梅林
切り倒された木々の向こうに播磨灘が見えました。この区画のさらに上に姫路藩主・榊原政邦夫妻の墓所があります。政邦が亡くなったのは享保11年(1726)です。

墓所が作られたころ、周囲の木々の背は低く播磨灘を見渡すことができたのではないでしょうか。梅林を再生するためには、さらに南側の斜面の木々を伐採して、再び海が見渡せる梅林にすることが必要ではと思いました。
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