春の夢
平清盛は能福寺で剃髪し法名を平相国浄海としました。平家一門はみな能福寺に帰依し七堂伽藍を建立し大いに栄えました。遷都するほど兵庫を愛した清盛は、死に際して遺骨を兵庫に持ち帰るように遺言したとされています。

養和元年(1181)能福寺領内に墓処として平相国廟が造立されました。しかし、平家滅亡と同時にことごとく破壊され、能福寺は灰燼に帰しました。以後、廟は再建されることなく、その存在は忘れ去られていました。

弘安9年(1286年)平家一門の栄枯盛衰を哀れんだ時の執権北条貞時はその近くに石塔を建て清盛の霊を弔いました。それが能福寺の南にある清盛塚です。昭和55年(1980)2月、平清盛公800回大遠忌に平相国廟が能福寺境内に再建されました。
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