早春
日曜日に散歩をしていると、田んぼの中に五輪塔がたっていました。『太平記』によれば、暦応4年(1341)足利家の執事である高師直の讒言にあった塩谷高貞は都落ちします。彼の妻は後醍醐天皇から授けられた弘徽殿三位局(顔世御前)でした。

彼女は高貞の郎党に守られ子どもたちとともに逃れるところ、ここ陰山の里で追手に追いつかれてしまい焚堂に火を放って自害します。奮戦した武将たちを村人たちが葬り、遺骸の歯が目だったことから「歯神さん」と呼ばれるようになったとのことです。

その後、村を災厄から守る道祖神のような存在になっていきました。周囲に新しい住宅地が広がる中でも大切に守られている様子がわかります。
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