優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2019年12月

南天の実
花の少ない時期なので、赤い実がよく目立ちます。中でも赤い実が房になって実るナンテンはおなじみです。ナンテンの花は夏に咲くものの、白くてそれほど目立たず、圧倒的に花より実が印象に残ります。ナンテンを「難転」とし、難を転ずるもの、縁起物としてお正月の飾りにも用いられます。
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懐炉
昨今は使い捨てカイロ全盛ですが、ハクキンカイロが意外にも凄いという話をネットで読み、使ってみることにしました。ハクキンカイロはベンジンの気化ガスがプラチナと接触して発熱する化学原理を利用しています。ベンジンは炭酸ガスと水に分解され廃棄物も出ません。

熱量は使い捨てカイロの13倍です。今これを寝る前に用意して布団に入れています。去年までは湯たんぽを使っていましたが、それよりもこちらは用意が簡単で、布団の中で場所もとらずそれでいて一晩中暖かく、朝になっても暖かです。起床後はカイロベルトに入れて使えば午前中は十分暖さが持続します。
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数え日
今朝は雨で暖かです。クリスマスが終わると、町は一気に迎春ムードになります。いつもこのがらりと変わる飾りつけを見て感心します。年賀状を書かなくなったので、日づけを意識しなければならない用事は減りました。それでも予定していたことにまた新たなことが加わったりして、せわしない気持ちです。
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聖菓
子どものころのクリスマスケーキは、ホールで買っていくつかに切り分けるものばかりでした。最近は洋菓子店も考えて大人向きにはそれぞれに趣向をこらした小さなケーキを用意しています。食べやすくて、器も可愛らしいです。
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クリスマス
姫路聖マリア病院のマリア像、病院ですから、病を得てここを訪れる人の回復と治癒を願うのが一番でしょう。さらに亡くなっていく方の魂の平安と、遺される人々の心の癒しへの祈りも含まれます。「生老病死」という古今東西変わらぬ人生の苦悩を癒す祈りです。
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降誕祭
クリスマス・イヴの今日はどんよりと曇った一日でした。それでもそれほど寒いということはなく、厚い上着は不要です。こういう冬が常態になってしまいました。夕陽が一瞬美しくあたりを照らし、クリスマス・イヴらしい光景でした。洋菓子店は年に一度の書き入れ時です。バレンタインデーになぜチョコレートで、クリスマスになぜケーキなのか、恐らく最初に考えた人が偉いのでしょう。
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聖夜
姫路聖マリア病院の入口近くには鐘楼があります。毎正午、この鐘が鳴り増位山の頂にいても聞こえてきます。イタリアへ行ったとき、それぞれの村に鐘楼があり、独自のメロディーを奏でながら鳴り響いていました。クラシック音楽の原点は教会で、音楽の用語はイタリア語です。あの鐘の音を聴いたとき、それを納得しました。
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聖誕祭
クリスマス・イヴです。日本にキリスト教を伝えたのは、イエズス会のフランシスコ・ザビエルです。ザビエルが日本にやってきたのは1584年8月15日。この日は聖母マリアの被昇天の祝日にあたり、ザビエルは日本をマリアに捧げました。マリアの庇護を願ったのでしょう。

聖母マリアの祝日と日本の歴史的な記念日には不思議なつながりがあります。太平洋戦争開戦日の12月8日は聖母マリアがその母聖アンナの胎内に宿った「無原罪の聖マリアの祝日」、太平洋戦争終結の8月15日は前述のとおり、さらにサンフランシスコ講和条約の調印日1951年9月8日は聖母マリアの誕生日、日本の建国記念日2月11日は「ルルドの聖母の祝日」にあたります。
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帰り花
姫路聖マリア病院の敷地内にはマリア像もあります。鮮やかに彩色され、手をあわせて祈る姿で立っています。となりにツツジが植えられていて、それがいくつも帰り花として花を咲かせていました。まるでクリスマスを祝うようです。
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聖樹
姫路聖マリア病院はアッシジのフランチェスコが設立した聖フランシスコ会系の病院で、戦後の1948年にアメリカ管区から派遣されたシスターたちと、それに賛同した人々によって設立されました。

敷地内の修道院前にはフランチェスコの像が立っています。修道院に一般人は立ち入れません。門の奥の玄関内にはクリスマスツリーが飾られ、ほの暗く人影のない玄関を電飾のツリーが彩っているのが見えました。
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