2024年06月01日 見渡せば代搔きを待つ田の並ぶ ◆代掻き 川辺城は南北朝時代(1356年頃)に大野弾正忠氏が築城しました。天正年間には大野七郎左衛門らが居城し、恒屋城(姫路市香寺町)へ狼煙で合図を送っていました。天正5年(1577)からの羽柴秀吉の播磨攻めで落城しました。 「頂上まで250m」の表示へ着くと道は尾根筋に出て傾斜がやや緩やかになります。東に向かっていた道は北へ曲がりしばらく歩くと頂上です。城跡は南北12m、東西50mほどの平坦地になっています。 木々の間から麓に広がる水田が見渡せました。市川町や姫路市がある中播磨地区一帯は早稲の栽培は少なめです。田植えは6月上旬のところが多く水田にまだ水は入っていません。 タグ :#代掻き#川辺城跡#市川町