優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2012年04月

山吹
ヤマブキは晩春のころ低山の林の縁に群生して黄色い花を咲かせます。明るい黄色が好まれるのか、八重のものが庭に植えられたりしています。樹木ですが、茎は細くてやわらかく先端は垂れてきます。ソメイヨシノよりやや遅く咲きながら桜前線を追うように北上します。

増位山随願寺の一角にもヤマブキが咲いています。ソメイヨシノが散ったあと、今日は近くでシャガが咲き出しているのを見つけました。週末の風雨もあり、ヤマザクラは完全に花を落としきっていました。ソメイヨシノもほぼ葉桜です。オオシマザクラもほぼ花は終わりでした。残っているのはシダレザクラの一部、さらに最も遅く咲くカスミザクラがちらほらと花を咲かせ始めていました。

月曜日は快晴で、山は萌えだした木々の緑が明るく陽に映え、心が浮き立ってくるような情景でした。カエデも葉を広げ始めており、それを横から下から眺めて滴るように新鮮な緑を堪能しました。

IMG_3534<豊かさ> 
物や金をたくさん持っている人間が
豊かな人ではない
時間と空間を持っている人が豊か

「つながり」も同様
トモダチが大勢いる人より
ひとりで充足できる人が豊か

春筍
筍は竹の地下茎から出る新芽です。初夏が最盛期ですが、発芽時期の早い孟宗竹などは、西日本では春の終わりごろから食べられます。地上に顔を出す前に掘られるのでやわらかく美味です。この筍を輪切りにしてさっと煮たものをいただきました。筍のおいしさはほどよい歯ざわりです。

子どものころは筍をはじめ山菜類はみんな苦手でした。あんなものどこが美味しいのかと思っていましたが、今はおいしいと感じます。味覚は変わります。それと同じようにすべて変わっているのです。子どものころ美味しいと思ったお菓子など、今同じものを出されても、とても食べる気がしないだろうと思います。

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桜蘂降る
近所のソメイヨシノは花の時季を終え、蘂を落としています。市川の川原では菜の花の黄色が鮮やかです。例年よりも花が多く見えるのは、昨年秋の大水の影響かもしれません。平地では八重桜が咲き出しています。少し暑さを覚えはじめる春の終わりの時期に、あの厚みを持った花の美しさはふさわしく感じられます。

IMG_3481<メッセンジャー>
神様の声を聴くことができるのは
特別の能力を持った人だけではない
誰もが常にその声を聞いている

聞いてはいるのだが
多くの場合それと気づかない

情報を追いかけるのではなく
向こうからやってくる偶然に耳を澄ます

神様は空の上にいる老人ではなく
この世界に満ち溢れている
だから
どんなものでも
メッセンジャーになりえる


黄蝶
金曜日は雨が降ったりやんだりのはっきりしないお天気でした。散歩には出かけませんでしたので、この句は木曜日の情景です。ヤマザクラの白い花びらが絶え間なく降るなか、それに溶け込むように飛んでいました。雨でヤマザクラはかなり散っただろうと思います。

先日大阪で購入したアクリルジェッソをMDFボードに塗りました。これまで下塗りには建築用の水性アクリル塗料を使っていました。絵画用のジェッソとどのように違うか試してみようと思いました。

IMG_3428<人間らしさ>
動画サイトを見ていると
随分ばかばかしく思えることを
まじめにやっている映像がかなりある
それを面白がって大勢の人が見ている

何の役に立つのかさっぱりわからないことを
せっせとやるのが
もしかしたら最も人間らしいことかもしれない


晩春
随願寺の境内ではソメイヨシノの向こうでヤマブキが咲いています。梅林のかたわらのヤマザクラの巨樹はさかんに花びらを散らす時期に入っており、この週末で花はほとんど終わりでしょう。カエデの下での花吹雪のひとときを楽しんできました。花の時期はゆったり花を眺めながら歩くため、散歩の時間が五割増しになります。それもそろそろ終わりです。

コバノミツバツツジが咲き並ぶ道を頂まで登ると、ナミアゲハが飛んでいました。初夏が近いと感じました。夏になるとここの頂は真昼には各種のアゲハが集って飛んでいます。冬は暖かく、夏は蝶の楽園です。

IMG_3483<過剰であること>
メール依存症から脱け出すために
メールボックスを開きにくくするといいという
SNS依存症から脱け出すためにも
似たようなことが必要なのだろう

人類はここ半世紀で生活習慣病という
新たな脅威に直面するようになった

人間はずっと飢餓と欠乏に備えてきた
私たちの身体はそれに最適化されている
それなのに半世紀前から
突如カロリー過多と運動不足が襲ってきた

運動のための運動をする
いかに食べないかを考える
百年前なら考えられなかった事態
それと同じことが最近
情報の世界で起こってきた

二十世紀までは
情報はいかに素早く数多く集めるかが大事だった
人とのつながりも同じ
多くの人と知り合いコネクションを築く

ところがすべて過剰になってしまった
頻繁に簡単にそこにあるために
ジャンクフードを食べずにはいられないように
私たちは情報と関係性に耽溺してしまう

メールやSNSを開く回数を制限することは
トレーニングシューズに履き替えて
ワークアウトに出かけるようなもの

人間は過剰よりも不足に対応する方が巧みだ
きっとすべてがそうなのだろう


枝垂桜
随願寺の境内には何本かのシダレザクラがあります。植樹されてから日が浅いため、人の背丈よりも低いものもあります。いくつか種類が異なるのか、まだぽつぽつとしか花を咲かせていないものもあります。ソメイヨシノが好まれる理由のひとつに木が若い時期から花をつけるという性質があるようです。

増位山の頂から周囲を見ると、山肌に見えていたヤマザクラの花の色がかなり少なくなっていました。芽吹いた落葉樹の葉の色がそれと入れ替わっています。今頃からゴールデンウィークが過ぎるあたりまでの山の緑の変化は目まぐるしいものです。山全体が若々しいエネルギーに満ちています。

山はコバノミツバツツジの花盛りです。ヤマザクラは背が高いため、遠くから眺め渡してその存在を確認しました。それ以外は足元に花びらが散っていて見上げてそこにある花に気づくだけでした。しかし、ツツジはほぼ人の身長ほどの範囲に咲いていますから、歩いているとよく目につきます。

今日も梅林のかたわらのカエデの下に座って、頭上高くに広がるカエデの若葉が作り出す陰の変化を楽しんできました。そこへ隣にあるヤマザクラから離れたサクラの花びらがひらひらと舞い散り、王朝みやびもかくやと思えるような優雅なひとときを過ごしました。

IMG_3494<嘘>
この世界で最も大規模に信じられている嘘は
「人は誰かとの繋がりの中でこそ幸せでいられる」
というものだ

人が誰かとの絶対的なつながりを必要とするのは
生後間もなくの間だけである
自分ひとりでは動くことも食べることもできない間

人は自分ひとりのときにこそ
ほんとうの幸せを感じられる
そうでない人は誰かによりかかって
幸せっぽいものを探そうとする

幸福は誰かや何かがもたらすものではない
幸せに「なる」ことはできるが
幸せに「する」ことは不可能
ひとりで幸福感を見出せない人は
どのような関係の中にもそれを見出せない

花びら
桜が咲いて春も終わりに近づいているのですが、例年より寒く感じます。月曜の夜も四月半ばだというのに、真冬とあまり変わらない寝具で暑いと思いませんでした。火曜日はお昼過ぎに雷雨がありました。先日の雷と異なり何度も雷鳴がしてかなり雨が降りました。その後気温が下がり、夕方から宵のうちは強い風が吹いていました。

家の近所の桜は雷雨と風でほぼ散りました。お昼まではいいお天気でしたから、増位山のヤマザクラを見に行っていました。桜は絶え間なく花びらを降らせています。隣のカエデの緑が目に鮮やかで、その下に座ってカエデの新葉が展開していくのを見ていました。その間もずっと桜の花びらは降り続けています。心地よい春風が吹き、空は青く日差しも快適で、このままずっとここでこうやってぼーっとしていたいと思いました。

IMG_3474<他愛ないこと>
目が覚めたときあることに気づいた
何だそんなことだったんだ

いったん気づくと
それはあまりにも他愛ないことで
どうしてそんなことに
今まで気がつかなかったんだろうと思う

何かが変わっているわけではない
自分の目の前にあることは
それ以前と全く同じ
それなのに自分の視点が変わったために
それは違って見える

楓芽吹く
土曜日に梅林のかたわらのカエデの高木が芽吹いているのに気づきました。この日は晴天で高いところで芽吹いているちいさな葉とその向こうの青空との対比を楽しむことができました。月曜日は曇り空で、カエデの葉も少し大きくなっており、あの芽吹きと青空の対比はあの日しか楽しめない贅沢な瞬間だったのだ、と思いました。

ヤマザクラは満開に近づいています。梅林の周囲には何本かヤマザクラの巨木があります。梅林からよく見える位置にあるもう一本も七分咲きほどになっていました。山頂に続く道のかたわらにはコバノミツバツツジの赤紫色の花が目につくようになりました。サクラにつづいてこの花で、その後はモチツツジが咲きます。そしてフジが花房を下げるようになるとやがて夏です。

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花陰
日曜日はアートワークのために大阪へ行っていました。桜は落花さかん、の状態ですが、電車の窓からはあちこちの花の様子を楽しめました。大都会の真ん中にもちょっと場所があれば必ず桜が植えられていて、日本人の桜好きがしのばれます。

私にとっては四年目のアートワークになります。継続しているのは、やはりそこで見えてくるものがあったからです。アートワーク以前もいろいろ考えたり行動したりしていました。しかし、状況を見る見方というものが自分の中でつかめていなかったために、結局堂々巡りという状態でした。今も何か特別なことができるようになったわけではありません。ただ、やってくる状況をどう見るのかという見方のコツが少しずつわかってきたかもしれない、と思っています。

新年度になってメンバーが少し入れ替わり、これまでの経緯や今年度の抱負などを話し合ったあと、ワークをやりました。陶芸用の粘土を使って自分の横たわった状態の像を作り、その後それを立たせるというものでした。像を作りながら、陶芸用の粘土がなかなか落ち着いて固まってくれず、しだいに飽きてきました。

像そのものを作って学ぶことがあるのですが、それ以前に制作しながら自分の嗜好、強みと弱みということについてあらためて気づきました。私は飽きっぽく、粘り強くひとつのことを継続してやり続けるのが苦手なタイプです。長く続いているように見えることも、それはひとつのものを単発的に完結して次の新しいものへ進むという形で続いているのです。そういうのが自分にはあっているのだろう、と思いました。自分が努力をするならば、そういう形の努力ができるよう工夫するのが賢明だろうと気づきました。

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山桜
梅林のかたわらのヤマザクラが本格的に花を開いてきました。まだ梅林には梅が残っているので、双方の競演が楽しめます。梅の香りは強く、花がほとんどなくなっても梅の木の間を歩くと、そこはかとなく梅の香りがします。花びらが舞い散っているので、桜かと思いましたが、梅でした。梅も桜も同じバラ科で花はよく似ています。梅もしおれて枝に残っている姿はあまり見ません。シベが桜に比べると長くて目立つものの、花びらは桜同様花吹雪状態になります。

このヤマザクラの花が散り始めるとあたりは花びらに覆いつくされ、雪が降っているようです。ヤマザクラに目をやっていると、その向こうにあるカエデの巨木も芽吹いているのがわかりました。カエデの芽吹きのときの美しさは新緑の中でも随一です。カエデを見上げていると、モリアオガエルが鳴いているのが聞こえました。

どこか遠いところへ行くのもいいですが、身近にひとつ頻繁に訪れることができるフィールドを持っていると楽しめます。二年か三年ほど過ぎると、そこの自然の周期が身にしみ込み予測がつくようになります。そろそろあの花が咲く、あの鳥が来る…。それらの持っている自然のものならではの美しさ、これは人工物には求められないものです。

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