□◆□…優嵐歳時記(943)…□◆□
イタリアのアリアを聴くや冬の夕 優嵐
知り合いのお嬢さんの初めてのコンサートに行って
きました。普通の大学に通いながら声楽を学び、その後
ドイツにも留学して研鑽を積まれたということです。
オペラのアリアを聴く機会など、今まで一度もありませ
んでしたが、歌の素晴らしさに圧倒されました。
ほっそりとした外見からは想像もつかないほどの声量。
長い修練を積んで、声楽独特の特殊な発声法を身につけ
られたからこそなのでしょう。高1のときに「音楽をやりたい」
と心に決め、その道に進むためにさまざまな困難を
克服した彼女に拍手を贈りたいと思います。
イタリアのアリアを聴くや冬の夕 優嵐
知り合いのお嬢さんの初めてのコンサートに行って
きました。普通の大学に通いながら声楽を学び、その後
ドイツにも留学して研鑽を積まれたということです。
オペラのアリアを聴く機会など、今まで一度もありませ
んでしたが、歌の素晴らしさに圧倒されました。
ほっそりとした外見からは想像もつかないほどの声量。
長い修練を積んで、声楽独特の特殊な発声法を身につけ
られたからこそなのでしょう。高1のときに「音楽をやりたい」
と心に決め、その道に進むためにさまざまな困難を
克服した彼女に拍手を贈りたいと思います。

コメント
コメント一覧 (4)
そうですね。特に芸術分野で自分の初志を貫いて
技術を磨き、突き抜けたものになるのは並々ならぬ
努力と意志が必要だと思います。
そういうものに出会えて自分を捧げる(変な言い方ですが)
ことができる人というのは、ある意味で大変幸せな人
ではないか、とも思うのです。シアワセというのは、
きっとそういうものだろう、と。
思いますね。天才というのは、それをせずにいられない。
魚が水を求めるように、その中へ入り込んで、だからこそ
その中で自由に泳ぐことが可能になる。そういうこと
ではないかなぁと思います。