タグ:うららか
うららかや翡翠かずらの翡翠色
うららかや川鵜日差しへ翼干す
うららかに家紋をつけて鯱並ぶ
うららかや古き車両の顔を見る
◆うららか
快晴で朝は冷えていましたが、風はなく日中は気温が上がりました。JR兵庫駅で普通電車を降り海の方向に向かって歩いて行きました。このあたりは工場が建ち並んでいます。神戸といっても三宮などとは違いあまり馴染みがありません。
やがて「KAWASAKI」の赤い文字が見えてきました。兵庫運河沿いにある川崎車両株式会社の本館ビル横には二両の鉄道車両が停まっています。
昭和33年(1958)に初めて東京と関西の日帰りを可能にしたビジネス特急「こだま」の上り1番列車の先頭車両と、平成20年(2008)0系新幹線のラストランを飾った「ひかり347号」です。鉄道ファンであれば一度は見たいのではないでしょうか。

快晴で朝は冷えていましたが、風はなく日中は気温が上がりました。JR兵庫駅で普通電車を降り海の方向に向かって歩いて行きました。このあたりは工場が建ち並んでいます。神戸といっても三宮などとは違いあまり馴染みがありません。
やがて「KAWASAKI」の赤い文字が見えてきました。兵庫運河沿いにある川崎車両株式会社の本館ビル横には二両の鉄道車両が停まっています。
昭和33年(1958)に初めて東京と関西の日帰りを可能にしたビジネス特急「こだま」の上り1番列車の先頭車両と、平成20年(2008)0系新幹線のラストランを飾った「ひかり347号」です。鉄道ファンであれば一度は見たいのではないでしょうか。

うららかや役場もキャッシュレスとなり
父は子を肩車してうららけし
◆うららか
少し走ると幼子を肩車して歩いているお父さんを見かけました。こういうのも暖かくなってきたからでしょう。電車内には北陸新幹線開業を知らせる吊り広告がありました。今日、3月16日が開業日です。
能登半島地震による観光客の落ち込みをこの新幹線の開業が少しでも支えてくれるといいですね。東日本大震災のときは自粛ムードが日本中を覆っていました。しかし、いまは自粛よりも出かけて活性化を助けるのが大事だとわかってきていますから。
2年前の初夏に金沢と和倉温泉に行きました。観光列車の花嫁のれんにも乗りました。花嫁のれんは地震の影響で再開の目途がたっていません。和倉温泉の被害も大きく、お世話になった「能登海舟」も現在は休業中です。一日も早い復旧をお祈りします。

少し走ると幼子を肩車して歩いているお父さんを見かけました。こういうのも暖かくなってきたからでしょう。電車内には北陸新幹線開業を知らせる吊り広告がありました。今日、3月16日が開業日です。
能登半島地震による観光客の落ち込みをこの新幹線の開業が少しでも支えてくれるといいですね。東日本大震災のときは自粛ムードが日本中を覆っていました。しかし、いまは自粛よりも出かけて活性化を助けるのが大事だとわかってきていますから。
2年前の初夏に金沢と和倉温泉に行きました。観光列車の花嫁のれんにも乗りました。花嫁のれんは地震の影響で再開の目途がたっていません。和倉温泉の被害も大きく、お世話になった「能登海舟」も現在は休業中です。一日も早い復旧をお祈りします。

うららかや視界の果てまで海岸線
うららかに参道晴れて天満宮
うららかや長崎湾に船が入る
◆うららか
次にグラバー園へ行きました。路面電車の「大浦天主堂」で降りず、終点の「石橋」まで行き、グラバースカイロードを使いました。こちらを使えば坂道を下りながら園内を散策することができます。しかし、石橋駅からグラバー園へはほとんど案内板がありませんでした。
グラバースカイロードは斜行エレベーターと垂直エレベーターを組合せ、徒歩しか手段のない斜面住宅上部の住人が楽に行き来できるように設置されたものです。観光客が押し寄せるとこれらの人達にとっては生活手段が脅かされるので、それほどアピールされていないのでは、と思いました。
スカイロードを使われる地元の方に行き合わせ、案内していただきました。園内に入ると長崎湾が見渡せます。貿易商であったグラバーたちはここから出入りする船舶を見たのでしょう。

次にグラバー園へ行きました。路面電車の「大浦天主堂」で降りず、終点の「石橋」まで行き、グラバースカイロードを使いました。こちらを使えば坂道を下りながら園内を散策することができます。しかし、石橋駅からグラバー園へはほとんど案内板がありませんでした。
グラバースカイロードは斜行エレベーターと垂直エレベーターを組合せ、徒歩しか手段のない斜面住宅上部の住人が楽に行き来できるように設置されたものです。観光客が押し寄せるとこれらの人達にとっては生活手段が脅かされるので、それほどアピールされていないのでは、と思いました。
スカイロードを使われる地元の方に行き合わせ、案内していただきました。園内に入ると長崎湾が見渡せます。貿易商であったグラバーたちはここから出入りする船舶を見たのでしょう。
