◆春陽
高田屋嘉兵衛(1769-1827)は淡路島出身の江戸時代後期の廻船業者・海商です。兵庫津で商人となり後に廻船商人として蝦夷地の箱館(函館)に進出しました。国後島・択捉島間の航路を開拓し、箱館の発展に貢献しました。
ゴローニン事件でカムチャッカに連行されますが、日露交渉の間に立ち解決に尽力します。晩年は淡路島に帰り地元発展のために財を投じました。しかし、高田屋は彼の没後、幕府から密貿易の嫌疑をかけられるなどして、闕所、所払いとなり没落しました。
明治になってから北方開拓の功績が認められ、政府は明治44年(1911)に正五位を追贈。兵庫津は彼が廻船商人として飛躍する基礎となった地で、本店のあった場所には記念碑が立っていました。

高田屋嘉兵衛(1769-1827)は淡路島出身の江戸時代後期の廻船業者・海商です。兵庫津で商人となり後に廻船商人として蝦夷地の箱館(函館)に進出しました。国後島・択捉島間の航路を開拓し、箱館の発展に貢献しました。
ゴローニン事件でカムチャッカに連行されますが、日露交渉の間に立ち解決に尽力します。晩年は淡路島に帰り地元発展のために財を投じました。しかし、高田屋は彼の没後、幕府から密貿易の嫌疑をかけられるなどして、闕所、所払いとなり没落しました。
明治になってから北方開拓の功績が認められ、政府は明治44年(1911)に正五位を追贈。兵庫津は彼が廻船商人として飛躍する基礎となった地で、本店のあった場所には記念碑が立っていました。

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