優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:冬晴

冬晴
太陽観察の後、60cm望遠鏡で星の観察を行いました。この日見たのはこと座のベガと水星でした。べガはこと座の中で最も明るい恒星で全天21の1等星で七夕の織姫星として知られています。わし座のアルタイル、白鳥座のデネブとともに夏の大三角形を形作ります。

今は冬なので昼間の空に出ています。地球からは26光年離れており、26年前にベガを旅立った光が今私たちの目に届いているのです。望遠鏡の中のベガはまるでダイヤモンドのようにきらきらと輝いていて素敵でした。

水星は薄く細く見えました。水星は満ち欠けして見えます。金星のほうが観測しやすいそうですが、この日は太陽に近いために難しく水星になりました。
IMG_20251206_134800


冬晴
西はりま天文台の周囲には宿泊施設やキャンプ場もあり、敷地内には宇宙や天文に関するいろいろな展示物がありました。若田光一さんといっしょに宇宙へ行ったひょうたん桜の子孫が「宇宙桜」として植えられていました。

人間日時計というものもあります。中央に日付を記した目盛りがあって、その横に立つと自分の影が周りに楕円形に巡らされた時刻の目盛りを指す仕組みになっています。ざっくりとした時間はわかります。
IMG_20251206_104926


冬晴
すでにかなり葉を散らしているイチョウもありますが、まだ明るい黄葉を保っているものも多く見られます。これから師走いっぱいをかけて少しずつ葉を散らしていき、クリスマスのころにはすっかり葉を落とすと思われます。

イチョウは世界で最古の原生樹種のひとつです。イチョウ類は地史的にはペルム期(約2億9900万年前〜約2億5100万年)に出現し中生代の特にジュラ紀(約2億130万年前〜約1億4550万年前)まで全世界に繁茂しました。

現在残っているものが唯一の種類で、「生きている化石」として国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストの絶滅危惧種に指定されています。
IMG_1520

冬晴
両国回向院も近くにあります。明暦の大火(1657)で亡くなった10万8千人を幕命で葬った万人塚が始まりです。後に災害の死者、刑死者、無縁仏も埋葬してきました。境内にはさまざまな災害の供養塔が並んでいます。

あらゆる生あるものを弔うという理念から犬猫の卒塔婆まで並んでいて驚きました。また一部の墓石は凝った造りで一見すると墓石には見えません。
IMG_0012



冬晴
先週の半ばに二日続けて雨模様だった後は晴天が続いています。今週いっぱいは雨の予報はありません。少し雲が出ることはあってもおおむね晴れです。これが冬の瀬戸内海地方の定番のお天気です。

冬によく信州のスキー場に行っていたころ、どんよりとした曇り空が続くのに驚きました。雪国なのだから当然で、映像のように青空の下で颯爽と滑るのはむしろ稀です。
IMG_0008

冬晴
昨日はいとこ同士の忘年会で姫路城近くの「ソラニワ」で昼食を食べてきました。ビルの6階から姫路城を見渡せる場所にあり、ロケーションの素晴らしさだけでも一度は訪れてみていいところだと感じました。快晴だったのもラッキーでした。

もちろん料理も美味しくて、和食、イタリアン、フレンチを合わせたメニューというのも珍しくゆったりと食事を楽しむことができました。去年は同じ忘年会を和食の店でやりました。一年は早いねなどといいつつ、来年はもっと早く過ぎると思いました。
IMG_6773



展望台からは北に広がるたつの市街を眺めることができます。すぐ下を山陽新幹線が走っており、昼食を摂っている間にも何本もの新幹線が走り抜けて行きました。その北にJR竜野駅があり、東を揖保川が流れています。

たつの市は平成の大合併以前は龍野市との表記でした。しかし、JRの駅名も典型であるように、龍野と竜野というふたつの表記が混在していました。合併を契機にたつの市とのひらがな名称になりましたが、龍の字が消えたのを残念に思う人は多かったと思います。
IMG_5693


冬晴
黍田富士へはいったん下り、登り返すようになっていました。尾根上の道が白く輝き、そこを下ってくる人の姿が見えました。道は明瞭でよく登られているのがわかります。山頂は意外に広く、斜面に突き出す形で展望台が設けられています。そこに座って昼食にしました。
IMG_5694


冬晴
考古博物館まで戻り、まず展望台に登ってみました。古代の物見櫓を模して作られ、大中遺跡の景観に配慮していると同時に、展望台から遺跡の全体像を見渡せるようにもなっています。
DSCN6306


冬晴
大中遺跡公園には弥生時代の住居が再現されています。国指定の遺跡としては弥生時代後期のものですが、出土品には旧石器時代のものもあります。ここは温暖で海に近く住みやすい場所だったと考えられます。旧石器時代にはナウマンゾウやオオツノジカなども生息しており、それを狩っていたようです。
DSCN6275


このページのトップヘ