優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2017年08月

八月送る
明日は二百十日です。防災の日でもあります。1923年9月1日午前11時58分に関東大震災が起き、東京だけでも7万人の死者が出ました。「震災忌」として季語にもなっています。ただ、すでに100年近く昔の話で、いま「震災」というと東日本大震災か阪神淡路大震災という印象です。今日は比較的強い風が吹き、そのせいで涼しく空気が澄んで秋らしい一日でした。
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秋風
暑い間は部屋の南北の窓を開け放っていました。風が通り抜け、涼しく快適です。二、三日前から、すべての窓を開け放つことはなくなりました。一部の窓だけでも十分涼しいからです。風が変わりました。

俳句の楽しさは、こうしたちょっとした季節の変化をすくいとることです。ほんとうにさりげないことで、言葉にしなければすりぬけていってしまいます。すりぬけたからといって特に困るようなことでもありません。ただ、日々の生活の潤いはこうした細部に宿っている、と思います。

生きていく間にはずっと記憶に残り続ける大きなイベントがあり、それが重要なことであるのは確かです。しかし、人生の大半の時間は、後で思い出せないほどの細かなことの連続です。そして、実はそちらの方が人生にとっては比重が大きいのではないか、と思います。

東日本大震災の後、俳句をやっているらしい人が「どうして俳句は震災のなまなましさを詠まないのか」といった意味のことを書いているのを目にしました。しかし、私はむしろ俳句はそういうことを詠まないからいいんじゃないの、と思いました。

戦争に抗議したり、災害復興を呼びかけたりするのに十七音はあまりに短い。そういうことを訴えたければ、他の形式でやればいいのです。

増位山に散歩に行く途中、ドライブウェイから旧暦7月10日の月が見えました。月は日ごと太っています。こうして月をよく見るようになったのも俳句のおかげです。まわりの植物や動物の様子に関心を払うようになったのも俳句を詠み始めてからでした。身近な自然への手がかりを与えてくれたと思います。
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秋の朝
澄んだ秋の朝です。遠くでミンミンゼミの鳴いている声がかすかに聞こえてきます。窓を閉めていても暑く感じません。俳句に親しんでいると、まだ猛暑の続いている立秋から秋の心境で周囲を見ています。八月が今日で終わるので、世間的にも秋だと認識され始めます。一週間後の9月7日が二十四節気の白露です。初秋から仲秋に入ります。

太陽が昇る位置、沈む位置が随分南へ寄ってきました。そのため、日差しのあたり加減も夏とはかなり違ってきています。暦の四季は太陽の位置で決まっています。日差しのあたり具合から四季の変化を実感します。
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秋茄子
晩ごはんに米なすを食べました。以前、安売りの米なすを買って輪切りにし、とろけるチーズとピザソースをのせてオリーブオイルで焼いたら、とてもおいしかったので、またやってみました。普通のナスでも試みましたが、全くおいしさが違います。

米なすは焼くととろとろになり、抜群の食感です。このうまさは普通のナスにはありません。オリーブオイルをとてもたくさん吸うので、カロリーが気になるものの、切って焼くだけという手軽さもいいです。
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澄む秋
今日は明け方に雨が降り、その後北寄りの風がかなり強く吹いたため、空気が澄んで見通しがよくききます。空にはもう入道雲の姿はありません。空が高くなり、先ほど東の空を見たら、月が出ていました。今日は旧暦では7月9日、上弦の月です。
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残暑
今日は北からの風が吹いています。昨夜からぱらぱらと雨が降っていました。夜明け前に少しまとまって降ったようです。明日で八月は終わります。すっかり秋です。街でも長袖を着ている人をちらほら見かけるようになりました。

夕方になると、家のまわりにはカラスがたくさん集まってきます。カラスは繁殖期にはつがいで行動し、巣を作って雛を育てます。そして、子育ての時期が終わると集団でねぐらを持ちます。このあたりにはハシボソガラスもハシブトガラスもいます。

市川の対岸の山にねぐらがあるらしく、朝はいったんこの周辺まで出てきて、そこからそれぞれの場所へと散って行きます。夕方は逆パターンです。ねぐらから直接動かず、わざわざ別の場所に集合してから行動するというのがおもしろいです。
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秋蝉
家の周りからクマゼミの声はほぼ消えました。今はツクツクボウシとミンミンゼミがときおり細々と鳴いているだけです。森に行くとまだまだ蝉の声は盛んですが、里からはしだいに蝉の声が消えていこうとしています。八月が間もなく終わりますから、それも無理の無いところ。

しんがり 山一證券最後の12人』(清武秀俊/講談社+α文庫)を読みました。1997年の山一證券の破綻を覚えておられる方は多いでしょう。当時の野澤社長が号泣しながら記者会見をしたことが特に記憶を鮮明にしました。本書を読めば、あの社長は土壇場になって急遽社長に祭り上げられ、実情を知らされたのは破綻直前だったことがわかります。

バブル崩壊直後から、山一證券は法令違反の「飛ばし」と呼ばれる取引で、膨らむ一方の損失隠しをおこなっていました。当時のワンマン経営者だった行平会長をはじめとする経営陣は、それをやむをえないことと黙認し、最終的にあの破綻を招いたのです。

『しんがり』は破綻後も会社に残って真相究明にあたった最後の12人の姿を追ったノンフィクションです。山一證券が会社更生法の適応さえ認められず、自主廃業に追い込まれたのは、2600億円を超える簿外帳簿の損失の存在でした。会長や社長を含むごく一部の経営陣しか知らなかったこの巨額損失の存在が設立100年を超える名門証券会社の息の根を止めたのです。

社内調査でこの真相を解明していくのは、業務監理部門(ギョウカン)の担当者たちです。山一證券においての花形部署、エリートが配属されるのは、ホールセールと呼ばれる法人営業部署(ジボウ)でした。ギョウカンは「場末」と呼ばれていました。巨額の損失をつくったのは、バブル期のジボウの派手な営業の結果でした。

題名の「しんがり」とは、負け戦のときに退却していく軍勢の最も後ろに位置して、追撃する敵をかわしながら、味方が逃げるのを助ける部隊を意味します。真相究明にあたった彼らは解散していく会社に残っているわけですから、清算業務を続けつつ、最後は給料も出なくなり、再就職も最後という状態を甘んじて受けます。

彼らを支えているのは「誰かがやらなければならないこと」という使命感、「なぜこんなことになったのか、真相を知りたい」という山一證券の社員たちの願いでした。一般にこうした社内調査はおざなりで形ばかりのものに終わりがちです。しかし、山一證券の場合、最後の記者会見で、集まった記者たちをうならせるほど精緻な調査報告書があがってきました。

これらを元・読売新聞社会部記者として数々のスクープを放った著者が綿密な取材を元に描いています。登場するそれぞれの人々のキャラが立っていることが、このノンフィクションを断然おもしろいものにしています。
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秋の朝
朝食と昼食は、ベランダでBioLiteクックストーブを使って摂っています。コーヒーを沸かしたり、魚の缶詰をそのまま温めたりします。外気の中で食事をするのは楽しいものです。

クックストーブでは増位山で拾ってきた小枝を焚きます。焚きつけには反故紙を使うので紙のゴミが随分減りました。火をつけるのはターボライターです。火の勢いが強いので、すぐに着火します。

クックストーブは蓄電池を備えていて、スイッチを入れればストーブの底から送風する仕組みになっています。送風は四段階に調節でき、着火させるときは最も強い風を送ります。小枝に火がついてしまえば、弱い風にして、あとは適宜小枝を足していくだけです。コーヒー一杯分のお湯なら小枝10本ほど、数分で沸きます。ガスの火と変わりません。

小枝にはいろいろな木のものがあり、松なら松、檜なら檜、杉なら杉の香りがします。コーヒーを沸かしてしまうと、その後は残った火に少し太めの小枝をくべます。太い枝は長持ちするので、その火を見つつのんびり朝食です。
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鳥威
早稲の田は稲穂が垂れ始めました。家の周囲は住宅が増えたものの、まだところどころ田が残っています。

facebookにアカウントを持っています。友人の消息を読むと同時に、マスメディアのfacebook記事を読むこともあります。先日、ハフポストに載っていた、「親父の形見〜生涯をかけ、父が私に伝えたかったこと」という記事が妙に心に残りました。

記事を書いた吉岡秀人さんは「小児外科医/特定非営利活動法人ジャパンハート ファウンダー・最高顧問」という肩書きを持ちます。社会的には成功した人と位置づけられるでしょう。

著者の父は、彼にとってあまりよろしくないイメージの男だったといいます。父親は祖父のあとをついで中小企業の工場を切り回していました。しかし、オイルショック後の家業は衰退の一途をたどり、著者が高校生のころには廃業して酒と賭け事に没入するようになります。借金とアルコール依存に身を持ち崩し、廃業後はいくつかの職を変わって最後はスーパーのガードマンでした。

父親は小さい頃から頭脳明晰で体力もあり、運動神経も抜群だった、と書いています。著者にとって不可解だったのは、自分よりもはるかに優秀で才能もあったはずの父親がどうしてそんな状態にならなければいけなかったのか、ということでした。

単なる反面教師であった父親の姿が40歳を過ぎたころから、その意味を著者に語りかけるようになります。それは「人間、その人の能力以下の時間を生きていると必ず、人生つまらなくなる。面白くなくなってエネルギーをもてあましはじめると、それを消費するために、多くはくだらない事をしはじめる。」ということでした。

「結局、父親の最大の失敗は、その才能と能力に見合った日常を送れなかった、送らなかったことにある。その余ったエネルギーは、ギャンブルとアルコールに投下された。そして人生の軌道をはずれはじめ、ついに修正することなく生涯を終えてしまった。」このように著者は述懐します。

この記事が心に残ったのは、自分自身の父親の姿が重なって見えたからでした。「小さい頃から頭脳明晰で体力もあり、運動神経も抜群だった」のは同じです。しかし、最終的には職業生活も家庭生活も破綻して、「どうしてこんなことに…」という状態で生涯を終えました。

人は何かに懸命になる必要があるのです。エネルギーを振り切るくらいのものを見つけ、日々生きなければならない。神さまから与えられたエネルギーが大きければ大きいほど、それが逆回転を始めたら、その人にとって破壊的な影響をもたらすのでしょう。

「自分の毎日を面白く充実したものにしたければ、そして、人生をそこそこ満足したものにしたければ、自分の才能を裏切らない人生を送るしかない。もし、毎日がつまらないのならば、それは自分の才能・能力以下で生きてるということだと思う。」吉岡さんはこのように書いています。
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秋空
増位山の山頂に座っていると、鳶が足元を飛んでいました。そこから上昇気流をとらえて円を描きながら空高く昇って行きます。そのうちもう一羽も加わりました。こうしながら餌を探しているのでしょうが、それでも楽しそうに見えます。

野鳥の撮影はコンパクトデジカメでは難しいです。増位山にはいろいろな野鳥がいるので、その撮影にきている人の姿を見かけることがあります。大きな望遠レンズつきのデジタル一眼レフと三脚が必須。歩くついでにちょっと撮るというわけにはいきません。
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