このあたりの市川の左岸には山が迫っています。明治維新直後、生野銀山と飾磨港をつなぐためここに石畳を敷いた道路が完成しました。「銀の馬車道」と呼ばれ、日本最初の高速産業道路になりました。

この道は現在のJR播但線が開通するまで主な産業道路として使用され、それらの遺構が日本遺産に登録されています。この橋の名前が「生野橋」であるのは、その歴史的経緯によるものです。
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