十月
北一硝子というガラス製品を扱う店も多く、なぜ小樽でガラス?と思いました。明治から昭和初期にかけてニシン漁でにぎわった小樽では、その浮き玉や石油ランプのホヤとしてガラスが使われました。しかし、その後、ランプは電気に、浮き玉はガラスからプラスチックに取って代わられました。

現在の北一硝子は、大阪でガラス製造を学んだ創業者が、1901年に浅原硝子として小樽で石油ランプを製造したのが始まりです。実用的なものが技術革新を経て実用を離れ、装飾品や趣味の品へと変化していきました。こういう転換を図れなかったところは滅びるしかなかったでしょう。小樽が経済都市から観光都市に変わったのにあわせて変身を遂げ、小樽のお土産として生き残っています。

ガラス製品のきらめきのせいもあったでしょうが、小樽とヴェネツィアが重なる思いがしました。地中海の覇権を争った海洋都市国家ヴェネツィアは、大航海時代以降、政治の舞台から降りて観光文化都市として生き残りました。小樽もそういう道をたどったのです。
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