優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2022年06月

柏葉紫陽花
来るときは「青の交響曲」で吉野までまっすぐでしたが、帰りは橿原神宮へ参拝することにし、橿原神宮前駅で途中下車しました。昼食をとろうとカシワバアジサイが咲く通りを歩いていくと「橿原オークホテル」がありました。「橿」は樫の木のことです。
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吉野神宮駅は無人駅です。平日の今頃では乗降客もほとんど無い様子で駅はがらんとしていました。ホームに出ても人影はありません。駅には周辺施設の広告や鉄道会社からのお知らせなどが掲示されています。しかし、向かいのホームにはそういうものが皆無でした。ベンチは吉野の木材で作られたもののようでした。
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梅雨の晴れ
吉野神宮から吉野神宮駅に向かって坂を下っていると、後ろから軽自動車のバンがやってきてすぐそばに止まり「駅まで乗ってください」と声をかけられました。驚いてそちらを見ると、先ほど送ってくださった吉野荘湯川屋の方でした。ありがたく乗せていただきました。
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梅雨
吉野神宮一の鳥居は近鉄の吉野神宮駅近くにあります。その次が表参道入口にある二の鳥居、さらに神社前広場に至る大鳥居となります。参拝を終えて大鳥居に向かうと、これまで梅雨の雲に覆われていた空の一画に青空がのぞき始めていました。
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風鈴
風鈴は摂社の瀧桜神社の前にも並んで吊るされていました。ガラス製の風鈴で、近くで見ると描かれている柄が数種類あるのがわかります。風鈴は夏の風物ですが、最近では騒音の問題があり一般住宅では見ることが少なくなっています。これだけ並んで一斉に鳴りだすと壮観です。こういう場所だからこそできる設えといえそうです。
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青葉
吉野神宮の社殿は北向きに建てられています。社殿は東か南を向いているのが一般的です。あえて北向きなのは、京へ戻ることを切望しつつ吉野で亡くなった後醍醐天皇の心情を慮ってのことです。昭和7年(1932)の改築で、本殿、拝殿などは総檜造り、近代神社建築の代表作と言われています。
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紫陽花
風鈴の下には紫陽花の鉢が置かれていました。吉野神宮は建武中興十五社のひとつです。建武中興は後醍醐天皇が武家から政権を取り戻そうとした動きであり、明治維新でそれを成し遂げた明治天皇にとっては意義深いものでした。十五社はそれぞれ縁の地で護良親王ら皇族、楠木正成ら武将を祀っています。
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境内の一画に風鈴がたくさん吊るされていました。風鈴の起源は二千年前の中国で竹林に吊り下げて吉凶を占った「占風鐸」だそうです。これを僧侶が持ち帰り寺院や堂塔の四隅に吊るすようになったものが青銅製の風鐸です。風鐸はしだいに小型化しやがて風鈴と呼ばれるようになりました。
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