優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2024年01月

一月
ほぼ毎日ラジオ体操をしています。第一と第二をあわせても6分余りででき、場所を取らず道具も不要です。YouTubeに実演動画が多数あがっているのでそれを流してやっています。この中でずっと不思議に思っていたものがありました。

第二の中にある「背の運動」です。身体を前に倒して腕を大きく前後に振る動作ですが、「背の運動」とは具体的にどこの運動なのでしょうか。AIにたずねてみたところ、なんと「肩甲骨の運動」だといいます。

肩甲骨周りを大きく動かすことでそのあたりの筋肉を伸ばすのが主な目的なのだそうです。それなら、肩甲骨の運動と言ってくれればいいのに。そのために腕を大きく振っているんですね。これからは肩甲骨まわりを意識してやります。
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春隣る
ハイドンを知ってその曲を探すうち、これは昔好きな歌手のアルバムの発売を待っていたような感覚だと思いました。自分が生まれるずっと前からあった音楽ですが、それでも自分にとっては新曲です。

あまり一気に聴いてしまわない方がいいと思いながら聴いています。流行歌のアルバムを買っていた頃は、それを何度も聴いてそれらの曲は自分の中にしみ込んでいました。シングルで発売されない曲にも大好きな曲がいくつもありました。

ハイドンの曲にもメジャーなものとそうでないものがあります。ピアノ協奏曲で有名なのは11番ですが、それ以外にも素晴らしい曲があり、そういう曲を自分の中で消化できるまで何度も聴こうと思っています。
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人参
圧力鍋を使って五目豆を作りました。かなり前にいただいた大豆があったのを思い出したのです。玄米を炊くべく購入していた圧力鍋なのですが、米を食べなくなったので出番が少なくなっていました。

能登半島地震から一か月、自分も鎮痛剤を手放せない身になったので、そういうとき薬はどうなるかしら、と思いました。処方薬なので受診時に次の受診日を決めてそこまで持つだけしか処方されません。

処方されてすぐだったらまだいいですが、薬が残り少なくなっていたら、ちょっと厳しい、と。医療機関もそのときは被災しているでしょうし、救急患者でそれどころではない状態になっているでしょう。
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冬の夜
CDすらなくなろうという現在、レコードで音楽を聴くという人が再び増加しているそうです。レコードの音に温かみを感じるのだとか。レコードプレーヤーや、レコード針がいまだに生産されていたのには驚きました。

写真に関しても、インスタントカメラのチェキやレンズ付きフィルムの写ルンですが一部で愛用されているという話を聞き、人間というのは不思議だと感じました。便利になったら手間暇かけることに喜びを見出すのでしょうか。

私は音の差などほとんどわからず、CDどころかネット配信で満足しています。写真もコンデジで写しプリントは全くしません。自分の写真もクラウドに移して紙のアルバムは廃棄しました。三次元の物体があると場所をとり邪魔になります。
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寒晴
無調音楽のような人間の生理とかけ離れたものが20世紀にこれほど音楽界で歓迎されたのは、単に目新しかったからだけではありません。ナチスは無調音楽を排斥しました。それによって亡命を余儀なくされた作曲家もありました。

そのため、無調音楽は反ナチス抵抗運動の形を与えられ世界中に広まっていきました。戦後はそれに賛同することが反ナチスにつながるという風潮になりました。芸術は常に政治の影響を強く受けます。

20世紀を代表する芸術と言えば現代音楽、抽象絵画です。どちらもナチスからは否定され排斥されました。時代精神を映し出していたとはいえ、これほど受け入れられたのは、反ナチスという側面があったからです。
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寒中
20世紀に入るとクラシック音楽はロマン派から現代音楽に変わります。現代音楽は調性音楽から離れ、無調音楽、偶然性の音楽など、従来では考えられない技法を取り入れ、難解で親しみにくいものになっていきました。

バロック、古典派の時代まで作曲家は貴族や教会に属し、その求めに応じて作曲していました。それがロマン派以降は自分の感情に従うようになり、それが肥大化して20世紀に入ると大衆の好みから離れていきました。

心地よい旋律やリズムというのは人間の生理に基づいています。そこから離れるのは無理な話です。その間隙を埋めるように登場したのがポピュラー音楽です。録音の発達とともにこれが瞬く間に大衆の心をとらえました。
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春近し
平成に入ってJ-POPという言葉が出てきました。昭和の時代は演歌もロックもポップスも同じ番組で歌っていました。バックは生演奏のバンドで今では考えられない話です。

詞と曲はプロが作り、歌手が歌うのが昭和歌謡の王道でした。それが平成になるとセルフプロデュースへと変わっていきます。昭和47年(1972)に80.6%を記録した紅白歌合戦の視聴率は、平成元年(1989)には47.0%まで下がりました。

昭和歌謡は家族全員知っている歌だったものが、平成になると世代分離が進み、そういう歌がない時代になってきます。紅白歌合戦の視聴率はその後も長期低落傾向が続き、令和以降は30%代になって20%代も目前です。
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春を待つ
クラシックに時代区分があるのが意外な気がしましたが、これをポピュラー音楽に置き換えてみればわかりやすいかもしれません。「昭和歌謡」というカテゴリーができています。

これでいくと、昭和歌謡(1960-1989)、平成歌謡(1990-2019)、令和歌謡(2020-現在)という感じでしょうか。昭和歌謡の時代は<流行歌>がひとくくりでした。テレビの歌番組が全盛で、流行歌はそこから生み出されました。

誰もが覚えやすく口ずさみやすい歌が量産され、町のさまざまな場所でそれらが流れていました。インターネットもスマホも無く、歌を何度も聴きたければレコードやCDを買うしかなかった時代です。
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晩冬
ハイドンの音楽を毎日聴いています。250年ほども前に作られた作品ですが、今も新鮮です。ピアノ協奏曲を全部聴いた後、それらをオルガン、ハープシコードなどで演奏しているものも聴きました。それぞれ異なる魅力があります。

クラシック音楽と一口にいっても、バロック(1600-1750頃)、古典派(1730-1820頃)、ロマン派(1810-1920頃)と大きく三つの時代に分けられます。この区分を頭に入れてから聴くと、時代による特徴と自分の好みがわかってきます。

ハイドンが作曲をおこなったのは1750年頃から1802年までなので、古典派中の古典派です。ソナタ形式、美しい旋律、それが古典派の特徴で、うっとりするようなメロディが次々に現れます。
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日脚伸ぶ
排水口の流れが悪くなっていました。入口近くを清掃する対策をしましたが、効果がありません。そこで排水管の奥まで掃除する排水管清掃ワイヤーを購入しました。排水口からワイヤーを入れどんどん伸ばしていきます。

ワイヤーは全長5mあり、排水口からかなり遠い位置でワイヤーの先が立てる音がしました。ワイヤーの先が当たれば、少々のつまりは押し出されてしまうのだと思います。全長を伸ばしきったあとワイヤーを収納しました。

その後水を流すと、実に気持ちよく水が流れ排水管が本来の直径を取り戻したのが実感できました。こんな小さなことでも自分の手でやりとげれば達成感があります。
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