2012年10月
【3399】晩秋の森に響きし詩吟の稽古
【3398】澄む秋のインターネットは集合知
◆澄む秋
普段使っているブラウザはFireFoxです。Windows7なので、IEも入っていますが、通常は使いません。理由は広告をブロックができる簡単な拡張機能が使えないからです。IEでご覧の方には、この記事の下に広告が表示されていると思います。広告ブロック機能を使うと、これが消えます。FireFoxもChromeもこれらの機能をインストールできます。こうすると画面がすっきりします。
長らくIEが不動の一位だったブラウザの世界でグーグルのChromeが、世界規模のシェアではすでに逆転しているそうです。私は表示、広告ブロックの仕方などに関してFireFoxの方が好みなので、こちらを使っています。
PCの選択肢に非Windowsマシンというのはありえませんでした。というのも未だにIEでしか接続できないサイトがかなりあるからです。しかし、これも裏道があります。FireFoxにもChromにもIE Tabというものがあり、これを拡張機能として組み込めば、IEでしか表示できないページも閲覧できます。これならそのページを見るためにその都度IEを立ち上げる必要はありませんし、この先Windowsが入っていないタブレットを使うことも視野に入れられます。
世の中にはいろいろなことを知っている人がいます。自分の身体で実際に使うオイルパステルのようなものは、情報のみでは限りがありますが、こうしたインターネット上のツールは、詳しい人の情報に助けられます。実にありがたい。Macのユーザーはどうしているんだろう、と思いましたが、同様の機能があるようですね。

普段使っているブラウザはFireFoxです。Windows7なので、IEも入っていますが、通常は使いません。理由は広告をブロックができる簡単な拡張機能が使えないからです。IEでご覧の方には、この記事の下に広告が表示されていると思います。広告ブロック機能を使うと、これが消えます。FireFoxもChromeもこれらの機能をインストールできます。こうすると画面がすっきりします。
長らくIEが不動の一位だったブラウザの世界でグーグルのChromeが、世界規模のシェアではすでに逆転しているそうです。私は表示、広告ブロックの仕方などに関してFireFoxの方が好みなので、こちらを使っています。
PCの選択肢に非Windowsマシンというのはありえませんでした。というのも未だにIEでしか接続できないサイトがかなりあるからです。しかし、これも裏道があります。FireFoxにもChromにもIE Tabというものがあり、これを拡張機能として組み込めば、IEでしか表示できないページも閲覧できます。これならそのページを見るためにその都度IEを立ち上げる必要はありませんし、この先Windowsが入っていないタブレットを使うことも視野に入れられます。
世の中にはいろいろなことを知っている人がいます。自分の身体で実際に使うオイルパステルのようなものは、情報のみでは限りがありますが、こうしたインターネット上のツールは、詳しい人の情報に助けられます。実にありがたい。Macのユーザーはどうしているんだろう、と思いましたが、同様の機能があるようですね。

【3397】親芋をやわらかく煮て夕餉とす
【3396】支えられ黄菊のやがて大輪に
【3395】宵の口耳を澄ませばすがる虫
◆すがる虫
秋も末となり、夜の虫の声も途絶えがちになってきました。初秋のころ暗くなってくるといっせいに聞こえたさまざまな虫の声でしたが、昨日はかすかな声がちらっと聞こえただけでした。静寂の季節が訪れようとしています。
絵を描くのに使っているオイルパステル、これまではセヌリエ・オイルパステルとカランダッシュ・ネオパステルを使っていました。それに加えてクレパススペシャリストを購入しました。学童用のクレパスからアーティスト用のオイルパステルに切り替えていくのに、どの製品にすべきかあれこれ迷いました。webでいろいろ調べ、使った人の感想なども読み、思案した結果、最初はセヌリエを買い、その後カランダッシュ、そしてクレパススペシャリストも買ってしまいました。
この中でクレパススペシャリストは角型だったために最初は購入の対象にしていませんでした。昨年暮れに腕を痛め、それ以後オイルパステルを使うときは主にチョークホルダーにはさんで描いてきました。角型だと円筒形のチョークホルダーに挟めないという先入観があったのですが、これが、意外なことに角型の四隅がチョークホルダーの四枚の爪の間にぴたっとはまり、一番しっくりホールドできることに気づいたのです。
セヌリエとカランダッシュを購入しながらなぜあえてクレパススペシャリストも買ったかというと、一番は色の問題でした。セヌリエは48色のものを買いました。120色のセットもあるのですが、非常に高価で二の足を踏んでしまいました。ほんとうに自分にあっているかどうか少し使ってみてから考えようと思いました。
そこで、セヌリエ48色、カランダッシュ96色の色の展開なのですが、双方とも淡いピンク系統の色が少ないのです。セヌリエの48色には「無い」と言っていいくらいです。その一方でグレー系統には色が豊富にあります。クレパススペシャリスト84色とカランダッシュ96色を並べて写真を撮りました。クレパススペシャリストは全体の色が12色も少ないのに、ピンク系統はカランダッシュより多いくらいです。
これらのオイルパステルを比較したブログやHPを見ても、色彩のバリエーションについて書いてあるところはありませんでした。セヌリエとカランダッシュはヨーロッパの製品、クレパススペシャリストは日本製です。ヨーロッパの製品が持つグレーのバリエーションは大変ありがたいですが、それ以外の、特に淡い雰囲気の色はクレパススペシャリストが素晴らしい。
これは日本人とヨーロッパ人の色の好みの違いなのかもしれません。草の葉や緑を描く際の色も私に一番しっくりきそうなのはクレパススペシャリストの色です。描き心地はいずれも滑らかです。多くのwebで言われているほどセヌリエがダントツに滑らかとは感じません。セヌリエはぬらぬらした感触、カランダッシュとクレパススペシャリストはさらさらとした描き心地で似ています。これも好みの問題、どういう絵を描くかで違ってきそうです。結局、情報を集めてみても、買って使ってみないことには、自分にとってどうか、ということはわかりません。
秋も末となり、夜の虫の声も途絶えがちになってきました。初秋のころ暗くなってくるといっせいに聞こえたさまざまな虫の声でしたが、昨日はかすかな声がちらっと聞こえただけでした。静寂の季節が訪れようとしています。
絵を描くのに使っているオイルパステル、これまではセヌリエ・オイルパステルとカランダッシュ・ネオパステルを使っていました。それに加えてクレパススペシャリストを購入しました。学童用のクレパスからアーティスト用のオイルパステルに切り替えていくのに、どの製品にすべきかあれこれ迷いました。webでいろいろ調べ、使った人の感想なども読み、思案した結果、最初はセヌリエを買い、その後カランダッシュ、そしてクレパススペシャリストも買ってしまいました。

セヌリエとカランダッシュを購入しながらなぜあえてクレパススペシャリストも買ったかというと、一番は色の問題でした。セヌリエは48色のものを買いました。120色のセットもあるのですが、非常に高価で二の足を踏んでしまいました。ほんとうに自分にあっているかどうか少し使ってみてから考えようと思いました。
そこで、セヌリエ48色、カランダッシュ96色の色の展開なのですが、双方とも淡いピンク系統の色が少ないのです。セヌリエの48色には「無い」と言っていいくらいです。その一方でグレー系統には色が豊富にあります。クレパススペシャリスト84色とカランダッシュ96色を並べて写真を撮りました。クレパススペシャリストは全体の色が12色も少ないのに、ピンク系統はカランダッシュより多いくらいです。

これは日本人とヨーロッパ人の色の好みの違いなのかもしれません。草の葉や緑を描く際の色も私に一番しっくりきそうなのはクレパススペシャリストの色です。描き心地はいずれも滑らかです。多くのwebで言われているほどセヌリエがダントツに滑らかとは感じません。セヌリエはぬらぬらした感触、カランダッシュとクレパススペシャリストはさらさらとした描き心地で似ています。これも好みの問題、どういう絵を描くかで違ってきそうです。結局、情報を集めてみても、買って使ってみないことには、自分にとってどうか、ということはわかりません。
【3394】団栗を拾い集めし人と会う
【3393】雲ひとつ去り陽の戻る末の秋
◆末の秋
霜降に入って、やはり秋も末だと感じました。今朝は気温が低く、薄手のフリースシャツの上にスウェットを着ました。11月に入れば早朝は暖房が要るようになるかもしれません。夏の暑さを避けて早朝に活動するようになったわけですから、寒さも最も早く訪れるでしょう。それでも早朝から活動開始するというのはいいです。静かな時間帯に目覚めた後の新鮮な頭で物事を始めることができます。
夜よりも朝の方が能率があがる、というのは確かです。リズムが出来上がってしまえば、早起きは苦になりません。午前4時ごろから起きていれば、朝からどこかへ出かけるときも慌てず用意をして出られます。一日を余裕を持って始められるのです。

霜降に入って、やはり秋も末だと感じました。今朝は気温が低く、薄手のフリースシャツの上にスウェットを着ました。11月に入れば早朝は暖房が要るようになるかもしれません。夏の暑さを避けて早朝に活動するようになったわけですから、寒さも最も早く訪れるでしょう。それでも早朝から活動開始するというのはいいです。静かな時間帯に目覚めた後の新鮮な頭で物事を始めることができます。
夜よりも朝の方が能率があがる、というのは確かです。リズムが出来上がってしまえば、早起きは苦になりません。午前4時ごろから起きていれば、朝からどこかへ出かけるときも慌てず用意をして出られます。一日を余裕を持って始められるのです。

【3392】うとうととすれば迫りし秋の暮
◆秋の暮
昨日は一日雨になるのかと思っていたら、午後三時ごろから突然雲が切れて晴れてきました。日暮れが早くなり、ちょっと遅めに昼寝をすると、もう夕暮れの気配になっています。
(1)
日曜のアートワークについて書きます。この日は絵葉書を使ったワークでした。まず最初に大量の(100枚以上はあったでしょう)異なる種類の絵葉書を並べてその中から一枚選びます。その絵葉書から思い浮かべる言葉を書いていき、その絵葉書を選んだ理由などについて発表します。私が選んだのはちょっと懐かしい雰囲気のある文房具店の淡彩画でした(1)。
この絵葉書を選んだのは、今自分が描いている絵のイメージに近かったからです。二年前からほぼ毎日絵を描いて別のブログに発表しています。描く対象も画材も描いていくうちに少しずつ変わっています。最初は身の回りの品物を描いていたのが、小物はほぼ描き尽くし、その後俳句からの影響で花を描くようになりました。この春夏はずっと花を描き、最初からの描画枚数が千枚を超えました。
秋も半ばを過ぎて花がしだいに少なくなり、今度は周りの建物に目を向けるようになっています。お寺や神社、歴史的な建物などを描き始め、その気持ちを持って街を見れば、姫路にはそういう建物がかなりたくさんあることに気づきました。この先は花と並行してしばらくこういう建物を描くつもりです。
子どものころ、自分の街なんてつまらないと思っていました。こんなところを抜け出してどこか素晴らしいところへ行きたい、ずっとそう思っていました。自分で外へ出かけていける身になると、日本や世界のいろいろなところへ行きました。仕事を変わった2005年以前まではそういう状態が続いていました。結果、「どこか素晴らしいところ」というのはどこにも無いと思います。日常をつまらないと思っているなら、どんなリゾート地であろうとそこに暮らせばそこが日常になるわけですから。
自分の街の建物を描くようになって、自分の血肉はこの風土が育んだもの、ここが自分のルーツ、自分の内側、自分の芯につながる場所は全世界のうちのどこでもなくここである、と感じるようになりました。多くの場合、人は外に何かを求めます。ここではないどこか、自分ではない誰か、それが「ナニカスバラシイモノ」をもたらしてくれると思うのです。しかし、そうではありません。
こういうことは、書物などで何度か読んだことはあります。しかし、なかなか実感できませんでした。それは理屈であって、恵まれた成功者だからそんなことがいえるんだと思っていました。しかし、今は実感としてそれがなんとなくわかります。絵を描き始めたのはある日突然、何のきっかけもありませんでした。ただ、今となっては描くことによって学んだことは多かったし、これからも多いだろうと思います。
(2)
二つ目のアートワークは同じく絵葉書を使ったもので、今度は裏返しにして絵柄を見えないようにして、どれか一枚を選ぶというものでした。それから受けた印象を書きました。私がこのとき手にしたのが白い波頭を見せて砕けようとする波を写したこのカードでした(2)。アートワークをやるようになって、やってくるものを信頼するということが体感できるようになりました。
必要なものは与えられるということ、自分であれこれ画策しなくてもそれが必要ならやってくるということです。それが現在の社会的な価値基準から見て望ましいものかそうでないものかは別です。自分のエゴは社会的価値基準としてスバラシイと思えるものを求めますが、そういうものと自分の本質にとって必要なものとはかなり違う場合があります。一見最悪だと思えるようなことが実はもっと長い目で見れば必要なことであったりします。
昨日は一日雨になるのかと思っていたら、午後三時ごろから突然雲が切れて晴れてきました。日暮れが早くなり、ちょっと遅めに昼寝をすると、もう夕暮れの気配になっています。
(1)

この絵葉書を選んだのは、今自分が描いている絵のイメージに近かったからです。二年前からほぼ毎日絵を描いて別のブログに発表しています。描く対象も画材も描いていくうちに少しずつ変わっています。最初は身の回りの品物を描いていたのが、小物はほぼ描き尽くし、その後俳句からの影響で花を描くようになりました。この春夏はずっと花を描き、最初からの描画枚数が千枚を超えました。
秋も半ばを過ぎて花がしだいに少なくなり、今度は周りの建物に目を向けるようになっています。お寺や神社、歴史的な建物などを描き始め、その気持ちを持って街を見れば、姫路にはそういう建物がかなりたくさんあることに気づきました。この先は花と並行してしばらくこういう建物を描くつもりです。
子どものころ、自分の街なんてつまらないと思っていました。こんなところを抜け出してどこか素晴らしいところへ行きたい、ずっとそう思っていました。自分で外へ出かけていける身になると、日本や世界のいろいろなところへ行きました。仕事を変わった2005年以前まではそういう状態が続いていました。結果、「どこか素晴らしいところ」というのはどこにも無いと思います。日常をつまらないと思っているなら、どんなリゾート地であろうとそこに暮らせばそこが日常になるわけですから。
自分の街の建物を描くようになって、自分の血肉はこの風土が育んだもの、ここが自分のルーツ、自分の内側、自分の芯につながる場所は全世界のうちのどこでもなくここである、と感じるようになりました。多くの場合、人は外に何かを求めます。ここではないどこか、自分ではない誰か、それが「ナニカスバラシイモノ」をもたらしてくれると思うのです。しかし、そうではありません。
こういうことは、書物などで何度か読んだことはあります。しかし、なかなか実感できませんでした。それは理屈であって、恵まれた成功者だからそんなことがいえるんだと思っていました。しかし、今は実感としてそれがなんとなくわかります。絵を描き始めたのはある日突然、何のきっかけもありませんでした。ただ、今となっては描くことによって学んだことは多かったし、これからも多いだろうと思います。
(2)

必要なものは与えられるということ、自分であれこれ画策しなくてもそれが必要ならやってくるということです。それが現在の社会的な価値基準から見て望ましいものかそうでないものかは別です。自分のエゴは社会的価値基準としてスバラシイと思えるものを求めますが、そういうものと自分の本質にとって必要なものとはかなり違う場合があります。一見最悪だと思えるようなことが実はもっと長い目で見れば必要なことであったりします。