冬霧
聚遠亭を出た後は石段状になった緩やかな山の斜面を登って行きました。番所跡、井戸跡などを横に見てさらに行くと、的場山(394m)との稜線に出ます。今回は右手の鶏籠山(218m)への道を行きました。

やがて広場に出て、ここが龍野古城(朝霞城)本丸跡です。城は明応8年(1499)赤松一族によって築かれ、赤松村秀が初代城主になり、その後、政秀、広貞、広英の四代78年続きます。

天正5年(1555)、天下統一を目指す織田信長は、家臣の羽柴秀吉を播磨平定に送り込みます。揖保川まで攻め寄せた二万の軍勢を眼下に広英は、赤松一族の滅亡を憂い、城を明け渡して秀吉の軍門に下りました。
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