2014年06月
【4424】山路来てドリンクゼリーを流しこむ
◆ゼリー
土曜日の大峰山には、お弁当の変わりにドリンクゼリーを四つ持って行きました。手軽で素早く栄養補給でき、これは山行にぴったりじゃないか、と思いました。携帯に便利ですし、食べた後のごみの始末も簡単です。
昨日、アートワークのメンバーのTomokoさんからスカイプ経由でOSHO禅タロットの講座を受けました。小アルカナの説明を受けた後、それらを使って今の自分の状態を観ていくリーディングを行いました。自分が観たいことについて、カードに問いかけます。私は、絵を描くことについてたずねてみました。6月に入ってから、別のことで忙しくなっていて、絵を描く時間がなかなかとれませんでした。2010年の秋から急に思い立って絵を描き始めたのですが、ちょっと間があきました。
そのうち自分は絵を描き続けたいのだろうか、と思うようになりました。忙しいから描かなくなったというのは、描かない選択をする理由づけであったのかもしれません。急に絵を描き出してどんどん描いたことの理由がはっきりあったわけではありません。そのときはとにかく描きたかった。それで千枚は一日も欠かさず絵を描こうと思って、それにも到達しました。
私には何かをするときこういう傾向があります。思い立って何かを始めて、一時期熱中してそれを続けます。ところが、あるときふと熱が冷めてしまいます。絵もそういう感じになっているのか、と感じます。自分が何か創作すること、自分の中の創造したいという欲求を外に向って発散できるものを続けていきたい、と思います。絵はその一部であり続けるのかどうか、そのことをたずねたいと思いました。自分が創造したいという気持ちを何によって外側に向けていくのが一番いいのか。
リーディングの練習もかねていますから、違う方法の並びで二度同じことをたずねてみました。不思議ですが同じ意味を持つカードが同じような場所に出てきます。現状は「嘆き」です。意識の表面ではストレスを感じていたり、中途半端で混乱しているといったカードが出ています。しかし、内面では、すべてがつながっている、とか手放すとかいうカードが出て、いま、転換点に来ているのだろうということがわかりました。
自分の今までのやり方(絵の描き方というのではなく、ものごとへの取り組み方)を見直すときなのかもしれません。やりたいと思ったことはこれまで全部やってきました。たいてい思い立って自分ひとりで好きなようにやってきました。カードはそういうやり方はもう十分自分のものにしているから、これからは別の方法を試してみる時期だといっているようです。誰かと共同作業をすること、全体の中の一部として関わることです。それっていったい何なのか、と思います。
カードのリーディングはわかったようなわからないようなところがあります。自分のことを観るのは案外難しい。人は観たいことしか観ないのでブロックされてうまく観られないことも多いようです。自分が何かをすることについて、「これをしたい」というはっきりした方向が見えていれば随分楽です。絵を描きたいと思ってせっせと描いていたころはとても楽しかった。自分の中に何かを創造したいという欲求があるのに、それをどういう手段で外に出してやればいいのかわからない、というのはなかなかしんどいのです。

土曜日の大峰山には、お弁当の変わりにドリンクゼリーを四つ持って行きました。手軽で素早く栄養補給でき、これは山行にぴったりじゃないか、と思いました。携帯に便利ですし、食べた後のごみの始末も簡単です。
昨日、アートワークのメンバーのTomokoさんからスカイプ経由でOSHO禅タロットの講座を受けました。小アルカナの説明を受けた後、それらを使って今の自分の状態を観ていくリーディングを行いました。自分が観たいことについて、カードに問いかけます。私は、絵を描くことについてたずねてみました。6月に入ってから、別のことで忙しくなっていて、絵を描く時間がなかなかとれませんでした。2010年の秋から急に思い立って絵を描き始めたのですが、ちょっと間があきました。
そのうち自分は絵を描き続けたいのだろうか、と思うようになりました。忙しいから描かなくなったというのは、描かない選択をする理由づけであったのかもしれません。急に絵を描き出してどんどん描いたことの理由がはっきりあったわけではありません。そのときはとにかく描きたかった。それで千枚は一日も欠かさず絵を描こうと思って、それにも到達しました。
私には何かをするときこういう傾向があります。思い立って何かを始めて、一時期熱中してそれを続けます。ところが、あるときふと熱が冷めてしまいます。絵もそういう感じになっているのか、と感じます。自分が何か創作すること、自分の中の創造したいという欲求を外に向って発散できるものを続けていきたい、と思います。絵はその一部であり続けるのかどうか、そのことをたずねたいと思いました。自分が創造したいという気持ちを何によって外側に向けていくのが一番いいのか。
リーディングの練習もかねていますから、違う方法の並びで二度同じことをたずねてみました。不思議ですが同じ意味を持つカードが同じような場所に出てきます。現状は「嘆き」です。意識の表面ではストレスを感じていたり、中途半端で混乱しているといったカードが出ています。しかし、内面では、すべてがつながっている、とか手放すとかいうカードが出て、いま、転換点に来ているのだろうということがわかりました。
自分の今までのやり方(絵の描き方というのではなく、ものごとへの取り組み方)を見直すときなのかもしれません。やりたいと思ったことはこれまで全部やってきました。たいてい思い立って自分ひとりで好きなようにやってきました。カードはそういうやり方はもう十分自分のものにしているから、これからは別の方法を試してみる時期だといっているようです。誰かと共同作業をすること、全体の中の一部として関わることです。それっていったい何なのか、と思います。
カードのリーディングはわかったようなわからないようなところがあります。自分のことを観るのは案外難しい。人は観たいことしか観ないのでブロックされてうまく観られないことも多いようです。自分が何かをすることについて、「これをしたい」というはっきりした方向が見えていれば随分楽です。絵を描きたいと思ってせっせと描いていたころはとても楽しかった。自分の中に何かを創造したいという欲求があるのに、それをどういう手段で外に出してやればいいのかわからない、というのはなかなかしんどいのです。

【4423】山行を終えて乾杯生ビール
【4422】廃線のトンネルにある涼しさよ
◆涼し
昨日は、アートワークのメンバーで宝塚市の大峰山に登ってきました。登山口までの途中にJRの廃線跡があり、トンネルも二つあります。このトンネルの中に入ると、ひんやりとしています。外気温よりも確実に数度は低いと思われます。頭上には山があり、それによって太陽熱で温度があがることから免れています。役割を終えたトンネルをワインの貯蔵庫にしているという話を読んだ記憶があります。温度変化があまり無いのでしょう。

昨日は、アートワークのメンバーで宝塚市の大峰山に登ってきました。登山口までの途中にJRの廃線跡があり、トンネルも二つあります。このトンネルの中に入ると、ひんやりとしています。外気温よりも確実に数度は低いと思われます。頭上には山があり、それによって太陽熱で温度があがることから免れています。役割を終えたトンネルをワインの貯蔵庫にしているという話を読んだ記憶があります。温度変化があまり無いのでしょう。

【4421】夕立の雲に夕日の当たりけり
【4420】夏の風本のページをすべて繰る
◆夏の風
部屋にはよく風が通ります。特に夏に南北の窓を開け放てば涼しすぎるくらいに風が通ります。外にいるような風で、壁にかけているカレンダーなども風で飛ばされないようにこの時期ははずしてしまうくらいです。
ここしばらく別のことで忙しく絵を描いていません。6月に入ってからまだ一枚も描いていないと気づきました。俳句も少しスローペースになっています。俳句の場合はそれほど準備もいらず生活の合間にふっとできるのですが、絵はなかなかそういうわけにはいきません。俳句は、だからいい、と思います。何かの片手間ででき、時間も特別な道具もいりません。自分の気持ちを集中させ、ふとやってくる俳句を受け止めればいいんですから。
忙しくても散歩には出かけます。これは一番必要なものだから。

部屋にはよく風が通ります。特に夏に南北の窓を開け放てば涼しすぎるくらいに風が通ります。外にいるような風で、壁にかけているカレンダーなども風で飛ばされないようにこの時期ははずしてしまうくらいです。
ここしばらく別のことで忙しく絵を描いていません。6月に入ってからまだ一枚も描いていないと気づきました。俳句も少しスローペースになっています。俳句の場合はそれほど準備もいらず生活の合間にふっとできるのですが、絵はなかなかそういうわけにはいきません。俳句は、だからいい、と思います。何かの片手間ででき、時間も特別な道具もいりません。自分の気持ちを集中させ、ふとやってくる俳句を受け止めればいいんですから。
忙しくても散歩には出かけます。これは一番必要なものだから。

【4419】夏の蝶無数に乱舞森の道
【4418】はや雲の影に失せたり梅雨の月
【4417】早苗田の揺れる水面に苗小さく
◆早苗田
この土日で近所の田植は半分以上終わりました。水が張られた田の上に植えられたばかりの苗がわずかに頭を出し、頼りなげに揺れています。それでもすぐに大きくなって、水面は見えなくなってしまいます。田植機の動きを見ていると、人間の植えていく動きをなぞっているようで面白いです。昔は一家総出、腰をかがめての重労働だったものが、今では一日で終わってしまいます。昔の人が今の田植機を見たら、さぞ驚くでしょう。
自動運転の車が世に出るのが近いといいます。そうなると随分世の中が変わると思います。運転免許をとるための自動車学校はいらなくなるし、ドライバーという職業も、かつての駕籠かきみたいなものになるかもしれません。飲酒運転、居眠り運転もなくなるし、速度違反の取締りもなくなります。全部車が自分でやってくれるのですから。田植機が当たり前になったように、あと十年か二十年したら、自動運転の車が当たり前になっているかもしれません。
この土日で近所の田植は半分以上終わりました。水が張られた田の上に植えられたばかりの苗がわずかに頭を出し、頼りなげに揺れています。それでもすぐに大きくなって、水面は見えなくなってしまいます。田植機の動きを見ていると、人間の植えていく動きをなぞっているようで面白いです。昔は一家総出、腰をかがめての重労働だったものが、今では一日で終わってしまいます。昔の人が今の田植機を見たら、さぞ驚くでしょう。
自動運転の車が世に出るのが近いといいます。そうなると随分世の中が変わると思います。運転免許をとるための自動車学校はいらなくなるし、ドライバーという職業も、かつての駕籠かきみたいなものになるかもしれません。飲酒運転、居眠り運転もなくなるし、速度違反の取締りもなくなります。全部車が自分でやってくれるのですから。田植機が当たり前になったように、あと十年か二十年したら、自動運転の車が当たり前になっているかもしれません。