優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2024年04月

春深し
貞観11年(869)といえば、東日本大震災で注目を浴びた貞観大地震のあった年です。貞観6年(864)からは富士山の噴火も続いており、疫病の流行も重なって社会不安が深刻化していました。

これらは怨霊の祟りであるとされ、それらを鎮めるために祇園御霊会が始まりました。さらに、怨霊を鎮める力を持つスサノオノミコトを広峯神社から分祠することになったのです。

それ以来1150年以上に渡って信仰を集め、安土桃山時代以降は8軒の家が宮座を組み、2軒ずつが1年ごとに神主役を奉仕してきたといいます。今日も御祈祷を受けに来ている人の姿がありました。
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坂道を登って、さらに八十八段の石段を登りきると祇園神社です。清和天皇の貞観11年(869)、姫路の広峯神社から京都の八坂神社に牛頭天王(ごずてんのう)を分祠した際、その神輿が平野の地で一泊しそれを記念してここに社を建てたのが始まりです。

牛頭天王はスサノオノミコトと同一視され、祇園精舎の守護神とされています。このあたりの地名に祇園があったのはそういう縁だったのです。
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さらに有馬街道を北に登っていくと、「塞神(さえのかみ)広場」との表示があり、小さな松が植えられています。昔、このあたりに「塞神の松」と呼ばれる大きな松があり、和田の沖を行く船が舵取りの目印にしたほどだったと伝えられています。

ここ平野は福原京の中心地域であり、大輪田泊や福原荘・和田荘を見晴らすことができました。平清盛の邸宅はここにあり、平野殿と呼ばれていたと記録にあります。

平成6年(1994)、国道428号線拡幅整備工事にともなう発掘調査で、この広場のすぐ西側から底に石を敷く貴族の邸宅の庭園跡が見つかりました。宋からの輸入陶磁器や大量の土器から当時の貴族の生活をうかがうことができます。
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春の夢
有馬街道沿いに「浄海入道・平清盛像」がありました。清盛は晩年に出家し浄海と名乗りました。その少し北にも若武者・平清盛像があったようですが、見落としてしまいました。

「奢れる平氏は久しからず」と悪い話ばかりが言われがちですが、実像はそんなに酷い人ではなかったようです。勝てば官軍で滅びたものには弁明の場が与えられません。
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あちこちでモッコウバラを咲かせておられるお宅がありました。玄関の屋根あたりから咲き下りているものもあれば二階から一階にかけて咲いているものもあります。中国原産のバラで初夏の花ですが、神戸ではすでにあちこちで満開でした。

常緑のつる性の低木でバラながら棘がなく、扱いやすいこともあちこちで栽培されている理由でしょうか。確かに明るい黄色の花が雪崩を打って咲いているのは豪華で、見ていても気持ちがいきいきとしてきます。
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春の薔薇
湊川神社を出て北へ少し上がったところに大倉山公園があります。公園のエントランス広場の花壇の隣に座り、買ってきたお弁当を食べることにしました。近くでは中高生と思われる少女たちが集団で縄跳びをしていました。何かスポーツイベントがあるようです。

そこから有馬街道を渡り、最初の目的地である宝地院に行きました。ここは安徳天皇の菩提を弔うために建てられたそうです。すぐ隣には荒田八幡神社があります。この付近には清盛の弟・平頼盛の別荘があり、福原遷都の際には安徳天皇の行在所になりました。

住宅地の中を歩いていくと、神戸祇園小学校という京都とのつながりを連想させる地名がでてきます。黄色い薔薇の咲いている家があり、まさに薔薇を絵に描いたような完璧な姿だったので思わず写真に収めてしまいました。
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春深む
湊川神社は地元では楠公(なんこう)さんとして親しまれています。この日も結婚式のほか、お宮参りの家族連れも見かけました。

神社の周りにはクスノキが多数植えられています。クスノキはクスノキ科ニッケイ属の常緑高木で、生育スピードが早く暖地で巨木になる傾向があります。日本では関東地方南部以西から本州の太平洋側、四国、九州、沖縄に広がります。

特に九州では分布が多く、日本全体の80%を占めています。それゆえか、佐賀県、熊本県、鹿児島県の県木です。兵庫県の県木なのは、楠木正成にゆかりがあるというのが選定理由のひとつだそうです。
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春闌
神戸市兵庫区の福原京ゆかりの地を巡るハイキングに行ってきました。治承4年(1180)、平清盛が主導して平安京からここに京が移されました。清盛は孫の安徳天皇の新王朝のために政治環境を大転換しようとしましたが、わずか半年で幕を下ろし幻の京となりました。

出発はJR神戸駅。遅めの出発だったので、地下でお弁当を購入し、近くで食べることにしました。北にあがってすぐのところに湊川神社があります。延元元年(1336)、湊川の戦で戦死した楠木正成を祀る神社です。

結婚式が行われるようで、拝殿前に赤絨毯が敷かれ紋付羽織袴の新郎が角隠しをつけ白無垢の衣装を着た花嫁の手をひくという、今となっては懐かしさを覚えるような結婚式が執り行われようとしていました。
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長閑さ
「シーシュポスの神話」でゼウスは神を欺いた罰としてシーシュポスに大岩を山の上に持ち上げさせます。その岩は頂に達した瞬間また山の麓に落ちてしまい、一からやり直さなければなりません。

虚しさの典型とされる天罰なのですが、私は最も過酷な罰はむしろ「何もさせない」ことだと思います。シーシュポスは岩を持ち上げるということに集中でき、持ち上げ方を工夫する余地もあります。

シーシュポスが「どのような気持ちでそれに挑むか」によって、見た目は同じでも内側から見える景色は変ります。不条理と思えることで何かができなくなったとしても、不条理の中で自分の心の自由は残されます。それにどう対処するかはその人しだいです。
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芽吹き
抗magニューロパチーでこの先外で遊ぶことが恐らくだんだん難しくなっていくだろうと思い、今のうちに何か楽しめることを始めておこうと考えました。

電子ピアノを考えたのは、自分一人で家でできること、楽譜がいくらでもあることが大きいです。以前絵を描いていたころ、作品が膨大になり処置に困ったこともあって、三次元の「モノ」が残るような趣味はやめておこうと思いました。

J.S.バッハ「インヴェンションとシンフォニア」は2,000円ほどの楽譜です。先生について習う気はなく、自分が楽しんで弾ければいいのです。
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