優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2019年06月

夏服
三日目の最後は琉球村へ行きました。沖縄県内各地から古民家を移築展示しており、そこで機織り、貸衣装、紅型などが体験できます。IMG_3379
旧仲宗根家(1808年)は読谷村座喜味からの移築です。どの家も開放的で、つくりはよく似ています。IMG_3380 (1)
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夏空
中城城の北の郭には大井戸があります。護佐丸が井戸を取り込むために北の郭を増築したと考えられています。西の郭には夫婦井戸(ミートゥガー)と呼ばれるふたつの井戸もあり、城内に水を確保しているのがこの城の特徴です。IMG_3375 (1)
グスクの石積みには大きく分けて、野面積み、布積み、相方積みがあります。中城城跡では、最も古い野面積みを南の郭で、布積みを一の郭、二の郭で、相方積みを三の郭、北の郭で見ることができます。裏門などに用いられている石積みの精緻な美しさには驚嘆します。IMG_3371 (1)
幕末、日本に開国を迫ったペリー提督一行はこの地を訪れ、城壁、アーチの門の建築土木技術水準の高さに驚き、詳細な報告とスケッチを残しています。彼らにエジプト式と評された裏門の精巧なアーチと石積は見事です。IMG_3373 (1)
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夏の海
中城城跡は沖縄戦で大きな被害を受けました。建物は焼失し、石垣も爆撃でかなり崩れました。戦後、残っていた史料をもとに復元されていますが、その史料すら、失われて復元困難になっているところも少なくありません。IMG_3367 (1)
見事な石垣をよく見ると、上まできれいにそろって積み上げられている所とそうでない所があるのに気づきます。上部が不揃いになっている所は、石垣の元の高さがわからないために積み上げられないのだそうです。IMG_3366 (1)
石垣の高さを判断するのに重要なものが隅石です。きれいにそろった石垣の上部には形の違う石が目印のように置かれています。これが隅石で、これがあることによって、どの高さまで積み上げられていたかわかるのです。IMG_3369 (1)
沖縄戦に突入するころは、すでに勝ち目が無いことは軍部にも政府にもわかっていたはずです。それでもなお無謀な戦いを継続し、多くの人命と文化財を失いました。愚かとしか言いようがありません。IMG_3372 (1)


梅雨空
中城城跡の一の郭から二の郭へと入って行きました。このあたりでボランティアガイドの方の説明を受けられているご夫婦に追いつく格好になりました。便乗して説明を聞かせていただき、興味深かったです。IMG_3365
中城城が建設されたのは14世紀中ごろ、本土では室町時代です。本土でこれに匹敵する規模の石垣を持つ城の最初のものは、織田信長の安土城であり、16世紀後半です。その200年以上前にこれだけの規模の城を築いた技術の凄さを知りました。IMG_3363 (1)
こうして説明を聞いている途中に、頭上をヘリコプターが飛んでいきました。その後もまた空軍機が二機飛んで行きました。普天間基地が数キロ先にあり、ひっきりなしに飛ぶのでしょう。IMG_3362 (1)
ガイドの方は、「なぜこの城跡の上を飛ぶかといえば、周囲はすべて住宅地だからです」と言われていました。沖縄のおかれている現実を垣間見た思いがしました。IMG_3364


梅雨曇
一の郭は中城城跡の中で最も広く、正殿がありました。ここまでくると、中城城跡の最大の特徴である石積のアーチ門が現れます。この形は日本というよりも、むしろ大陸、古代ローマなどに通じる雰囲気を感じます。IMG_3358
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廃藩置県後はここに間切番所が建てられ、中城村役場として使用されていましたが、沖縄戦で焼失しました。IMG_3360
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蘇鉄の花
中城城跡の正門は、南西向きで門を挟むように両側から石垣がせり出しています。ここを通り過ぎると南の郭になり、首里の王を拝む首里遥拝所があります。これ以外にも神の島・久高島を拝む久高遥拝所など八つの遥拝所があり、今も拝む人が絶えません。IMG_3354 (1)
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万緑
次に中城城跡へ行きました。入口が施設の奥になっているため、チケット売り場からは護佐丸号という電動カートで送ってもらえます。IMG_3350 (1)
中城(なかぐすく)城の創建年代ははっきりしませんが、15世紀の尚泰久王の王代として、ここに居城した護佐丸盛春によって現在の形が完成しました。ここからカートの名前がとられたようです。IMG_3351 (1)
曇っていはいましたが、雨は降っていませんでした。カンジャーガマ(鍛冶屋跡)という場所から正門に向けて歩き始めました。IMG_3352
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南西風
守礼門 のすぐ隣に那覇市立城西小学校があります。建物は首里城の景観を配慮して琉球風の渋みのあるオレンジ色の屋根瓦です。シーサーもちゃんといました。地図を見ると、城北、城東、城南という小学校もあります。姫路市にも同名の小学校があるので、親近感が湧きました。
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城下町にはこうした名前の小学校が多いのでは、と検索してみました。姫路市、岐阜市、赤穂市、丸亀市、結城市、熊本市、東金市、大館市、那覇市、彦根市、会津若松市の11の市に城西小学校があります。姉妹校提携などいかがでしょうか?IMG_3349 (1)



東のアザナからゆるゆると坂道を通って守礼門に向かいました。二千円札にはこの門が描かれています。本土では目にしないこのお札ですが、沖縄ではまだかなり流通していると聞いており、実際に売店でも目にしました。IMG_3344
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守礼門までには瑞泉門、歓会門を通りました。ところがうっかりしていて、肝心の世界遺産に指定されている園比屋武御嶽石門(そのびゃんうたきいしもん)を素通りしてしまいました。石の門なので、沖縄戦でも残ったのでしょう。IMG_3342
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