優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2015年08月

墓参り
終戦の日の昨日は快晴でした。母方のお墓参りに行きました。母や叔父、従兄弟たちと連れ立って青田の中の道を山の麓の墓所まで歩きます。墓石は強い日差しに焼かれ、光っていました。花を手向け線香をあげ、墓石に冷たい水をかけて、手をあわせました。その後はまた叔父の家に戻り、みんなでテーブルを囲んでいろいろな話に花が咲きました。年に一度、親族が顔をあわせる機会です。

今日は午後から曇って、夕方から雨が降りだしました。明日はそれほど気温があがらないとの予報です。
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虫の声 
お盆のころになると、毎年秋の気配をはっきりと感じるようになります。今週に入ってからは朝夕涼しさが加わり、しのぎやすくなっています。窓を開けていると、夜には陸から海に向かって吹く風が部屋をとおり、扇風機が不要などころか、涼しすぎて窓を閉めるほどです。昨夜は日が落ちてしばらくすると、窓の外からリリリという虫の声が聞こえてきました。極まりの中に次ぎの季節の兆しが少しずつ現われてくる、そういう瞬間が好きです。
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うろこ雲 
昨日、雨が降り、それを境に季節が少し進んだ感じです。7月下旬から8月初旬にかけての猛烈な暑さがおさまり、昨夜は窓を開けていると肌寒いくらいでした。お盆あたりになると、毎年秋の気配がそこはかとなく漂ってきます。まだ残暑がぶりかえす日はあるでしょうが、激烈な酷暑の日々はもう一段落したのではないでしょうか。
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残暑 
日曜日には、但馬の妙見山に登ってきました。山頂も途中もほとんど展望らしいものはありませんでした。妙見山は標高1,139mあり、その八合目にあたる標高800mの地点に名草神社があります。登山道の起点もほぼ同じくらいの標高にあり、山頂を通ってループ状に戻ると神社の境内に出ました。

名草神社の本殿、拝殿、三重塔は国の重要文化財に指定されています。三重塔はかつて出雲大社にあったものです。徳川家光が出雲大社の「寛文御造営」をした際、出雲大社本殿の御用材として妙見山の杉の巨木が提供されました。この時のお礼として贈られてきたものです。高さは23.9m、薄い杉板を重ねて葺いた「こけら葺」です。
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秋驟雨 
土曜日にみたらい渓谷へ行き、帰り際は雷雨になりました。いったん雨があがり、高速道路に乗って、近畿道、山陽道と乗り継いでいきましたが、途中からまた雨が降ってきました。山陽道で西宮から神戸あたりを走っているときは、空の中ほどまでは青空で、西に傾いた日の光が眩しいのに、頭の上には雷雲があって雨が降り続けるという奇妙な空模様でした。
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立秋 
昨日は立秋でした。友人たちと奈良県のみたらい渓谷へハイキングに行ってきました。みたらい渓谷がいかなるところかほとんど知識を持たずに行き、想像以上に素晴らしい渓谷美に感動しました。天川村役場の駐車場に車を停め、そこから少しアスファルト道を歩き、天川川合からみたらい遊歩道に入ります。

ここからはみたらい渓谷に沿って、洞川(どろがわ)温泉まで歩きました。近畿随一の美しさといううたい文句は嘘ではありません。渓流は翡翠色に澄み、そこで鮎を釣っている人や、川遊びに興じている人たちの姿を見ました。渓流沿いに歩いているととても涼しく、水の力は凄いもの、と思いました。

滝が連続するのに、みたらい遊歩道という名前のとおり、それほど厳しいアップダウンはありません。最後は洞川温泉センターに着き、ここで温泉に入りました。歩いている間も、最後は少し雲行きが怪しくなっていました。温泉から出ると、雨が降り始め、天川村役場まで戻るバスに乗っているうちに激しい雨になりました。
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秋隣 
鳥取から二十世紀梨の初売りに来られました。明日が立秋。梨は初秋を代表する果物です。甘くみずみずしい二十世紀をさっそくいただきました。暦のうえの夏は今日で終わりです。猛暑は相変わらずですが、朝夕の日差しには秋の気配が感じられるようになっています。
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原爆忌 
原爆忌が雨だったことというのはほとんど記憶にありません。それほどこの日は晴天が多いです。原爆が投下された日の広島もよく晴れていました。エノラゲイ号は目視で投下目標の相生橋をとらえること、との指令を受けていました。

1945年5月当時、原爆投下候補の都市を選定するに当たって、京都と広島が最有力候補、中でも京都が一番の候補だったそうです。しかし、フィリピン総督時代に京都を訪れたことのあるスチムソン陸軍長官が強く反対。

また、戦後に「アメリカと親しい日本」を構築する上で、京都に原爆を投下するのはふさわしくない、との意見も出ました。トルーマン大統領も反対意見だったようです。日本の古都であり、千数百年以上に渡る長い歴史と、多くの価値ある文化財を有する京都を破壊すれば、日本人の大きな反感を買うと考えたのです。

その結果、目標は小倉、広島、新潟となりました。それでもなお、京都が京都盆地に位置しているので、原子爆弾の効果を確かめるには最適である、として投下を強く求める将校、科学者が多くありました。そのため、7月3日、再び京都が候補地になりました。

7月21日、ポツダム会談に随行してドイツにいたスチムソン陸軍長官は、京都を第一目標とする許可を求める電報を受け取ります。しかし、彼はそれを直ちに却下し、京都の除外が決定しました。京都に代わって候補に入ったのは長崎でした。

そして、7月25日、広島・小倉・新潟・長崎のいずれかの都市に、8月3日ごろ以降の目視可能な天候の日に、「特殊爆弾」を投下する、との指令が出されました。第一目標は広島、第二目標は小倉でした。小倉は、当日上空が八幡空襲で生じた靄により視界不良だったため、長崎が二番目の被爆都市になったのです。
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夏野菜 
猛暑が続きます。しかし、家にいてツクツクボウシの声を聞くようになりました。朝はあいかわらずクマゼミの大合唱ですが。

暑いので、お昼ご飯にはあまり熱いものは食べたくない感じです。KURADASHIでスパゲティを安くたくさん買ったので、最近はそればかり食べています。いっしょに食べるのはいろいろな夏野菜のサラダです。今日はトマトと水菜、それにポールウインナーをカットして入れました。

伊藤ハムのポールウインナーは子どものころ給食によく出ていました。あのころはアルミで端が止めてありましたが、今は随分むきやすくなっています。この食品、なんと9割以上が関西圏で売れているのだそうです。魚肉ソーセージとは違い、成分を見ると、蓄肉(豚肉、マトン、牛肉)、魚肉(たら)となっています。

伊藤ハムは関西発祥の会社ですが、今や全国ブランド。ポールウインナーは70年以上の伝統を持ち、同社の中でも四番目に売り上げが高い商品だそうです。それなのになぜ関西圏だけなのか、マーケティングの専門家にもわからない謎です。
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毎朝、目が覚めるとクマゼミの大合唱の中にいます。クマゼミは日が昇るころから午前10時ごろまでが一番さかんに鳴きます。アパート全体がクマゼミの声に包み込まれていると錯覚するほどの声です。いったいどれくらいいるのか、想像もつきません。

昼に森へ行くと、ツクツクボウシとミンミンゼミが鳴いています。午後になるとヒグラシの声がします。これらは家の周囲ではまだ声が聞こえません。午後から鳴いているのはアブラゼミのようです。兵庫県立人と自然の博物館のサイトでこれらの蝉の声を聞くことができます。
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