中の動きを通して自分が気づく瞬間瞬間こそがひとつひとつの到達点です。修行とはそういうものであって、アートワークもそういうものなのです。こういうことに気づいてきたということだけでもアートワークをはじめてよかった点です。
