優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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梅雨の晴れ
吉野神宮から吉野神宮駅に向かって坂を下っていると、後ろから軽自動車のバンがやってきてすぐそばに止まり「駅まで乗ってください」と声をかけられました。驚いてそちらを見ると、先ほど送ってくださった吉野荘湯川屋の方でした。ありがたく乗せていただきました。
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梅雨
吉野神宮一の鳥居は近鉄の吉野神宮駅近くにあります。その次が表参道入口にある二の鳥居、さらに神社前広場に至る大鳥居となります。参拝を終えて大鳥居に向かうと、これまで梅雨の雲に覆われていた空の一画に青空がのぞき始めていました。
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風鈴
風鈴は摂社の瀧桜神社の前にも並んで吊るされていました。ガラス製の風鈴で、近くで見ると描かれている柄が数種類あるのがわかります。風鈴は夏の風物ですが、最近では騒音の問題があり一般住宅では見ることが少なくなっています。これだけ並んで一斉に鳴りだすと壮観です。こういう場所だからこそできる設えといえそうです。
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青葉
吉野神宮の社殿は北向きに建てられています。社殿は東か南を向いているのが一般的です。あえて北向きなのは、京へ戻ることを切望しつつ吉野で亡くなった後醍醐天皇の心情を慮ってのことです。昭和7年(1932)の改築で、本殿、拝殿などは総檜造り、近代神社建築の代表作と言われています。
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紫陽花
風鈴の下には紫陽花の鉢が置かれていました。吉野神宮は建武中興十五社のひとつです。建武中興は後醍醐天皇が武家から政権を取り戻そうとした動きであり、明治維新でそれを成し遂げた明治天皇にとっては意義深いものでした。十五社はそれぞれ縁の地で護良親王ら皇族、楠木正成ら武将を祀っています。
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境内の一画に風鈴がたくさん吊るされていました。風鈴の起源は二千年前の中国で竹林に吊り下げて吉凶を占った「占風鐸」だそうです。これを僧侶が持ち帰り寺院や堂塔の四隅に吊るすようになったものが青銅製の風鐸です。風鐸はしだいに小型化しやがて風鈴と呼ばれるようになりました。
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青葉
吉野神宮の境内は広々としています。狛犬は神社によってそれぞれ微妙に異なっているものですが、参拝者の方を向くかお互いに向かい合っているものが多いです。しかし、ここの狛犬は頭をあげて遠吠えをしているように見えました。
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万緑
吉野神宮は後醍醐天皇を祀る神社です。崩御の後、吉水院で仏教形式で供養されてきましたが、明治政府の神仏分離政策により、吉水院は吉水神社になりました。その後の明治25年(1892)、明治天皇の意向でこの地に社殿が竣工しました。

近鉄・吉野神宮駅からは1kmほどの上り坂です。近づいてみて、昨日この前をマイクロバスで通ったことに気付きました。鳥居をくぐって参道に入るとカエデやヤマザクラの青葉が瑞々しく、汗がひいていきました。
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