優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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クリスマス
日曜日も「CAROHIMEPARK」へ立寄りました。公園の中央に登れる丘のような場所があります。下は空洞でぐるりと半円状に木製ベンチが据え付けられています。子どもたちが代わる代わるあがっており、私も登ってみました。

役所の規定で作られる公園とは一味違うと歩きながら感じました。決まりきった遊具はなく、子どもが自由に走り回れますし、大人も散策できます。地元の人、特に子どもたちに車に親しんでもらうにはこういう場所を設けるのがいいのかもしれません。
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クリスマス
キリスト教信仰が盛んな国ではクリスマスはイエスの生誕を祝う宗教行事です。しかし、日本では、敬虔なキリスト教徒を除けばお正月前のお祝い、年末年始のホリデーシーズンのプレ祝祭的なイメージのものと考えて間違いないでしょう。

今年一年いろいろあったね、来年がいい年になりますように。必ずしもそうではない、それはわかっているけれど、でも願いは別。だから「よいお年を」といって別れようね、そういう感覚の日々が今頃だと思います。
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クリスマス
バッハの『クリスマスオラトリオ』をBGMのように聴いてみました。六つのカンタータをあわせた作品で、一曲目の最初は聴いたことがありました。ティンパニとファンファーレで始まるバロックらしい華やかさに満ちた曲です。

演奏も素晴らしいですが、YouTubeでこの曲を検索したとき、ジャケット写真に目を奪われました。マリアと幼子イエスとはすぐにわかりました。それにしてもこのマリアの表情。不思議な憂いと哀愁が漂い中世と言うよりむしろ現代的な魅力を感じます。

これはヴェネツィア派のジョバンニ・ベッリーニ『聖家族の礼拝』(1505年頃)の一部を使用したものです。原画を検索するともっといろいろなものが描かれています。このアルバム表紙はそれらを切り取りマリアの表情に焦点を絞っています。
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冬至蒟蒻
今日は冬至。一陽来復ともいわれるとおり、明日からは一日の長さが少しずつ長くなっていきます。冬至に食べたらいいと言われるものの中にこんにゃくがあります。食物繊維豊富なこんにゃくは「胃腸の砂払い」といわれます。

これで胃腸の砂と同時に一年の間に蓄積された余分なものもきれいさっぱり身体の外に出してしまい、新年を迎えようということです。なぜ冬至が大晦日で翌日が新年にならなかったのか、不思議ですね。

冬至は春分、夏至、秋分と並んで一年の大きな節目となるときです。クリスマスも元は冬至を祝う行事だったものをキリスト教がうまく取り込んで布教に役立てたのでしょう。春分と秋分が祝日なのに、夏至と冬至が祝日でないのはなぜなんでしょうか。
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クリスマス
最近ずっと天地真理を聴いています。そして自分の好みは「明るい」音楽なのだ、と気づきました。昔から演歌は好きではありません。同時にJ-POP領域でもそうなのです。

天地真理に気づく以前は岩崎宏美に気づいて聴いた時期がありました。ただ、彼女の歌で好きなのは10代のころのものに集中しています。20代では、『聖母たちのララバイ』(当時23歳)など一連の「火曜サスペンス劇場主題歌」が代表曲でしょう。

でも、これらの歌は私の好みにはあいません。演歌に近い世界観だからです。未練、すがる、待つ、耐える…、深刻に不倫や裏切り、夜の世界を歌っています。歌でそういうものを聴きたくはない。それが「大人の歌」だというなら私は子どもでいいかな、と。
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クリスマス
兵庫県の日本海側は雪になっているようです。自宅から北には生野高原あたりの兵庫県中部の山々を望むことができ、今朝は雪化粧をしていました。

兵庫県は都会、田舎、雪国、海、島嶼、里山などがコンパクトに詰まっていて、日本の縮図とよく言われます。摂津、丹波、淡路、但馬、播磨という五つの国が集まっており、それがバラエティ豊かな県土を形づくっています。
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聖菓
子どものころのクリスマスケーキは、ホールで買っていくつかに切り分けるものばかりでした。最近は洋菓子店も考えて大人向きにはそれぞれに趣向をこらした小さなケーキを用意しています。食べやすくて、器も可愛らしいです。
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クリスマス
姫路聖マリア病院のマリア像、病院ですから、病を得てここを訪れる人の回復と治癒を願うのが一番でしょう。さらに亡くなっていく方の魂の平安と、遺される人々の心の癒しへの祈りも含まれます。「生老病死」という古今東西変わらぬ人生の苦悩を癒す祈りです。
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