タグ:クリスマス
バッハ弾きバッハを聴いてクリスマス
教会の前庭にクリスマス飾り
クリスマス公園に響く子らの声
◆クリスマス
日曜日も「CAROHIMEPARK」へ立寄りました。公園の中央に登れる丘のような場所があります。下は空洞でぐるりと半円状に木製ベンチが据え付けられています。子どもたちが代わる代わるあがっており、私も登ってみました。
役所の規定で作られる公園とは一味違うと歩きながら感じました。決まりきった遊具はなく、子どもが自由に走り回れますし、大人も散策できます。地元の人、特に子どもたちに車に親しんでもらうにはこういう場所を設けるのがいいのかもしれません。

日曜日も「CAROHIMEPARK」へ立寄りました。公園の中央に登れる丘のような場所があります。下は空洞でぐるりと半円状に木製ベンチが据え付けられています。子どもたちが代わる代わるあがっており、私も登ってみました。
役所の規定で作られる公園とは一味違うと歩きながら感じました。決まりきった遊具はなく、子どもが自由に走り回れますし、大人も散策できます。地元の人、特に子どもたちに車に親しんでもらうにはこういう場所を設けるのがいいのかもしれません。

メリークリスマスあなたにもわたしにも
四畳半に聴くクリスマスオラトリオ
◆クリスマス
バッハの『クリスマスオラトリオ』をBGMのように聴いてみました。六つのカンタータをあわせた作品で、一曲目の最初は聴いたことがありました。ティンパニとファンファーレで始まるバロックらしい華やかさに満ちた曲です。
演奏も素晴らしいですが、YouTubeでこの曲を検索したとき、ジャケット写真に目を奪われました。マリアと幼子イエスとはすぐにわかりました。それにしてもこのマリアの表情。不思議な憂いと哀愁が漂い中世と言うよりむしろ現代的な魅力を感じます。
これはヴェネツィア派のジョバンニ・ベッリーニ『聖家族の礼拝』(1505年頃)の一部を使用したものです。原画を検索するともっといろいろなものが描かれています。このアルバム表紙はそれらを切り取りマリアの表情に焦点を絞っています。

バッハの『クリスマスオラトリオ』をBGMのように聴いてみました。六つのカンタータをあわせた作品で、一曲目の最初は聴いたことがありました。ティンパニとファンファーレで始まるバロックらしい華やかさに満ちた曲です。
演奏も素晴らしいですが、YouTubeでこの曲を検索したとき、ジャケット写真に目を奪われました。マリアと幼子イエスとはすぐにわかりました。それにしてもこのマリアの表情。不思議な憂いと哀愁が漂い中世と言うよりむしろ現代的な魅力を感じます。
これはヴェネツィア派のジョバンニ・ベッリーニ『聖家族の礼拝』(1505年頃)の一部を使用したものです。原画を検索するともっといろいろなものが描かれています。このアルバム表紙はそれらを切り取りマリアの表情に焦点を絞っています。

縦横に刃を受け冬至蒟蒻よ
◆冬至蒟蒻
今日は冬至。一陽来復ともいわれるとおり、明日からは一日の長さが少しずつ長くなっていきます。冬至に食べたらいいと言われるものの中にこんにゃくがあります。食物繊維豊富なこんにゃくは「胃腸の砂払い」といわれます。
これで胃腸の砂と同時に一年の間に蓄積された余分なものもきれいさっぱり身体の外に出してしまい、新年を迎えようということです。なぜ冬至が大晦日で翌日が新年にならなかったのか、不思議ですね。
冬至は春分、夏至、秋分と並んで一年の大きな節目となるときです。クリスマスも元は冬至を祝う行事だったものをキリスト教がうまく取り込んで布教に役立てたのでしょう。春分と秋分が祝日なのに、夏至と冬至が祝日でないのはなぜなんでしょうか。

今日は冬至。一陽来復ともいわれるとおり、明日からは一日の長さが少しずつ長くなっていきます。冬至に食べたらいいと言われるものの中にこんにゃくがあります。食物繊維豊富なこんにゃくは「胃腸の砂払い」といわれます。
これで胃腸の砂と同時に一年の間に蓄積された余分なものもきれいさっぱり身体の外に出してしまい、新年を迎えようということです。なぜ冬至が大晦日で翌日が新年にならなかったのか、不思議ですね。
冬至は春分、夏至、秋分と並んで一年の大きな節目となるときです。クリスマスも元は冬至を祝う行事だったものをキリスト教がうまく取り込んで布教に役立てたのでしょう。春分と秋分が祝日なのに、夏至と冬至が祝日でないのはなぜなんでしょうか。

人はみな影絵のクリスマスイルミネーション
◆クリスマス
最近ずっと天地真理を聴いています。そして自分の好みは「明るい」音楽なのだ、と気づきました。昔から演歌は好きではありません。同時にJ-POP領域でもそうなのです。
天地真理に気づく以前は岩崎宏美に気づいて聴いた時期がありました。ただ、彼女の歌で好きなのは10代のころのものに集中しています。20代では、『聖母たちのララバイ』(当時23歳)など一連の「火曜サスペンス劇場主題歌」が代表曲でしょう。
でも、これらの歌は私の好みにはあいません。演歌に近い世界観だからです。未練、すがる、待つ、耐える…、深刻に不倫や裏切り、夜の世界を歌っています。歌でそういうものを聴きたくはない。それが「大人の歌」だというなら私は子どもでいいかな、と。

最近ずっと天地真理を聴いています。そして自分の好みは「明るい」音楽なのだ、と気づきました。昔から演歌は好きではありません。同時にJ-POP領域でもそうなのです。
天地真理に気づく以前は岩崎宏美に気づいて聴いた時期がありました。ただ、彼女の歌で好きなのは10代のころのものに集中しています。20代では、『聖母たちのララバイ』(当時23歳)など一連の「火曜サスペンス劇場主題歌」が代表曲でしょう。
でも、これらの歌は私の好みにはあいません。演歌に近い世界観だからです。未練、すがる、待つ、耐える…、深刻に不倫や裏切り、夜の世界を歌っています。歌でそういうものを聴きたくはない。それが「大人の歌」だというなら私は子どもでいいかな、と。
