優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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8品をいただいた後、釜揚うどんが出てきました。通常のつゆと胡桃つゆがついてきました。胡桃つゆの濃厚な味わいがもちもちとしたうどんの食感によくあいます。

うどんのコース料理とはいったいどんなものだろうか、と思っていましたが、とても美味しく堪能させていただきました。オーナーの独創性が活きています。
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ヒスイカズラはフィリピン諸島に自生するマメ亜科の熱帯つる性植物です。名前の通り宝石の翡翠のような淡い青緑色の花が咲きます。今が開花期で約8mのパーゴラから房状に垂れ下がった花を見ることができました。

この珍しい花の色はコピグメント効果によるものです。アントシアニンなどの色素とフラボンなどの無色物質が結合することで、色を濃くしたり、青みを増したりします。花の色を青くする原因の一つとして知られています。

ヒスイカズラの場合は、色素としてマルビン・サポナリンが1:9の割合で含まれていること、表皮細胞のpHが7.9とアルカリ性に傾いていることによるものです。
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生野橋の下あたりは市川が山に沿って曲がるため流れが緩やかになっています。豪雨の時期にはこのあたりは水位を警戒する必要があり、監視のために周囲の草が広く切り払われています。

水流が緩やかになるために水鳥にとっては憩いの場所になるようで、冬は鴨の群れが浮かんでいるのを見ます。鷺類もよくいます。先日はその中の岩の上でカワウが羽を広げていました。この姿を「鵜の羽干し」と言います。

水に潜って魚を獲った後、濡れた羽を日光で乾かしているのです。カモ類など一般の水鳥は尾脂腺から出る脂を羽に塗っているため水を弾きます。しかし、鵜類はこれがあまり発達しておらず、羽を乾かす必要が生じます。
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動物園を出て大手門に向かう頃にはさらに観光客の姿が増えていました。大手前通りを駅に向かって歩いていると、大天守の屋根に飾られている鯱をかたどったモニュメントが据えられていました。

向かって左には揚羽蝶、姫路城初代城主の池田輝政の家紋です。右側の五七桐は結城松平家が姫路城主をつとめた時代(1639-1648)に用いたものです。

姫路城の特徴である白漆喰総塗籠造は戦での防火を意識したものです。池田輝政は家康の女婿で、関ケ原の戦いの後、西国大名への備えとして姫路城を築きました。戦に対する機能性が今では比類ない美しさを産んでいます。
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快晴で朝は冷えていましたが、風はなく日中は気温が上がりました。JR兵庫駅で普通電車を降り海の方向に向かって歩いて行きました。このあたりは工場が建ち並んでいます。神戸といっても三宮などとは違いあまり馴染みがありません。

やがて「KAWASAKI」の赤い文字が見えてきました。兵庫運河沿いにある川崎車両株式会社の本館ビル横には二両の鉄道車両が停まっています。

昭和33年(1958)に初めて東京と関西の日帰りを可能にしたビジネス特急「こだま」の上り1番列車の先頭車両と、平成20年(2008)0系新幹線のラストランを飾った「ひかり347号」です。鉄道ファンであれば一度は見たいのではないでしょうか。
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町役場で戸籍や除籍、その付表などをあわせてとり、数千円の費用がかかりました。驚いたのは窓口の料金の支払いがキャッシュレス化されていたことでした。

今、一番キャッシュレス化が進んでいないのは開業医ではないでしょうか。大規模な病院はほぼすべてクレジットカードが使えます。町役場でさえこれが導入されているということは、社会の完全キャッシュレス化も近いと思いました。
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少し走ると幼子を肩車して歩いているお父さんを見かけました。こういうのも暖かくなってきたからでしょう。電車内には北陸新幹線開業を知らせる吊り広告がありました。今日、3月16日が開業日です。

能登半島地震による観光客の落ち込みをこの新幹線の開業が少しでも支えてくれるといいですね。東日本大震災のときは自粛ムードが日本中を覆っていました。しかし、いまは自粛よりも出かけて活性化を助けるのが大事だとわかってきていますから。

2年前の初夏に金沢と和倉温泉に行きました。観光列車の花嫁のれんにも乗りました。花嫁のれんは地震の影響で再開の目途がたっていません。和倉温泉の被害も大きく、お世話になった「能登海舟」も現在は休業中です。一日も早い復旧をお祈りします。
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東に目をやると博多湾の海岸線がずっと向こうまで見えました。博多港からは多くの船が出ており、釜山に向う航路もあります。日本海は世界地図の中で見ると地中海に似たような地形で、有史以前からこの海を大勢の人が行き来してきたのでしょう。
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嬉野温泉駅発9時40分の特急みどり14号(リレーかもめ)でJR二日市駅まで行きました。みどり14号はかもめと同じホームで接続しています。これには驚きました。東海道・山陽新幹線では在来線はすべて別ホームになっているからです。

みどり14号の車内にはアジア各地からやってきたと思われる観光客が多く、前の席にはタイ人が乗っていました。アジアの経済力の上昇を感じます。

12日の観光は大宰府天満宮からです。JR二日市駅から西鉄二日市駅まで歩き、西鉄太宰府駅で降りました。昌承4年(901)菅原道真は左遷されてこの地に赴き、延喜3年(903)ここで失意のうちに亡くなっています。
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次にグラバー園へ行きました。路面電車の「大浦天主堂」で降りず、終点の「石橋」まで行き、グラバースカイロードを使いました。こちらを使えば坂道を下りながら園内を散策することができます。しかし、石橋駅からグラバー園へはほとんど案内板がありませんでした。

グラバースカイロードは斜行エレベーターと垂直エレベーターを組合せ、徒歩しか手段のない斜面住宅上部の住人が楽に行き来できるように設置されたものです。観光客が押し寄せるとこれらの人達にとっては生活手段が脅かされるので、それほどアピールされていないのでは、と思いました。

スカイロードを使われる地元の方に行き合わせ、案内していただきました。園内に入ると長崎湾が見渡せます。貿易商であったグラバーたちはここから出入りする船舶を見たのでしょう。
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