長閑さ
「シーシュポスの神話」でゼウスは神を欺いた罰としてシーシュポスに大岩を山の上に持ち上げさせます。その岩は頂に達した瞬間また山の麓に落ちてしまい、一からやり直さなければなりません。

虚しさの典型とされる天罰なのですが、私は最も過酷な罰はむしろ「何もさせない」ことだと思います。シーシュポスは岩を持ち上げるということに集中でき、持ち上げ方を工夫する余地もあります。

シーシュポスが「どのような気持ちでそれに挑むか」によって、見た目は同じでも内側から見える景色は変ります。不条理と思えることで何かができなくなったとしても、不条理の中で自分の心の自由は残されます。それにどう対処するかはその人しだいです。
IMG_7234