優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2020年01月

寒晴
今日は姉といっしょに実家の片付けに行ってきました。ベッドを施設に移動させるため、寝具の用意をしたりもしました。二階の荷物はほぼ片付いているのですが、一階はまだまだで、今日だけで私の車に積み込んで運んだ荷物は110kgありました。

こまごまとしたものは少なくなってきましたが、大物がまだいくつもあります。台所には大きな食器棚とガスコンロつきの大きなテーブル、居間には頑丈な座りテーブル、二階に和ダンスと三人掛けのソファ、倉庫には古い大きなテーブル、大きな食器棚が二つ…、片付けというのは大仕事です。
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寒鴉
春も秋も季節は光からやってきます。大寒も終わりのころとなると日差しにはもう春の兆しがはっきりと現れます。とくに今年は暖かくその感覚が強いです。今日はよく晴れてもう「のどか」とさえ思えます。
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春隣る
今日も暖かでした、と寒中に言うのもおかしいのですが、厚い上着は必要なく風にはすでに春の気配です。本来、今頃は「寒」の文字を使った季語で俳句を詠む時期です。しかし、今年は寒の厳しい響きに相当するような日が全くありませんでした。冬物や暖房器具の売れ行きは悪かったでしょう。
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春近し
明日がこちらのプラスチックごみの収集日のため、実家のプラスチックごみを持ち帰るために出かけました。銀の馬車道を通って行きましたが、ここは馬車道以前は播但街道と呼ばれる道がありました。天保三年(1832)に建てられた石の道標が残っています。

ただ、街道とは名ばかりの狭隘粗悪な道で、貨物の延滞と運搬費用が問題になっていました。当時の最新式の工法を用いて播但街道は修築され銀の馬車道となり、輸送経費は8分の1になったといいます。
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寒晴
昨夜から荒れた天気です。寒中にこういう天気は珍しく、今日も一日朝から風雨でした。片付けには出かけませんでしたが、母の退院やサービス付き高齢者向け住宅への入所に関することで朝からあちこち電話したり電話がかかってきたりでした。

電話することなんかほとんどない、と思ってスマホは通話プランをはぶいたデータ専用で契約しています。通話はインターネット電話のアプリを入れています。まさかこれをこんなに頻繁に使う日がこようとは。
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白菜
今日も実家の片付けに行ってきました。近頃は「銀の馬車道」を走って実家に向かいます。銀の馬車道は1876年(明治9)、明治政府によって生野銀山と飾磨港を結ぶためにつけられた全長49kmの日本最初の高速産業道路です。

今では主要な路線は国道312号となり、こちらは集落の中を縫って走るローカル線になっています。市川のつくった河岸段丘の上部を走るため、ゆるやかなカーブの途中には田畑が広がり開放的な気分になれる走って楽しい道です。白菜の収穫作業を見ました。
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春隣
昨年末に緊急入院していた母の退院後の住まいとなるサービス付き高齢者向け住宅が決まりました。今日、姉と一緒に施設の見学に行き、緑に囲まれた静かな場所だったので、そこに決めました。部屋は南向きで窓の外にはため池が広がっています。明るい日差しを受けた池の水が春の近さを教えてくれました。
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今川焼
今川焼は小麦粉を溶いて円形の型に流し込み餡を包んで焼いた菓子です。江戸時代、文化・文政の頃、神田川今川橋辺の小店で売り出したのでこう呼ばれます。今も一般名称は今川焼かもしれませんが、姫路で今川焼と言っても誰もぴんときません。

地元の「御座候」が圧倒的なシェアを占め、あのお菓子は御座候だとみんな思っているからです。目の前で焼き上げの実演を見せてくれるのも楽しく、赤あんと白あんがあり、どちらかを指定して買います。熱々が美味しく、持ち帰って温めて食べるのも美味しく、姫路の名物のひとつだと思います。
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暖冬
年末に母が体調を崩して緊急入院しました。すぐに命にかかわるような病気は見つかりませんでしたが、一人暮らしの生活に戻れる可能性は低いと思われます。そのため、年末から実家の片付けをおこなっています。

二階を中心に片付け中ですが、モノの多いことにびっくりしています。8年前に叔母が亡くなった時、一度大規模に片付けてかなりモノは減っていたのですが、それでもまだまだあるわあるわ、昨日は天袋から私の高校時代の制服が出てきました。歴史の遺物のようです。
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