春きざす
雄岳の山頂は木に囲まれて見晴らしはありません。少し下りたところに大津皇子の墓があります。大津皇子は天武天皇の皇子で、同じ天武天皇の皇子である草壁皇子との皇位継承にからむ問題で、謀反の疑いありとされ、自害しました。

文武に秀で同時代の皇子の中では血統的にも草壁に匹敵する存在でした。辞世の歌は「ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」。同母姉の大来皇女がその死を悲しみ「うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む」と詠みました。

謀反説などは、いまだに学者の間でも論争が分かれているところです。しかし、背後に天武天皇の皇后であり、草壁皇子の母でもあった後の持統天皇の意志があることは間違いないでしょう。IMG_1147