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晩秋
記念碑の丘へ向かう道を取らず、そのまま隣接する北池の周囲を回ることにしました。加古大池の周囲が3kmなので、それに1kmほど追加することになったでしょうか。もともと五つのため池に分かれていたものを1949年(昭和24)の大改修でひとつに統合し現在の形になったということです。
加古大池は1661年(万治4)にこの地の庄屋たちの願い出により新田開発の農業用ため池として築造されました。水源は草谷川ですが、池との高低差が少なく人々は苦労して加古大溝と呼ばれる3kmの用水路を作り水を溜めました。
コメント
コメント一覧 (2)
素敵な御句ですね。!!
光景が目に浮かんできます。
「ため池」にまつわる歴史をお教え頂きありがとうございます。
こう言う一つ、一つを目にする事が出来る環境に居る事にひたすら感謝です。
そして、リチュアル・ダンス様との出会いにも感謝です。!!!
「ため池」は水の無い所の先人が苦労して築かれたという事が良く分かりますね。
長野県の隣、山梨県には「信玄堤」と言う物が有ります。釜無川の氾濫替を防ぐために「武田信玄」が築いたと言われています。
そう言えば、昨年長野市方面を襲った台風19号の甚大な被害も、「千曲川」の氾濫によるものでした。
「堤防」を決壊させるほどの水の猛威を改めて知りました。
コメントいただきありがとうございます。
こうして書くとその都度調べますからいろんなことがわかっておもしろいです。
自分の住んでいる周りの地域でも知らないことはいっぱいあります。
信玄堤の話は聞いたことがあります。
川の水を抑え込むのではなく、うまく流れを逃がす部分を作って洪水を防いだ優れた土木技術だときいています。
日本の川は急流で雨量も激変しますから治水は大変ですね。