優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2017年09月

運動会
連日、近所の河川敷の広場で保育園児が練習していました。今日が本番で、朝からにぎやかな歓声とアナウンスが流れてきています。リレー、綱引き、踊りなど音を聞いているだけで今なにをやっているかわかります。何度も聞いた民謡やJ-POPも流れました。

昨日の午後、河川敷の近くを通ると仮設トイレがおかれ、万国旗が張り巡らされていたので、明日が本番だなと思いました。雨天なら日曜に順延ということだったのでしょう。

日本で最初に運動会が開かれたのは、1874年3月、東京・築地の海軍兵学寮でした。お雇い外国人である英国人ダグラスが、イギリスでおこなわれている「アスレチックスポーツ」を行いたいと提案して実現しました。プログラムの最後に豚追い競争があり、油を塗った子豚をつかまえるというもので、ツルツル滑ってなかなかつかまえられず、観客の大爆笑を誘いました。今やってもおもしろそうです。
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きんもくせい
午後、家を出たらかすかにきんもくせいの香りがしました。近所のどこかできんもくせいが咲き始めたのです。姿よりも香りで気づかれる花です。きんもくせいの香が漂い始めると秋も後半です。

植物の名前や咲く時期を調べて覚えるようになったのも俳句のおかげです。アウトドアの活動が好きでしたが、それは「活動」が好きなだけで、まわりを囲んでいる自然にはそれほど目を向けていませんでした。

俳句を始めてしばらくたったころ、二週間近く海外旅行に出かけ、戻ってきたら季節がすっかり変わっているのに驚いた記憶があります。季節をひとつ損したような気分になりました。日本の季節は一週間単位で移り変わっていく、と言った作家がいました。実際、そのとおりです。

「秋」ひとつとっても初秋、仲秋、晩秋とあり、これは一ヶ月単位での区分で、二週間ごとに二十四節気があります。さらに七十二候という区分もあり、これは二十四節気を三つに分け、初候、次候、末候とし、ほぼ五日ごとに変わります。古代中国で考案されたものがもとになっています。今は秋分の次候、蟄虫培戸(むしかくれてとをふさぐ)です。10月3日から末候の水始涸(みずはじめてかるる)です。
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出落栗
栗はブナ科の落葉高木、その実も意味します。日本では北海道中部以南の山地に生え、果樹としても栽培されています。兵庫県から京都府にまたがる丹波地方は古くから栗の名産地で大粒の丹波栗が有名です。

栗の毬は初秋のころは薄緑色ですが、秋が深まってくると暗褐色に変わり、裂けて中の実がのぞくようになります。自然に毬が割れて落ちた栗の実を出落栗(でおちぐり)といいます。田の脇に栽培されている木から落ちたものが畦に並べられていました。
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上弦の月
昨夜は旧暦8月9日の月でした。夕刻、快晴の空にくっきりと半月が浮かんでいました。満月は
10月4日で、この日が十五夜、名月です。名月は古くから詩歌の中では特に重視されるイベントでした。今のように人工の灯りが夜中も部屋を照らし続けるようになったのは、1960年代以降の話で、それ以前は、夜は暗く、電気のない時代であればなおさらだったでしょう。

俳句に親しまなければ月を見上げることなどほとんどなかったと思います。俳句をはじめて一番よかったのは、こうした日常のちょっとした感動に細かく目を向けられるようになったことです。子どものころは、日々驚きとおもしろさが身近です。しかし、大人になれば、なかなかそうはいきません。常識と倦怠がまわりを取り囲みます。

でも、俳句というツールを用いることによって、日々の生活の小さな感動を拾い上げることができます。日本の自然は細やかにデリケートに移り変わるので、そうした変化は毎日起こります。花の咲き方、散り方、虫の鳴きはじめ鳴き終わり、渡り鳥の飛来など…。当たり前で何の変化も無いと思っている日々の生活が、実は一日も同じでなく、回り続ける変化の輪の中で展開していることに気づきます。
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澄む秋
雨があがったあと、強い風が吹いたので、これはチャンスだと思い、双眼鏡を持って増位山の頂へ行きました。予想通り、大鳴門橋が見えました。非常に空気が澄んでいて、大鳴門橋よりもさらに南にある徳島県の剣山系の山並みまで見えました。直線距離で80kmほど離れています。

コンパクトカメラでもかろうじて大鳴門橋の姿をとらえることができました。拡大を繰り返したため、画像が粗くなっていますが、中央の鉄塔の向こうに大鳴門橋の姿がわかると思います。今日は播磨灘に面する四国の沿岸部も見えました。

淡路の西海岸もよく見えて、北と南の端の山にある風力発電用の風車、沿岸部の街が双眼鏡を使うとすぐそこにあるようでした。内陸部の山々もぐるりと見渡せ、展望のいい山頂からの眺めを堪能しました。
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色無き風
朝方に雨がやみ、そのあと風が強くなりました。今も戸外で吹く風の音がします。「色無き風」とは秋風のことです。平安時代の和歌に秋風を「色無きもの」として用いたことに端を発し、それが定着しました。秋風を「白風」「素風」「金風」とも言います。秋風の透明感が伝わります。

昼ごはんにゴボウを食べました。簡単なゴボウ料理がないだろうかと思って検索したら、クックパッドに「カリカリごぼうの甘辛揚げ」というレシピが出ていました。材料はゴボウのみ。下ごしらえもアク抜きも不用で、あっという間にでき、美味しかったです。

ここでは調味料に醤油を使っていますが、私は薄味なので、白だしを使い、砂糖は半分にしました。細ゴボウを三本使いました。メインディッシュでいけますし、酒の肴にもいいのでは、と思いました。インターネットは簡単料理レシピの宝庫でありがたいです。
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秋の夜
間もなく十月です。十月の播磨地方は秋祭りのシーズンです。それに備えて近隣の公民館からは夜毎祭の太鼓の練習の音が聞こえてきます。祭の日は屋台に子どもが乗り、一日中その太鼓を鳴らしながら集落を練り歩くのです。
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昨日の日中は快晴でしたが、旧暦8月7日の月は暈を被っていました。「月」は秋の季語です。名月が秋に含まれるゆえです。今日は昼ごろから徐々に雲が厚くなっています。天気予報では水曜日から木曜日にかけてお天気が崩れると言っていました。間もなく雨がふりだすでしょう。
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彼岸花
昨日で秋の彼岸は明けました。お彼岸前に咲き始めた彼岸花はいまが最盛期で、田の畦を真っ赤に彩って咲いています。あまりにも鮮やかに咲き、消えるときも忽然と消えます。そして花は咲いても実はできません。

古くから文献に登場する花であるものの、人里近くに限って咲くことから中国大陸から有史以前に渡来した帰化植物と考えられています。
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仲秋
姫路市は優良な漁場である播磨灘に面し、漁業が盛んです。1年を通じ、目の前で水揚げされる新鮮な前どれの魚を味わえます。鱧(はも)は、20年ほど前までは年間水揚げが30トンそこそこでした。しかし、近年はそれが300〜400トンになり、兵庫県内有数の水揚げ量を誇っています。

平成の大合併で、漁業の盛んな家島町が姫路市に編入されたゆえの数字のカラクリではないか、と思いますが…。しかし、姫路市が県内有数のハモの産地になったことは間違いありません。そのハモを「白鷺鱧」としてブランド化しようとの試みが始まっています。

姫路のハモは、京都の祇園や大阪の天神祭でも食され、高い評価を得ています。昨年から7月下旬に、姫路とれとれ市場でこのハモをPRする「白鷺鱧祭り」も始まっています。ハモは白身の魚、その姿が白鷺になぞらえられた姫路城に通じるものがある、ということからのネーミングです。

「鱧」は夏の季語です。そのため夏の魚という印象が強いですが、漁期は5月下旬〜11月ごろで、脂の乗った秋のハモは知る人ぞ知る逸品です。
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