優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:シーシュポスの神話

長閑さ
「シーシュポスの神話」でゼウスは神を欺いた罰としてシーシュポスに大岩を山の上に持ち上げさせます。その岩は頂に達した瞬間また山の麓に落ちてしまい、一からやり直さなければなりません。

虚しさの典型とされる天罰なのですが、私は最も過酷な罰はむしろ「何もさせない」ことだと思います。シーシュポスは岩を持ち上げるということに集中でき、持ち上げ方を工夫する余地もあります。

シーシュポスが「どのような気持ちでそれに挑むか」によって、見た目は同じでも内側から見える景色は変ります。不条理と思えることで何かができなくなったとしても、不条理の中で自分の心の自由は残されます。それにどう対処するかはその人しだいです。
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紋白蝶
昨日、抗mag抗体ニューロパチーの定期受診を終えて家に戻って、病気とつきあっていくにはどうするかを考えようと思いました。なんとか症状を取り除きたいと思っていたのですが、この疼痛を完全に取り去るのは無理です。

YouTubeを見ていたら、カミュの「シーシュポスの神話」について説明した動画が流れてきました。カミュは不条理について考え続けた人です。そもそも我々の人生は不条理に満ちています。その人生を生きていくにはどういう心構えであればいいのか。

一言で言ってしまえば、「よっしゃ、やったろやないかい」ということですかね。シーシュポスの神話は虚しさの典型とされています。しかし、与えられた不条理をそれはそれとして受け止め、それを完遂していく、それが生きるということかと。
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