秋の水
1992年、酒船石がある丘陵北斜面の発掘調査で砂岩石垣が見つかりました。この地は伝飛鳥板葺宮跡の東方に位置し、『日本書紀』の斉明天皇2年(656)の条に記された「宮の東の山に石を累ねて垣とす」の記述に合致すると推定されました。

2000年の第12次発掘調査で亀形や小判形石造物が見つかっています。石敷き広場の中央に砂岩積みの湧水施設、小判形と亀形の石造物を通る基幹排水溝が設けられ、閉鎖性の強い人工的な空間であることから、何らかの祭祀を行った場所と考えられています。酒船石とこれらをあわせ、『酒船石遺跡』と名づけられました。

専属のガイドさんがいらっしゃって、遺跡の説明をしてくださいました。この丘は人工的に築かれたものと考えられ、大規模な土木工事であったことがうかがえます。斉明天皇は天智・天武天皇の母にあたり、史上最初の重祚をした天皇でもあります。

斉明天皇となったときは62歳、実権は皇太子の中大兄皇子(後の天智天皇)が握っていました。度重なる土木工事に不満の声が起き、それが有間皇子の変につながったと言われています。中大兄皇子が邪魔な有馬皇子を陰謀で葬ったとも言えますが。
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