優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2025年04月

春の汗
小赤壁を構成する三山である燈籠地山の岩が目の前に見えます。この山の上には室町時代の応永年間(1394-1428)に築かれた福泊溝居跡があります。初代城主は恋の浜城(姫路市白浜)の城主・三木通近の孫・長尾通朝です。

三木氏は水軍で知られる伊予国河野氏から分かれたと言われています。三木氏は播磨国守護の赤松氏との関係を深め、三代目の通重は赤松満祐の娘を娶っています。

福泊構居がいつまで存続していたのかは不明ですが、播磨灘を行き交う船を一望のもとに把握できる場所は戦略的に重要であったと思われます。
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暖か
小赤壁に至る手前に「八家地蔵」があります。鎌倉時代に作られた地蔵菩薩半跏像で江戸時代に書かれた『播磨名所巡覧図絵』に載っており、古くから信仰を集めてきました。「子授け地蔵」として有名と書かれています。

像高154cm、光背・台座を含めると210cmという石像としては稀に見る大像で、姫路市指定文化財になっています。眼前に播磨灘があり、今はコンクリート塀で囲まれていますが、かつてお地蔵様は直接海をご覧になっていたものと思われます。
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福泊マリーンベルトから姫路市立遊漁公園の前を通って行きました。土曜日ですが遊漁公園は閉まっています。播磨灘の穏やかな波とやわらかな風が心地よいです。

視界の先には小赤壁が見えました。高さ50m、長さ800mの流紋岩からなる岩石海岸です。文政8年(1825)に頼山陽がこの地を訪れ、『三国志』で知られる中国の赤壁に似ているとして「小赤壁」と命名しました。

姫御前山、燈籠地山、木庭山と続く50mほどの低山の南斜面が播磨灘へ向かって崖となって落ち込んでいます。その上に巨大な送電鉄塔が並んでおり、頼山陽が今この景色を見たら仰天するでしょう。
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春風
東屋には木製の頑丈なテーブルと椅子が備え付けてありました。BBQ禁止とありますが、誰かがここで何かを調理したのか、テーブルがひどく焦げていました。火種が残っていて燻り続けたのかもしれません。

海からの穏やかな風に吹かれつつそこで持ち寄ったコーヒーや紅茶、お茶菓子などを分け合ってティータイムにしました。

日向を歩くと汗ばんできますが、日陰に入り風に吹かれていると、まだ肌寒さを感じるような微妙な気温です。遠くに家島の東の端の上島が見えます。男鹿島は削られた岩肌の色がかすかにわかる程度に霞んでいました。
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春の海
西の東屋には人影が見えなかったので、そこまで歩くことにしました。このあたりは姫路市の東の端ですぐ隣は高砂市です。東の海岸線を見ると高砂火力発電所をはじめ、播磨臨海工業地帯の工場群がずらりと並んでいます。

このあたりは工業化が進む以前は松原と砂浜が広がる美しい海岸線だったそうです。今は夜になると工場群の明りが独特の幻想的な夜景を見せてくれます。

海岸の一部には昔をしのんで浜辺が一部復元されているところもあります。福泊マリーンベルトもその一環として整備されたのかもしれません。かつては汚れていた播磨灘も今ではすっかりきれいになり、波打ち際の海底が見えます。
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春空
福泊マリーンベルトを歩き始めると背後からパラグライダーが降りてきました。見上げればパラグライダーの飛び出し基地があります。ほどよく風があり快晴で絶好のパラグライダー日和といえそうです。

福泊海岸駐車場に停まっていた車の多くはパラグライダーをする人たちのものだったようです。あそこから飛び出せば、明石海峡大橋、淡路島、家島諸島などが一望でき、播磨灘を航行する船も眼下に飛行が楽しめるでしょう。
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春の海
福泊海岸駐車場に出ると目の前に播磨灘が広がっています。駐車場を抜けて福泊マリーンベルトに入りました。姫路市立の海浜公園で、浜辺とそこにそった遊歩道が整備されています。遠くに姫路市立遊漁公園の建物が見えました。

東屋もあり東の東屋には地元の年金生活らしい男性数人が集まっていました。男性で引退生活に入り特に趣味もなく田畑も無いとなれば「暇を持て余す」状態になるのは明らかです。

図書館でもそういう層の男性が新聞をとっかえひっかえ見ては一日を過ごしている姿を目にしました。女性には家事がつきまといますが、それも一定年齢を過ぎれば規則正しい生活を支えてくれる指標になります。
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たんぽぽ
家並みを外れて海辺の山ぎわまで来ると「福泊キャンプ場は閉鎖しました」との看板がありました。施設老朽化に伴ってのことだそうです。砥堀のそうめん滝キャンプ場も同様の理由で廃止になりました。

そうめん滝は行くまでの道が狭く重機を入れるのも大変です。しかし、ここはそういうことはないのでは、と不思議に思いました。近くの福喜建設の前で作業をしていた男性に話をきけば、「外国人が来て騒ぐので困った」とのこと。

なるほど、それなら地元の同意が得られないだろうと思いました。看板の下では花を終えたタンポポが綿毛に変わり風を待っていました。
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残る桜
土曜日に山陽電鉄的形駅から海辺へ出て福泊マリーンベルトを歩き、お昼ご飯を「天晴水産みのり家」で食べるというハイキングをしました。快晴でほどよく風があり気持ちのいい一日でした。

駅を出て歩き始めると海水浴場や潮干狩りの看板が目につきました。4月後半から貝毒が発生しており、兵庫県は出荷の自主規制を要請しています。潮干狩りもゴールデンウィークを前に痛手でしょう。

町の中を歩いていくとまだ満開の桜をみかけました。かなり遅咲きの桜です。品種名がなんというのかはわかりませんが、同じ種類と思われる桜がマリーンベルト周辺にも植えられていました。時期をずらしてお花見が楽しめそうです。
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チューリップ
チューリップの原産地は中央アジアとされ、古くはオスマン帝国でもてはやされました。神聖ローマ帝国の大使としてオスマン帝国に赴いていたオージェ・ギスラン・ド・ブスベックによって16世紀に初めてヨーロッパに紹介されました。

ヨーロッパに伝わった際に花の名前が誤ってチュルバン(ターバンという意味)とされたためにチューリップという名になったと言われています。園芸家の熱狂を生み、世界最初のバブルはこの球根の取引に絡むものです。

日本には江戸時代後期に伝来したもののその時は広く普及しませんでした。大正時代に入って栽培が本格化。大正8年(1919)富山県東砺波郡庄下村(現:砺波市)での栽培が資料では日本最初とされています。
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