優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2012年03月

春分
春分の日の朝は晴れて放射冷却がおこり、冷えていました。窓をあけると一面の霜でした。日中もいいお天気でしたが気温はさほどあがりませんでした。このところ、暑さと寒さが長く続き、春秋の過ごしやすい時間が短くなっている気がします。

アートワークで大阪へ行っていました。今日は参加者が3名で、じっくり振り返りの時間をとりました。一月から三ヶ月かけて参加者が交互にファシリテーターになってきました。通常、こういうことをすると、ファシリテーターになった人は「何かをやる→反省する→次に活かす」というステップをとります。ただ、それとは少し違う方法があります。

「何かをやる→自分の内側を変化させる」というあり方です。アートワークで何をやっているのか、といえばこれに集約されます。アートワークの結果、何かを自分が感じる、それは自分が見えているものであり、その段階で自分が見せられているものです。見せられているものから自分がその意図を汲み取って自分の内面を変化させていく手がかりにします。

内面が変化すれば、何かが次に全く別の姿をとってやってきても、今度は違う形の対処ができます。表面の行動(do)を変えることに注目するのではなく、その基盤にある自分のあり方、ものの見方(be)を変化させれば課題に対し臨機応変の対応ができるようになります。

アートワークという手がかりによって、自分のあり方に気づき、今何を変える必要があるのかに気づいていく。人生は多分、実人生の課題を通してこれを私たちに問いかけているのだと思います。うまくやること(do)が大事なのではなく、何かを前にして自分がどうあるか(be)ということ。そして、自分のあり方が変われば課題は課題自身で姿を変えます。

このことは、とてもシンプルなことなのですが、頭でわかっていても腑に落ちるまでには手間隙がかかります。自分自身、なんとなくおぼろげにそういうことなのではないか、と気づき始めた程度のところにいます。振り返りの中で、アートワークには「到達点」はない、という話がでました。

日本の武道や「道」と呼ばれるあらゆるものには、最終的な到達点はありません。過程そのものが目的であり、過程の中の動きを通して自分が気づく瞬間瞬間こそがひとつひとつの到達点です。修行とはそういうものであって、アートワークもそういうものなのです。こういうことに気づいてきたということだけでもアートワークをはじめてよかった点です。

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風光る
週明けは晴れました。久しぶりのはっきりとした晴天でしたので、光がさらに明るくなったのを感じました。少し風があり増位山の頂からは淡路島までよく見えました。「風光る」とは、陽光が強くなり吹く風がきらきらと輝いて見え、風景がまばゆさをましてくるさまをとらえた季語です。今日は春分です。日中はもう暖房器具がなくても過ごせるようになっています。

昨日、交差点で事故を目撃しました。信号の変わり端、横断歩道を渡り初めていた人のところへ乗用車が突っ込んで来ました。乗用車は直線道路をまっすぐ走ってきましたから、信号の見落としか脇見運転でしょう。幸いそれほど大きなケガは無かったようですが。一昨日、私も運転していてひやりとした瞬間がありました。二日続けて交通事故に接近したので、これは何かに注意しろということだと自分自身を振り返っています。

この世はすべてが織りあわされている巨大な織物のようなものです。自分と完全に切り離されているものはなにひとつなく、単なる偶然というものもありません。これらをすぐそばで経験したことの意味を、しばらく心に留めておこうと思います。

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彼岸参
週末ははっきりしないお天気が続きました。ばっと雨が降るわけでなく、晴れてしまうわけでもなく。その合間をぬってお墓参り(彼岸参)に行ってきました。お墓参りというもの、亡くなった方のためというよりは、生きている者たちのためのもの、という気がします。

さて、音声通訳システムからさらに連想が広がって、いろいろ考えました。社会の変化とはこういうものなのでしょう。未来予測が大方外れる(特に長いスパンになればなるほど外れる)のは、いつもその段階では考えられもしなかったようなものが突如として現れるからです。それがシステムを変え、社会を変えていきます。

また、ある時点ではほんのささいなことと思われていたことが時間がたつにつれて巨大な差異を生み出していきます。どんなに長いスパンでものを考えられると思っている人でも、その時点で生まれていないものを予測することはできません。そして、今ある事実関係がそのまま進むと仮定して将来を予測するため、その予測はほとんど意味を持ちません。

「神の見えざる手」というのはこれだろうと思います。短いスパンに最適化しすぎると破滅します。一連のバブルがそうですし、あらゆるもので「そのとき一番人気があるもの」というのは、間もなく翳るものです。翳るものは目の前に見えていますが、これから満ちてくるものは残念ながら人間には見えません。

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彼岸太郎
彼岸太郎とは、彼岸の初日のことです。昨日はお昼すぎまで雨が降っていました。大雨と予報されていたそうですが、それほど激しい雨は降らず、午後からは日も差して来ました。さすがにやや暖かくなった気がします。

昨日、音声通訳システムに関して書きましたが、この記事と同じ時期にブリタニカ百科事典の書籍版の発行が停止されたというニュースが載っていました。紙が知識や情報を載せて伝達する媒体だった時代が終わろうとしています。デジタルによってフィルムカメラが駆逐され、老舗のカメラメーカーのいくつかはカメラの生産から撤退しました。

ソニーやパナソニックがカメラを作る時代が来るなんてちょっと前までは考えられませんでした。これと似たことがあらゆる分野で起こるのだと思います。音楽や出版が今そういう波にさらされています。今回の音声通訳システムの話を聞いて、今まではそういうことと関係ないと思っていた業界がデジタル&インターネットの波に洗われて変わっていくのだろうと思いました。

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彼岸前
今日は彼岸の入りです。春分の日、秋分の日を中日として前後三日間ずつの七日間を彼岸といいます。彼岸は仏教思想に由来します。この間を彼岸会としてお寺やお墓に詣でます。この風習はインドや中国にはなく、日本では聖徳太子の時代に始まったといわれています。お彼岸の準備なのか、増位山の自然歩道でシキミを採って帰られる人に会いました。彼岸にはシキミ、お正月前にはウラジロを採取される方をよく見かけます。

さて、紙の本が近い将来ほぼ消滅するだろう、と以前から思っていましたが、英会話学校や教材が先になくなるかもしれません。マイクロソフトが「その人の声」でリアルタイム通訳できるシステムを開発したといいます。まだ改良の必要な点はたくさんあるようですが、こういう記事になっているということは、遠からず実現するはずです。

以前から、ウェブの翻訳システムを使っていて、これがさらに進んだら、外国語学習の必要性はなくなるのでは、と思っていました。日本語と英語間の翻訳では、文法構造が大きく違うためウェブの翻訳システムは時々意味不明になります。きちんとした翻訳にはまだまだ人の力が必要です。しかし、だいたいの意味がわかることも多く、旅行会話くらいなら十分使えます。

音声通訳システムとはうまいと思います。片言の会話ができる程度の音声通訳システムをスマートフォンにでも組み込めば、英会話教材のシェアを奪うことができるのではないでしょうか。日本人が英語学習に費やしている時間とお金は膨大です。その市場の一角に全く違う形で入れるとしたら有望なビジネスです。

外国語教育が完全にいらなくなるというわけではありません。ネイティブなみに話せる、一種の特殊技能者は必要です。しかし、日本で通常の暮らしを送る人が日常会話を英語でできるようになる必要はありません。この音声通訳システムが普及すれば日本人の巨大な英語コンプレックスも変わるような気がします。

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梅が香
お昼にオートミールを食べました。生鮮食料品というのは、気をつけて消費しますが、乾物類というのは、意外に忘れているものです。目にしていても「まあ、まだいいか」という感覚になりやすい。棚や引き出しを片付けていると、「ん?」という乾物に会います。昨日のスパゲティもそうでしたが、今日のオートミールもそのクチでした。

オートミールを和風にしました。一食は30g程度、200mlのお湯に入れ、葱、小エビ、乾燥わかめなどそのほか何でもさっと火を通すだけのものを入れてだしの素で味付ければ、お粥のようになります。味のついていないナッツ類を入れてみたらこれも結構あいました。

断捨離を実行して、部屋はビジネスホテル的になっています。がらーんとしている。それでも、断捨離というのは到達点ではなく、継続する<生活のスタイル>なんだと実感しています。心がけてそれをやりつづけないと、いつの間にか生活に贅肉がついてきます。

IMG_2966<幸せ>
絵を描きあげて窓の外を見たら
雨が降り出していた
気づかなかった

そして思うのだ
あの瞬間が
ひとつの幸せのときだったと

幸せを求めてはならない
幸せは知らないときにやってきて
やわらかく包んでくれる

私たちがそれに気づくのは
それが去った後
幸せはそれ自身で存在するのではなく
何かの背後に隠れている



梅林
水曜日はよく晴れて暖かくなり、梅林に観梅の人の姿がありました。梅の姿が最も梅らしいのは、蕾を残しながらちらほらと花が開いているころではないかと思います。直線的に伸びる枝に丸い蕾が並んでいるのがいいですし、開き始めたふくよかな花もいいです。

昼食にスパゲティを食べました。賞味期限ぎりぎりのものがあることに気づいて、先日の葱ベーコンなめこ蕎麦をアレンジしました。スパゲティを通常のようにゆで、葱とベーコンとなめこを炒め、双方をうどんスープに入れて食べました。うどんスープで<葱ベーコンなめこスープスパゲティ>です。これはこれで美味しくいただけました。

プロの作る料理には繊細なこだわりがあります。先日読んだ『ディープピープル 赤』には寿司職人さんの話が載っていました。専門の寿司店で食べる握り寿司のご飯は、炊いて釜の底にあたっている部分は捨ててしまうという話に驚きました。彼らも「もったいないなとは思いますが」と言っていました。しかし、”作品としての料理”とはこういうものなのだろうと思います。

IMG_2954<透明な時間>
キッチンタイマーを活用して
細切れ時間に掃除をしている

3分間だけなら
億劫だと思っていたことに手をつけられる

短時間しかないと思っていても
意外なほどいろいろなことができる

時間が無いのじゃなく
そこにあるのに見えていなかったのかも

淡雪
三月半ばに思わぬ冷え込みです。お昼の外気温は6℃。昼前から雪になりました。春の雪を「淡雪」といいます。雪はひとときだけでしたが、その後も気温はあがらず、真冬のようでした。

朝、奇妙な夢を見ていました。夢は奇妙なものですが、さらに奇妙でした。私は山道を歩いています。そうすると向こうから長いあごひげをはやした男たちがバックパックを背負ってやってきます。バックパックは現代のものなのに、服装というのが真っ白の古代人が着ていたようなものをまとっています。彼らがアッカドの人だというのが私にはわかり、色が黒くてひげが巻き毛だったということだけが残っています。

覚えている夢というのはそれくらいですが、目が覚めて思ったのは「なんでアッカド?」ということでした。アッカド人とは、古代メソポタミアに住み着いて、BC2300年ごろ初めてそこに統一国家を作った人たちです。こういうことは検索すればわかりますが、世界史でちらっと名前を聞いたことがあるだけの彼らとなぜ夢の中で会うのか。バックパックを背負ったアッカド人というのも奇妙な姿です。

納豆サンドイッチ、作りました。パック入りの納豆(だし、辛子つき)にベーコンとマヨネーズを入れ、食パンの上にのせて焼いたので、オープンホットサンドですね。ベーコンはスライスではなく、塊のものを小さな立方体に刻み、先に軽く炒めてから混ぜました。ベーコンと納豆の風味が溶け合って美味しかったです。

IMG_2940<梅に降る雪>
梅林に立っていると
雪が激しくなってきた
囀りも今はやみ
あらゆる音を雪が吸収して静かだ

紅梅と白梅と降る雪と
その中に包まれて立っている
満ち足りた豊かなひととき

八重紅梅
増位山ドライブウェイのかたわらの八重の紅梅が満開になっています。咲き始めが遅かったので、何か桜のような咲き方です。道路にちらほらと花びらが舞っていました。梅の場合は次は桜だなと思いますが、桜なら散ればもう青葉の時期です。ドライブウェイに車を停めて梅を楽しんでいる方がありました。週末は梅林でも三脚を持って撮影されている人を見かけました。

昨日のお昼は納豆オムレツを作りました。卵2個にパック入りの納豆とタレを入れて普通のオムレツのように作ります。納豆はけっこういろいろ使えて、納豆チャーハン、納豆カレーも楽しめます。納豆お好み焼きというのもなかなかいいです。今日はサンドイッチの日なんだそうです。納豆サンドイッチでも作りますか。

IMG_2925<催眠>
考えてみると
厳密に自分のものだといえるものは無い

物質レベルに限ってみても
自分を構成している物質そのものが
瞬時も同じではないからだ
分子レベルでは「私」は常に変わっている

自分というものが
常に移り変わっているとしたら
私という確たるものがあると思っている
そのこと自身が幻想だ

それならば
その幻想が主張する
「私のもの」とは何なのか
自らが自らにかけている手の込んだ催眠

春時雨
日曜日の朝は久しぶりに青空でした。そのまま晴れが続くのかと思っていたら、お昼前からくもって時雨模様になりました。時雨は降ったりやんだりする通り雨です。冬の季語なので、春になれば頭に春とつけて詠みます。傘をさすほどの雨ではなく、すぐにやんで午後からは日差しが戻りました。

お昼ごはんに蕎麦を食べました。いただいた干し蕎麦を茹で、具にはネットで見た葱ベーコン蕎麦というものを参考に、ここへさらにナメコを加えました。これらをさっといためて掛けそばに入れます。これが簡単でおいしいのです。もちむぎ麺もいただいているので、次はそれで作ってみようと思っています。

IMG_2889<元凶>
部屋をすっきり保つコツは
床にものを置かないこと
椅子の生活なら
机にものを置かないこと

出して使ったら
その手で収納する
ちょっと一息
またすぐに使うから

それが部屋をカオスにする元凶


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