□◆□…優嵐歳時記(945)…□◆□
遠山に雲の影ある芭蕉の忌 優嵐
芭蕉は1694年11月28日(旧暦:元禄17年10月12日)
旅の途中、大坂御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残し、客死し
ました。
江戸時代以前の人の忌日は旧暦の日付を調べないと正確
にはいつかがよくわかりません。別名「時雨忌」とも
呼ばれていますが、新暦の10月12日では天は高く、とても
時雨という趣ではありません。
今日は朝のうち晴れていましたが、お昼ごろから雲が出て
時雨っぽいお天気になってきました。家の周りにある銀杏
は今が黄葉の最盛期です。芭蕉が亡くなった時代よりは
少し暖冬かもしれませんが、季感はこんな風だったの
だろう、と想像することは可能です。
遠山に雲の影ある芭蕉の忌 優嵐
芭蕉は1694年11月28日(旧暦:元禄17年10月12日)
旅の途中、大坂御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残し、客死し
ました。
江戸時代以前の人の忌日は旧暦の日付を調べないと正確
にはいつかがよくわかりません。別名「時雨忌」とも
呼ばれていますが、新暦の10月12日では天は高く、とても
時雨という趣ではありません。
今日は朝のうち晴れていましたが、お昼ごろから雲が出て
時雨っぽいお天気になってきました。家の周りにある銀杏
は今が黄葉の最盛期です。芭蕉が亡くなった時代よりは
少し暖冬かもしれませんが、季感はこんな風だったの
だろう、と想像することは可能です。

コメント
コメント一覧 (6)
「一茶忌」はちょうど新蕎麦の季節に重なって、全国から一茶ファンと俳句愛好家、そしてそれに劣らぬ数の蕎麦好きで賑わいます。
実は、一茶忌も旧暦の文政10年11月19日で、西暦に
なおしますと、1828年1月5日になります。
有名俳人の忌日は全部季語になっていまして、
歳時記に載ってるんです。
小寒に入る頃、最も信濃の寒さが厳しくなるころに
この世を去ったというのも、何か一茶らしいといえば
一茶らしい気がします。
観光からいうと、新蕎麦の季節の方がありがたいですよね。
ちなみに今では芭蕉忌も新暦で行事になっているそうです。
しかし、季感を大事にしたはずの俳人たちがそれをどのように
考えているか・・・ちょっと聞いてみたいですね。
一茶の晩年ってホントにトホホですが(病気、子どもの死、自宅の火事などなど)、それを受けとめてなお句を作っていたりして、人が生まれてから死ぬまでって基本的にこんなふうにカッコわるいよな、、、としみじみします。
>俳人たちがそれをどのように考えているか
自分を慕う人が後世に多いのはよいとしても、胸中フクザツかもしれませんね??
私も俳句を詠みだしてから旧暦に初めて関心を持つように
なりました。新暦だけだと古典的な感覚は失われますね。
>人が生まれてから死ぬまでって基本的にこんなふうに
カッコわるいよな、、、
一茶は特に、そういうところが強く出た印象です。
しかし、あの人生ゆえにあの句だよなぁとも思うと、
不可欠なものだったのか、とも。
幼子を次々なくして
「露の世は露の世ながらさりながら」
と詠んだ句なんて、いまでも胸がつまる思いがします。
どこにも死とかつらいとか悲しいとかの文字はないの
ですが、それだけに、いっそう悲痛なものを感じます。
忌日はやっぱり旧暦でしのんであげていただきたいな、と
個人的には思います。その季節の空気の中で彼らが
この世に別れを告げたわけですから。
そうですね、季節となにかしらつながる感じがするだけに。
歴史の古い村祭りなどでも、決まった日付に行っていたのを「○月第△日曜」に変更してしまう例が少なくありません。過疎で担い手が不足するなか、なんとか継続していくための方策だと思うと一概に非難できませんが、祭りはとくに、意味あいが変わってしまいますね。
この先はさらにこの問題が深刻、でしょうか。
観光化した祇園祭のような巨大な祭りは別として、
地域での素朴なお祭りはなかなか従来どおりに
おこなうのは難しいでしょうね。