優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2017年04月

八重桜
今日は二十四節気の穀雨です。春の最後の節気で、山野はしだいに初夏の様相を帯びてきます。今頃から梅雨入りまでが最も過ごしやすい気候です。暑くもなく寒くもなく日は長くなり、風は心地よく、一日中でも外にいたいと思うのはこんなときです。

今日もよく晴れています。通常の桜が散り、それと入れ替わるように街を彩っているのはヤエザクラです。増位山に登っていくドライブウェイの入口に数本のヤエザクラが植えられています。桜とはいえ、ぼってりとした豪奢な花の雰囲気は通常の桜とはかなり異なります。
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春の山
とてもいいお天気で、お昼は増位山の頂で食べてきました。家の周りはソメイヨシノもほぼ葉桜に変わり、山は緑が萌え出しています。桜が咲く頃の山野は日ごと劇的に様相が変わり、見ているとうきうきしてきます。

頂でお昼を食べていたら、白人男性がひとりやってきました。「こんにちは」と言ったあと、しばらくして、「どちらからですか?」とたずねると日本語が話せません、と言われ地元にいる人ではないんだと気がつきました。

なんとか英語に切り替えて話しました。ドイツのミュンヘンから三週間の予定で日本に旅行に来ていて、東京と富士山へ行き、姫路の後は広島と京都をまわる予定だとのことでした。桜も東京で満喫されたようです。
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昨夜は春の嵐が吹き荒れました。天気予報を見ながら、これで桜のシーズンは完全に終わりだと思いました。今朝窓から周囲の山を見ると桜の色が完全に消えています。明後日が二十四節気の穀雨であり、季節は新緑へと移ります。

浅田真央さんの引退に関しては、今も個人のブログやツイッターでもいろいろつぶやかれていて、それを読みつつ、改めて凄い人だったんだと思いました。「なぜ浅田真央はこれほど人気があるのか」をさらに考察してみます。

世の中は大騒ぎでしたが、意外に真央さん自身は、もう一歩はなれて選手であった自分を見ているような気がします。非常に切り替えの早い人であり、常に前向きに気持ちを変えていける人だと選手仲間や長年取材してきたディレクターなどが語っています。

彼女の選手生活を振り返って、素晴らしい成績を称えつつ、「悲運」に触れているメディアが少なからずあります。若いほど有利な女子フィギュアにおいて、絶好調であった15歳時に2006年のトリノ五輪に年齢制限で出場できなかったことです。

ただ、これを振り返ってみると、それが果たして「悲運」であったかどうか。もし、トリノ五輪に特例で出場が叶い、そこで金メダルをとっていたとしたら、彼女が26歳まで現役を続けることは無かったでしょう。

そのまま10代で引退していた可能性は高いように思います。2010年のバンクーバーまでは続けたかもしれませんが、2014年のソチは無かった可能性が高い。ソチが無かったとしたら、あの伝説のフリーも無かったわけです。

これから何年もたったとき、彼女の戦績でまず語られるのはあのフリー演技です。フィギュアスケート競技という枠を超え、スポーツという枠さえも超え、時代の象徴として語り継がれるのはあの演技しかありません。メダルの色や勝ち負けやそういうものを超越し、絶望から這い上がる人間の姿を表現した究極の演技でした。

金メダリストはオリンピック毎にひとりずつ生まれます。しかし、その金メダルが長い年月記憶されるかというと、そんなことはありません。次の金メダリストが生まれれば、感心はそちらに移り、記憶は流れて消えていきます。

メダルすら無いパフォーマンスがこの先長く記憶される…。彼女のソチのフリー演技は異次元のものです。そのようなことがゆるされるアスリートが何人いるでしょうか。

スポーツ競技において、メディアは薄っぺらなライバル関係とか浪花節めいたお涙頂戴のストーリー、感動秘話なんていうのでスポーツを盛り上げようとしがちです。でもあの夜、あのリンクで彼女が成し遂げたことは、そうした人間の思惑の上の上を行っていました。

ハーフハーフを経て戻ってきたあとの演技については、長年の酷使から膝に故障が出て競技の成績は下降して行きました。しかし、この二年間の演技を見て、彼女のパフォーマンスのレベルがさらに一段あがっていると感じた人は多いようです。浅田真央史上最高のステップは2014年のソチでも埼玉でもなく、最後の全日本選手権の「リチュアルダンス」だと指摘している人がありました。ジャンプがすべて完成して演技の中に入っていたら…。

彼女は未完の作品である「リチュアルダンス」を置いて競技会のリンクを去りました。競技は引退しますが、彼女はこれからもスケートを見せてくれるはずです。大人の成熟した演技への序章をあの最後の競技会で見せることができました。そしてトリプルアクセルにも挑んで見せました。浅田真央らしい置き土産です。

彼女の引退発表の後、「こんな選手はもう二度と現われない」という言葉があちこちで聞かれます。なぜ二度と現われない選手と意識されるのか、それが絶大な人気の秘密だと思います。
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花筏
琵琶湖疏水は琵琶湖の湖水を京都市へ流すためにつくられた水路です。散った花びらが疏水の水面に載って人がさっさと歩く程度のスピードで流れていきます。

途中に一燈園があります。ここは、西田天香によって明治末期に設立された懺悔奉仕団体です。ここに自由律俳句で知られる尾崎放哉が一時身を寄せていたことがあります。彼は、東京帝国大学法学部を卒業後、東洋生命保険(現:朝日生命保険)に就職し、大阪支店次長を務めるなど、エリートコースを進みました。しかし、周囲とのトラブルが絶えなかったようです。

自由律俳句の俳人としては種田山頭火とともに並び称される人です。一燈園に入った後も、そこには落ち着けず、知恩院の寺男、須磨寺の堂守などをした後、荻原井泉水の紹介で小豆島霊場五十八番札所西光寺奥之院の南郷庵に入りました。

島での評判は最悪で、お金の無心はする、酒癖は悪い、東大卒を鼻にかけるといった人物だったようです。破滅型の天才の典型といえるでしょうか。1926年4月7日、南郷庵で極貧のうちに亡くなりました。享年41歳でした。

有名な句には次のようなものがあります。
・咳をしても一人
・いれものがない両手でうける
・こんなよい月を一人で見て寝る
・春の山のうしろから烟が出だした(辞世)
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春しぐれ
三井寺を参拝し終わったころから雨が降り出しました。ピンポイント天気予報を見て、しばらく降ればあがるとわかったので、近所のコンビニのイートインコーナーでお昼を食べました。

コンビニを出たときはまだ雨が降っていましたが、滋賀県から京都府へと抜ける小関越を歩いて、琵琶湖疏水のほとりに出るころには雨がやみました。疏水沿いの桜は「落花さかん」の状態でした。疏水に沿って遊歩道が続いており、花と疎水の流れを楽しみつつ歩きました。
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残る鴨
冬の渡り鳥である鴨は春になると北へ渡っていきます。春の半ばを過ぎてもまだ残っているものを「残る鴨」といいます。琵琶湖疏水の近くでそうした鴨を見ました。キンクロハジロです。長い冠羽を持ち、黒と白のコントラストが美しく、ユーラシア大陸の亜寒帯で繁殖しています。越冬地である日本では、広い川や湖沼、池などで生活します。
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三井寺には数多くの国宝、重要文化財の建造物があります。お花見シーズンはそれらの重厚な伽藍群を桜色がつないでいます。多くの時代劇のロケ地に使われているらしく、それらの映画の説明が撮影場所に掲示されていました。
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三井寺の正式名称は、長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といい、天台寺門宗の総本山です。平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍によって天台別院として中興されました。昨日は桜が満開の三井寺から琵琶湖疏水を歩いてきました。

三井寺の鐘は「三井の晩鐘」として近江八景にあげられ、日本三銘鐘のひとつにも数えられています。参拝者も撞くことができます。境内の中の展望所から琵琶湖の景色を眺めていると、重く深みのある鐘の音が響いてきて、この時季のここならではの風景だと思いました。
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三井寺から琵琶湖疏水に沿って蹴上まで歩きつつお花見をしてきました。三井寺の桜は満開から落花盛んに移りつつある雰囲気でした。週末でしたが、それほど人は多くなく、境内の桜を満喫しました。

お昼ごろに一時雨がありましたが、午後は青空が出て、琵琶湖疏水沿いの道を歩きながらのお花見です。疎水に沿って歩いていると、流れていく花びらの速度から、水の流れが意外にも速いことに気づきました。このあたりの桜はかなり散っているもの、まだ満開のものといろいろでした。

先週は吉野山、今週は三井寺&琵琶湖疏水という贅沢なお花見を満喫させていただいた今年のお花見シーズンでした。
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山桜
今日のお昼も増位山梅林のヤマザクラの下でお花見をしてきました。週末から来週初めにかけてお天気は下り坂との予報ですから、次に雨が降ったら桜はほぼ終わりでしょう。

今回も「なぜあれほど浅田真央は人気があるのか」について考察したいと思います。これを考えていると、それが鏡になって彼女のことよりもこちらの内面にあるものがわかってくる気がします。

彼女は「負けず嫌い」だと言われ、自分でもそう認めています。ただ、「負けず嫌い」という言葉をどのように解釈するかによって、この言葉の中身が180度違うものになります。一般に「負けず嫌い」というと、誰かに負けるのが嫌だ、という解釈でしょう。ところが、彼女はそうではありません。

彼女が「負けず嫌い」なのは自分自身に対してなのです。常に自分自身が今できる最高の演技を目指し、競技者としてこれまでの自分を超えていくことを目標にしました。勝負そのもの以上にトリプルアクセルにあくまでこだわり、それを組み込んだ最高のプログラムをノーミスで演じきることだけを目指し続けました。

人はどうしても自分と他人を比べてしまいがちです。そして「負けず嫌い」を他人に向けてしまいます。そして生まれる嫉妬、やっかみ、どろどろとしたマイナス感情の数々。でも、「負けず嫌い」を内側に向ければ、自分が磨かれます。

昨日の自分を超えていくことを目指すならば、人はいつも謙虚でひたむきでピュアで明るくいられるに違いないのです。
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