さらに有馬街道を北に登っていくと、「塞神(さえのかみ)広場」との表示があり、小さな松が植えられています。昔、このあたりに「塞神の松」と呼ばれる大きな松があり、和田の沖を行く船が舵取りの目印にしたほどだったと伝えられています。

ここ平野は福原京の中心地域であり、大輪田泊や福原荘・和田荘を見晴らすことができました。平清盛の邸宅はここにあり、平野殿と呼ばれていたと記録にあります。

平成6年(1994)、国道428号線拡幅整備工事にともなう発掘調査で、この広場のすぐ西側から底に石を敷く貴族の邸宅の庭園跡が見つかりました。宋からの輸入陶磁器や大量の土器から当時の貴族の生活をうかがうことができます。
IMG_7272