優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2023年09月

秋の陽
昨夜、病室を変わることになりました。新しい病室は新館の廊下に面しています。今までは給湯室や洗面所のすぐそばだったので便利でしたが、少し離れることになりました。病室の並びとして、ナースステーションに近い人ほどケアの必要な人が多いです。
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長き夜
昨日はいつも以上に足が疼きました。痛むというのではなく、疼くという表現があてはまります。足がぎゅーっと小さい箱の中に押し込められるようなそんな感覚です。神経障害性疼痛の痛みは独特で他に適当な例えがありません。
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秋晴
右足首の神経生検の傷跡はすっかり癒えました。検査もほぼすべて終了し、退院の話が出てきています。今回受けた検査の結果がすべてはっきりするまでにはまだ時間がかかりますが、ひとまず退院し検査結果を待ちながら治療方針を決めていくことになります。
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彼岸花
今日で彼岸が明けます。ずっと病棟の中で過ごしていましたし、病院の周囲には田畑がありませんから、遠目にすらヒガンバナの姿は見えないままでした。厳しい残暑もようやくおさまってきているようです。
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夕月夜
昨日も一日よく晴れていました。夕方、窓から月が昇っているのが見えました。自宅だと山がもう少し迫っているので月が顔を出すのは遅いですが、このあたりは開けているので、月の出は早い印象です。
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芋煮付
昨日の夕食には里芋の煮付けが出ました。俳句で「芋」といえば、サトイモです。東南アジア原産のタロイモの一種です。日本への伝播は稲より早い縄文時代と考えられています。山地に自生していたヤマイモに対し里で栽培することから「里芋」の名が付きました。
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月の舟
昨夕、夕食の少し前の時間帯に病院の廊下を歩いていると、東側の窓から月が見えました。上弦は秋分でしたので、月は少し丸みを帯びつつあります。29日が名月です。お天気さえよければ金剛山の上に昇る名月を楽しむことができるかもしれません。

旧暦の時代、名月は一大イベントでした。電気もなく夜は今では考えられないほどの暗さに覆われ、その夜を照らす圧倒的な月の存在は畏怖に満ちた神秘的なものだったでしょう。

京都の銀閣寺は足利義政が月を観賞するために建てたものだといいます。芭蕉は名月を求めて各地を旅しています。「名月や池をめぐりて夜もすがら」は貞享3年(1686)、当時43歳の芭蕉が深川の芭蕉庵で月見の会を催した時の作品です。
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秋晴れ
七階の病棟、私の部屋は西側にあり東は廊下です。東北には金剛山をはじめとする奈良県境の山々が見え、北北西にはあべのハルカス、さらに梅田まで続くビル街や沿岸部の堺泉北臨海工業地帯のコンビナートが見えます。

北西に大阪湾を隔て盾のように連なるのは六甲山系です。街を歩いているときはこうした大きな地形は意識できませんが、高いところから眺めると山、海の地形の様子がはっきりわかり、面白いです。
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秋分
平日の病院の廊下はいつも看護師、補助員、清掃員、医師、作業療法士、理学療法士、患者など多くの人々でにぎやかです。病院スタッフたちの足取りは素早く、きびきびと仕事をこなしています。

土日にも生活を支える補助員、清掃員たちの姿は変わらず見られますが、それ以外の医療関係職の姿は減ります。廊下を歩いていると、誰の姿も消えて長い廊下を挟んだ向かいの病棟の奥まで一直線に見渡せる瞬間がありました。

近大病院は泉北高速鉄道の泉ヶ丘駅近くに新しい病院棟を建設中です。本来ならすでに稼働していたそうですが、コロナ禍で大幅に建設が遅れたとか。
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清秋
病室は窓側ではないため部屋の窓からの景色は望めません。しかし、別の場所から眺めてみると、住宅街の彼方にあべのハルカスの姿が見えました。この建物はよく目立ち、関西周辺の山に登るとこれを探したものでした。

このさらに奥に梅田の高層ビル群もかすかに見えます。11階建ての病院の屋上に上れば、明石海峡大橋の主塔も見えるそうです。姫路の増位山頂からもこれを見ることができます。直線距離にすれば同じくらいです。
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