優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2022年03月

春の海
集落の中を歩いていくと舞子六神社がありました。名前どおり御祭神はイザナギ、イザナミ、アマテラス、ツクヨミ、スサノオ、ヒルコの六柱です。すぐ前が舞子漁港、近くには舞子の浜海水浴場があります。こじんまりとした社ながら参拝される方は多いようです。
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チューリップ
大橋の袂を離れて西へ歩き始めました。海峡を望むこの場所には明石藩舞子台場跡があります。文久3年(1963)に外国船の侵攻に備え勝海舟の指導の下、明石藩が修築した砲台跡です。現在の護岸の下に当時の石垣が埋まっています。

ここを過ぎると町並みの中に入っていきます。国道2号、山陽電鉄、JR神戸線が並走する場所です。いつもは電車から見ているところを歩いており、ほぼ同じ場所ながら視点が異なるだけで新鮮です。国道沿いを離れて集落の中の道を行きます。道沿いにチューリップが植えられていました。
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春の空
明石海峡大橋の上を降下してくる飛行機が見えました。神戸空港へ向かっているのでしょう。明石海峡大橋の上は航空機が数多く離発着するエリアです。神戸空港、大阪空港、関西空港が近くにあります。
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春日和
移情閣の庭にローズマリーが咲いていました。葉を指でもんで嗅ぐとフレッシュな香りがします。ローズマリーは代表的なハーブの一種で地中海沿岸部原産の常緑低木です。みずみずしくシャープな香りは爽快な印象で若返りのハーブとして知られています。
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春の夢
明石海峡大橋のすぐ東の袂に移情閣(孫文記念館)があります。八角形の中国式楼閣で1915年築の日本最古のコンクリートブロック建築、国の重要文化財です。建物は明治から大正にかけて活躍した中国人貿易商・呉錦堂の舞子海岸にあった別荘内に建てられたものでした。

呉は辛亥革命の指導者である孫文の支援者でもあり、孫文が神戸に潜伏していたときは移情閣でたびたび英気を養ったそうです。別荘そのものは国道2号の拡幅に伴い撤去されましたが移情閣は残り、紆余曲折を経て現在地で保存されています。
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春光
季語の春光(しゅんこう)とは、春の日差しではなく春の景色を意味します。この日は暖かく風もやわらかく青空がまぶしくまさに戸外で過ごすにはうってつけの一日でした。アンカレイジの真下に立ち淡路島までのびる橋桁を眺めました。
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春の雲
明石海峡大橋は橋長3,911m、中央支間長1,991mの世界最大の吊橋です。アンカレイジとは、吊橋のメインケーブルの張力を受け止め地盤に伝える役割を持つ構造物です。舞子側には1Aアンカレイジが設置されています。そばに立つとその巨大さがわかります。

姫路に暮らしていて神戸や大阪へ出かけるときはたびたびこの橋を電車の車窓から見ています。しかし、舞子側から近づいて見たことは初めてです。身近であるために有難さを感じられなくなっていましたが、これがいかに凄いものであるか改めて確認しました。
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日曜日はハイキング仲間と舞子から明石まで海沿いにハイキングしてきました。起点はJR舞子駅。そこから明石海峡大橋の橋脚の下まで行きました。昨日の荒天がおさまり空は晴れて景色は洗い流されています。淡路島は西の海岸の奥まで見えていました。

大橋の中央の下あたりに釣り船がたくさん出ています。ここは四季折々にさまざまな魚が釣れるスポットで今はメバルのシーズンです。電車では釣り竿を持った親子連れを見かけましたし、岸にも多くの釣り人が並んでいました。
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春の嵐
昨日は雨でした。午前中は風も強く、桜が咲くころによくある荒天です。まだ咲き始めの桜が散ることはありませんが、満開を過ぎると一夜にして散ってしまうことがあります。

「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌があります。親鸞が出家のときに詠んだ歌だそうです。明日があると思うからだらだらと過ごしてしまいます。でもいつかその明日が無い日がやってきます。今を精一杯生きる、わかっていてもなかなかできないのですけれど…。
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初桜
ヤマザクラが咲き始めました。いつも最初に咲き始める一本です。このあたりで桜のシーズンの始まりを告げる桜と言っていいでしょう。市川の流れに面するこの山の斜面にはヤマザクラが多く最盛期は実に見事です。
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