優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2018年10月

錦秋
天狗山の山上には頂を一回りできる自然歩道があります。小樽市街と石狩湾を見渡す景色を楽しんだ後、黄葉と紅葉を愛でつつ20分ほどかけてそこを一周しました。天狗山神社もあり、大きな「鼻なで天狗」が安置されています。ひとまわりした後、その神社に詣でてからロープウェイで山を下りました。
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紅葉
23日の夜は支笏湖温泉に宿泊する予定でした。支笏湖に向かう前に小樽天狗山に行くことにしました。ホテルにあずけていたレンタカーに乗り、10分ほどで山麓のロープウェイ乗り場に着きました。そこからは4分ほどで山頂です。

ちょうどお昼時だったので、展望レストランてんぐでお昼ご飯にしました。ザンギが載ったてんぐ岩丼を食べました。北海道は意外に薄味で、どこもほどよい味付けでした。

ここからの夜景の素晴らしさが天狗山の最大のセールスポイントです。昼でも眼下に小樽市街と石狩湾の眺めを楽しみながら食事ができます。
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秋の昼
小樽駅は1934年(昭和9年)建築の北海道初の鉄筋コンクリートの駅舎です。いまでは貴重な歴史的建造物です。

小樽駅の前には「むかい鐘」との表示がある鐘があります。明治時代から1965年ごろまで列車到着の予報として使われていたものです。上り列車には二打、下り列車には三打と決められており、鐘のあと、十数分で列車が着きました。

人々はいっぱいの荷物をかかえてホームへ急ぎました。出迎えの人や行商人たちで活気にあふれていた当時の小樽駅をしのぶものとして、残されています。紐をひいて鐘を鳴らすこともできます。
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霜降
小樽駅を訪れた10月23日は二十四節気の霜降でした。秋の最後の節気で冬の気配が濃くなってきます。ただ、今回北海道を旅している間はほぼ晴天に恵まれ暖かで、持参した冬服は全く用無しでした。

小樽駅を入ったところにはランプがずらり並んで乗降客を迎えています。ランプが小樽の象徴なのだな、と思いました。
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十月
北一硝子というガラス製品を扱う店も多く、なぜ小樽でガラス?と思いました。明治から昭和初期にかけてニシン漁でにぎわった小樽では、その浮き玉や石油ランプのホヤとしてガラスが使われました。しかし、その後、ランプは電気に、浮き玉はガラスからプラスチックに取って代わられました。

現在の北一硝子は、大阪でガラス製造を学んだ創業者が、1901年に浅原硝子として小樽で石油ランプを製造したのが始まりです。実用的なものが技術革新を経て実用を離れ、装飾品や趣味の品へと変化していきました。こういう転換を図れなかったところは滅びるしかなかったでしょう。小樽が経済都市から観光都市に変わったのにあわせて変身を遂げ、小樽のお土産として生き残っています。

ガラス製品のきらめきのせいもあったでしょうが、小樽とヴェネツィアが重なる思いがしました。地中海の覇権を争った海洋都市国家ヴェネツィアは、大航海時代以降、政治の舞台から降りて観光文化都市として生き残りました。小樽もそういう道をたどったのです。
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秋の昼
小樽の観光の中心は堺町本通です。ここに多くのガラス製品を売る店、スイーツ店などが並んでいます。北海道を代表するスイーツの六花亭、北菓楼、LeTAOが軒を連ねています。LeTAOでお茶を飲みスイーツを食べました。

LeTAOで接客してくれた店員さんのひとりは韓国の方、もうひとりは中国の方のようでした。いかにこれらの地域からの観光客が多いかがわかります。
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蔦紅葉
昼の運河は夜とはまた異なる趣です。運河のそばで水彩画を描いている人があり、よくここで絵を描かれるそうで、個展を開かれたときの絵葉書をいただきました。運河沿いの壁には、昭和のムード歌謡の傑作『小樽の人よ』のプレートが埋め込まれています。

運河からさらに東へ歩いて行くと、埠頭へ出ます。人影は少なく、観光客は運河から南の方向に伸びる堺町本通に立ち並ぶ土産物店に集中しています。観光客は日本人よりも圧倒的にアジアから来たと思われる人達が多く、中国語、韓国語、さらに南方のアジアの言葉が飛び交っていました。
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黄葉かつ散る
小樽運河へと下る道のかたわらにはプラタナスが植えられており、黄葉しつつも散っていました。旧日本銀行小樽支店をはじめ、重厚な建物が多く、近代建築ファンにはこたえられない場所だろうと思います。取り壊されずに残り、今はすべて別の用途で使われています。

かつては北海道経済の中心的存在であったものの、経済的に衰退し中心は札幌に移りました。繁栄した時代の建築物を観光資源として再生し、今では年間700万人以上が訪れる観光都市になっています。衰退したがゆえに栄華の歴史が留められた、といえそうです。
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晩秋
翌日の午前中は小樽運河周辺をもう一度見て回りました。運河へと下りていく坂の途中で手宮線の廃線跡に出会いました。線路を目にしたときは一瞬市電が走っているのかと思いました。かつて南小樽駅から手宮駅を結んで国鉄が運営していた貨物線でした。

北海道で最初の鉄道開業区間の一部で、石炭や海産物の積み出しで賑わいましたが、1985年(昭和60年)11月5日に廃止されました。廃線跡にもかかわらず、駅舎や線路、踏切などがそのまま残されており、観光資源になっているようです。
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秋の夜
初日の夜はオーセントホテル小樽に泊まりました。小樽の運河まで坂を下れば歩いて10分ほどのところです。旧日本銀行小樽支店など、かつて「北のウォール街」と呼ばれて繁栄した時代の名残の建物があちこちにあります。

夕食は運河沿いの回転寿司・函太郎でとりました。運河沿いは夜でも観光客の姿が多く、大勢の観光客を載せた船が運航していました。水の上から眺める景色というのは、陸上とは一味違います。
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