◆初紅葉
姫路出身の商人で俳諧師でもあった井上千山は芭蕉を姫路へ招きましたが、芭蕉の死により実現しませんでした。息子の寒瓜が芭蕉の遺品の管理場所として芭蕉の50回忌に、増位山の麓、随願寺念仏堂裏手に風羅堂を建てました。
以後、風羅堂は芭蕉を風羅堂1世に据え、蕉風俳句の西の道場として多くの俳人達の集う場所となりました。しかし1874年、流行病発生により焼却処分され断絶、現在に至っています。
葛垣守三(1779-1860)は京都から姫路へ来て播磨の地に芭蕉の流れを広げる要の存在となりました。義兄の菩提寺である法性寺に守三の墓があります。160回忌にあたる2019年に句碑を建てることになり、辞世の句「万延巳のとしよろず此世を去るによし」を刻んで昨年完成しています。

姫路出身の商人で俳諧師でもあった井上千山は芭蕉を姫路へ招きましたが、芭蕉の死により実現しませんでした。息子の寒瓜が芭蕉の遺品の管理場所として芭蕉の50回忌に、増位山の麓、随願寺念仏堂裏手に風羅堂を建てました。
以後、風羅堂は芭蕉を風羅堂1世に据え、蕉風俳句の西の道場として多くの俳人達の集う場所となりました。しかし1874年、流行病発生により焼却処分され断絶、現在に至っています。
葛垣守三(1779-1860)は京都から姫路へ来て播磨の地に芭蕉の流れを広げる要の存在となりました。義兄の菩提寺である法性寺に守三の墓があります。160回忌にあたる2019年に句碑を建てることになり、辞世の句「万延巳のとしよろず此世を去るによし」を刻んで昨年完成しています。

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