2013年11月
【4141】冬晴れの播丹国境を歩く
◆冬晴れ
一日中晴れて暖かいお天気でした。多可町と丹波市の境に位置する竜ヶ岳に登ってきました。ひょうご100山のひとつです。稜線沿いに隣り合う大井戸山にも行けるので、そちらにも足を伸ばしました。両側の山の鞍部は清水峠という名前で、地蔵尊が祀られています。昔は丹波の氷上地区と播磨の加美地区との間でこの峠を越えて人々が行き交ったのだと思います。このふたつの山の稜線はそのまま播磨と丹波の国境になっています。人は川に沿って住み、山が国を分けていたのだな、と山に登ると実感します。

一日中晴れて暖かいお天気でした。多可町と丹波市の境に位置する竜ヶ岳に登ってきました。ひょうご100山のひとつです。稜線沿いに隣り合う大井戸山にも行けるので、そちらにも足を伸ばしました。両側の山の鞍部は清水峠という名前で、地蔵尊が祀られています。昔は丹波の氷上地区と播磨の加美地区との間でこの峠を越えて人々が行き交ったのだと思います。このふたつの山の稜線はそのまま播磨と丹波の国境になっています。人は川に沿って住み、山が国を分けていたのだな、と山に登ると実感します。

【4140】凩や海金色に輝きぬ
【4139】木枯しを踏む心地する山路かな
【4138】初霜の野に新たなる希望あり
【4137】池眠る畔の紅葉散りつくし
【4136】たっぷりの朱色がうれし冬の柿
【4135】梅の枝剪定されて冬めく日
【4134】人はみな時の旅人芭蕉の忌
◆芭蕉忌
芭蕉の忌日は、他に桃青忌・時雨忌・翁忌などとも呼ばれます。桃青(とうせい)とは芭蕉を名乗る以前に用いた俳号です。本名は忠右衛門宗房といいました。「翁」は、俳聖と呼ばれるほど高名となった芭蕉を尊敬しての言い方かと思いますが、50歳になるやならずで亡くなった人に「翁」はちょっと早いのではないか、と今の感覚なら思います。
芭蕉は伊賀に生まれ、江戸に出て俳諧の宗匠として名をあげるようになりますが、1680年(36歳)ごろからは世捨て人となり、旅に暮らしてその中で俳諧の芸術性を極めようとします。『野ざらし紀行』『おくのほそ道』など、その後は旅の中で句を詠む生活を送り、最期もまた旅の途上でした。

芭蕉の忌日は、他に桃青忌・時雨忌・翁忌などとも呼ばれます。桃青(とうせい)とは芭蕉を名乗る以前に用いた俳号です。本名は忠右衛門宗房といいました。「翁」は、俳聖と呼ばれるほど高名となった芭蕉を尊敬しての言い方かと思いますが、50歳になるやならずで亡くなった人に「翁」はちょっと早いのではないか、と今の感覚なら思います。
芭蕉は伊賀に生まれ、江戸に出て俳諧の宗匠として名をあげるようになりますが、1680年(36歳)ごろからは世捨て人となり、旅に暮らしてその中で俳諧の芸術性を極めようとします。『野ざらし紀行』『おくのほそ道』など、その後は旅の中で句を詠む生活を送り、最期もまた旅の途上でした。
