優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:一ノ谷合戦

薄紅葉
須磨寺境内には敦盛の首塚があります。平敦盛(1169-1184)が一ノ谷合戦で熊谷直実に討たれたのは3月20日、旧暦では元暦元年2月7日にあたり、須磨寺では毎年旧暦2月7日に源平兵士の追悼法要をおこなっています。

熊谷直実はこの後、法然上人のもとで出家し蓮生と名乗り敦盛の菩提を弔いました。因みに胴塚は須磨浦公園内にあります。
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一ノ谷の合戦でよく知られているのは平敦盛です。敦盛は清盛の弟である経盛の末子、沖の船に逃れようと汀に馬を乗り入れていたところ、背後から熊谷直実に「敵に背中を向けて逃げるとは卑怯」と呼び止められます。

その場面が須磨寺の境内に銅像になって残されています。この後、敦盛は引き返し直実と組み合って馬上から落とされます。首を切ろうと直実が兜を押し上げると、自分の息子と同じ年頃の美しい少年です。敦盛は15歳でした。

なんとか命を助けられないかと直実は思いますが、背後に味方の軍勢が迫っています。泣く泣く首を落とした直実は、武家に生まれたものの身の辛さを嘆きます。敦盛は腰に笛を携えており、昨夜戦場に響いていた笛はこの人のものであったか、と直実は悟ります。
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身に入む
ロープウェイで下に降り須磨浦公園の緑地を東へ歩いていきました。このあたりは一ノ谷町という地名で、源平の一ノ谷の古戦場です。これを記念し戦の濱碑が立っています。

この少し手前に「落下した地球儀」があります。すぐ東にある「みどりの塔」の一部だったもので、塔をコの字型に取り囲む石塀があり、左右の塀に1.5mの柱が立ちそこに直径1.2m、重さ2.4tの石刻の地球儀が載っていました。

平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災で西側の地球儀が柱から落下しました。これは震災のモニュメントとしてそのままの形で保存されています。
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