2013年09月
【4006】澄む秋の峰を渡りて歩きけり
【4005】秋冷の始まる夜のテニスコート
【4004】青空へコスモスいっぱい身を揺らす
【4003】一面の刈田一筋煙たつ
【4002】豆苗は秋の光の差す方へ
【4001】山仰ぐそのうえにあり鱗雲
【4000】稲穂垂る中を駅まで朝の道
◆稲穂
アートワークのために大阪へ行ってきました。秋分の日ですが、それでも日中はまだ暑く感じます。いつも午前中に前回からの振り返りを全員でおこない、それから絵を描きます。しかし、今日は振り返りに非常に長い時間がかかり、絵を描くことなく、振り返りのシェアをしあって終わりました。
前回は自分の中に基準があって、自分では当たり前なのだが他人は違うということ、自分と他人のものさしが違うということについて、最初に絵を描き、その後、二枚目で双方を全体の中で認めて絵に描きました。私にも「どうもこういうのは嫌だなあ」と誰かの振舞いを見て思うことがあります。自分の価値観とは外れていることです。そういうことで、「あそこが嫌」と言い出したらきりもなく嫌なところが出てきます。なぜ自分がそれを嫌なのかを力説してしまったり…。
しかし、それは一方でその部分が自分にとって気になることであり、自分に何かを教えているということでもあります。自分の中にそれと似た何かがあることを形を変えて見ている。今日の会話の中で、そういう何かに出会ったとき、激しく拒絶するのではなく、スペースを空ける、という話が印象に残りました。自分のまわりのスペースをちょっと引き伸ばして、その嫌だと思うものを入れてやれるようなゆるやかさを作る。それによってすべてのことを認める。こういう心構えとういうのは、意外に一番取り組みやすい方法なのかもしれないと思いました。

アートワークのために大阪へ行ってきました。秋分の日ですが、それでも日中はまだ暑く感じます。いつも午前中に前回からの振り返りを全員でおこない、それから絵を描きます。しかし、今日は振り返りに非常に長い時間がかかり、絵を描くことなく、振り返りのシェアをしあって終わりました。
前回は自分の中に基準があって、自分では当たり前なのだが他人は違うということ、自分と他人のものさしが違うということについて、最初に絵を描き、その後、二枚目で双方を全体の中で認めて絵に描きました。私にも「どうもこういうのは嫌だなあ」と誰かの振舞いを見て思うことがあります。自分の価値観とは外れていることです。そういうことで、「あそこが嫌」と言い出したらきりもなく嫌なところが出てきます。なぜ自分がそれを嫌なのかを力説してしまったり…。
しかし、それは一方でその部分が自分にとって気になることであり、自分に何かを教えているということでもあります。自分の中にそれと似た何かがあることを形を変えて見ている。今日の会話の中で、そういう何かに出会ったとき、激しく拒絶するのではなく、スペースを空ける、という話が印象に残りました。自分のまわりのスペースをちょっと引き伸ばして、その嫌だと思うものを入れてやれるようなゆるやかさを作る。それによってすべてのことを認める。こういう心構えとういうのは、意外に一番取り組みやすい方法なのかもしれないと思いました。
