優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2020年09月

秋気澄む
三重塔の前からは明日香村の景色が望めました。まだサルスベリがピンクの花を残しており、夏の余韻を感じます。それでも田は色づき始め、秋はたけなわです。
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うろこ雲
水煙(すいえん)とは、仏塔の最上部に取り付ける相輪の一部で、九輪の上にある火炎をかたどった板状の透かし彫り金具のことです。この日は秋らしい晴天で、空にはうろこ雲が広がっていました。厳しい残暑が続きましたが、「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どおり、秋彼岸と同時に秋らしい清涼な気候がやってきました。
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秋うらら
岡寺の本尊・如意輪観音像(重要文化財)は日本最大の塑像で如意輪観音像としては最古の作品です。ふくよかな容貌の観音さまです。

境内の南西側には三重塔が建っています。もともと治田神社境内にありましたが、1472年に大風により倒壊しました。1976年に弘法大師1150年忌を契機に再建に着手され、1986年に再建されました。
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秋の陽
岡寺の本堂の奥に十三重石塔が建っています。塔婆の語源は梵語のストゥーパにあり、もともとは仏舎利を納めるためのものでした。それが、仏教伝来後は礼拝の対象となり、さらに寺院のシンボル的なものになっていきました。

塔は三重、五重のものがほとんどです。重なりは奇数と決まっています。これは陰陽思想によるもので、奇数は動的で陽で縦方向のものに、偶数は静的で陰で横方向のものに使われます。七重塔や九重塔もかつてありましたが、現存していません。
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秋彼岸
岡寺を開いた義淵僧正は優れた法力の持ち主でもありました。寺近くに農地を荒らす悪龍がおり、義淵はその悪龍を法力によって小池に封じ込め、大石で蓋をしました。これが岡寺の正式名称龍蓋寺(りゅうがいじ)の由来であり、本堂前に龍蓋池があります。

こうした伝説は災いを除く信仰に発展し、観音霊場に厄除け信仰が加わり、日本最初の厄除け霊場が形成されていきました。厄年は今でも人生の節目として人々に意識されています。
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秋の花
岡寺では手水鉢にダリアなどさまざまな花が浮かべられていました。岡寺は663年、天武天皇の皇子で27歳で早世した草壁皇子の住居であった岡の宮跡を、義淵僧正に下賜したものが始まりとされています。

現在は明日香村の東にある岡山の中腹にあります。寺の西にある治田神社境内から奈良時代前期の瓦が出土しており、当初の岡寺は治田神社境内にあったものと推定されています。
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石舞台からは西国七番札所の岡寺へ向かいました。山の中腹に建っている三重塔が見えました。細い急な坂道を登っていきます。こここそ電動アシスト自転車の威力が最も活かされました。

2002年のゴールデンウィークに西国三十三番札所をホンダスーパーカブで全部回ったことがあります。七番札所の岡寺にも来ているはずですが、ほとんど記憶に残っていませんでした。
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秋の雲
明日香村は見どころが点在しているので、自転車は便利です。稲淵から戻る途中に石舞台古墳に立ち寄りました。横穴式石室を持つ石室古墳で、6世紀後半に政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかと言われています。

玄室の長さは7.7m、幅3.5m、高さ4.7mで大小30数個の花崗岩が使用され、天井に使われている石は北側が64t、南側が77t、総重量2,300tという大規模なものです。玄室の中に入ることができます。

こうしたものを見るときは、重機のなかった時代にこれだけの石を運び、積み上げた古代の人の技術の凄さにいつも驚きます。同時にそれをやらせた権力者の力の強大さにも。
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秋の昼
石舞台古墳前にある「あすか野」でお昼ご飯を食べました。すでに1時をまわっていて、少し席が空いてきていました。一日十食限定という「古代米定食」を食べました。これが最後ということで、ラッキーでした。

明日香らしいところとしては、古代米の他に柿の葉寿司がついてきました。さらに蘇とよばれる古代人が食べた乳製品もついています。正確な製法は失われてしまっている幻の乳製品です。乳汁を煮詰めた美味なもので、長期保存に耐えるということはさまざまな説に共通しています。
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曼珠沙華
稲淵では棚田を見下ろす一画の木陰に座って軽食を食べました。ここには彼岸花の最もポピュラーな朱色の他に黄色や白、ピンクっぽいものも咲いています。棚田のかたわらには変わり案山子が展示されていました。
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